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2ヶ月前――私はシズちゃんから逃げた。シズちゃんを『平和島静雄』だと確信し、恐くなったからだという理由では決してない。これ以上迷惑を掛けたくはなかったから。そしてもう1つは、"人をこれ以上好きになる事を恐れたから"だ。

臨也さんはシズちゃんの容疑を晴らしてくれたし、途方に暮れた私に居場所をも与えてくれた。だから私が住み込みで臨也さんのお世話をするのは当然の御恩返しなのだ。「それじゃあ、こうしよう。俺が君の願い事を叶えた分だけ、君も俺の条件を飲むこと。いいね?」こうして私と臨也さんの間にできたのが、御恩と奉公のような関係だった。私がこれ以上シズちゃんを好きになってはいけないと感じたのは、所謂直感。それは、未だにトラウマである私の過去が大きく関係しているのかもしれない。



「ごめん、待たせたね」



臨也さんが分厚い資料を手に帰って来たのを確認すると、私はチャットを中断しパソコンを閉じた。



「それは?」

「君の知りたい情報をまとめておいた。……このページを見てくれるかな」



臨也さんが手際よく開いたページには、昔のものと思われる新聞記事の切り抜きが綺麗に貼ってあった。色褪せてはいるものの、肝心の文章を読む事に何ら支障はない。見出しには大きく『新宿で相次ぐ、無差別切り裂き魔か!?』とゴシック活字で記されている。



――……あ、れ?

――このフレーズ、似たようなのをどこかで……



「……て……、え?『連続無差別切り裂き魔事件』って、これ……まさか……」

「そう、その"まさか"だよ。多分、みさきちゃんが今考えている事が正解」

「……なッ」

「実はね、あったんだよ。新宿でも昔、埼玉での事件によく似た切り裂き魔事件が」

「……!」

「ほら、ここにもあるだろう?被害者の証言は『赤い眼を持つ女性だ』って」



「今から丁度2年くらい前になるかな」臨也さんの言葉にハッと我に帰る。胸に手を当てて気持ちを落ち着かせると、私は臨也さんの向かいの椅子に座った。ここからは正当な取引だ。もはや、取引先でしかない。私が話の先を促すと、臨也さんは両手の長細い指を組みながら、『商品』についてゆっくりと語り始めた。



「俺が19の時、確かに存在したんだ。『罪歌』と呼ばれる妖刀が、ここに」

「妖刀って……そんな、漫画みたいな話……」

「信じられない?だよねぇ、普通ならそうだ。だけど君はもう既に普通じゃない。シズちゃんみたいな化け物もいるんだしさ、実際に目にしたものを否定するのは、ちょっと難しいんじゃないのかな?……俺の前では、知らないフリなんてしなくてもいいんだよ?」

「……」

「ねぇ?……"被害者"の、苗字みさきさん?」



――やっぱり、臨也さんは気付いている。



嫌な汗が背中を流れるのを感じる。こちらが動揺しているにも関わらず、臨也さんは至って笑顔を崩さない。余程、魑魅魍魎な事態に普段から手慣れているのだろうか、もしくはこちらを混乱させたいだけなのか。

この男に隠し事をしてはいけない、と直感が告げる。自慢じゃないが私の直感が外れた試しはこれまでにない。「ねぇ、そろそろ話してくれてもいいんじゃないかな?」臨也さんの手がそっと私の頬を撫で上げる。



「前に俺、言ったよねぇ。俺は君の事が知りたいんだって。それとも、もう忘れちゃった?色々と仄めかしておいて、結局クリスマスから随分と日が経っちゃったしね……それは謝るよ」

「……いえ」

「それじゃあ話して欲しいかな。まずは、君の知っている情報を」

「……」

「ああ、安心してよ。普通じゃない事には、結構慣れているからさ!」



背もたれに全体重を預けソファに奥深く座り、完全に聞く側の体制となった取引相手。私は瞳を一瞬だけ閉じ、ゆっくりと真実を語り出す。自分の知っているあの事実を、初めて自分以外の人間に口外するために。



♂♀



私が赤い眼を持つ男と出会ったのは、池袋に来る前の出来事。それは友達と一緒に高校からの下校中という、何処にでもありふれたような日常の中での惨劇だった。知らない人だったと思う。男の方は私の事を知っていたらしいが、恐らくお互いすれ違う程度でしか接点はなかったはず。そんな見知らぬ男は赤く光った虚ろな眼で、確かに私を見て言った。「愛してる」と。

突然囁かれた愛の言葉にさえも、大抵の人間は不信感を抱く。更に見知らぬ人物であった事も加え、私はそれを拒絶した。そもそも自分から異性を好きになった経験のなかった幼い私には、その直球な愛の言葉があまりにも重く感じたのだ。



「ごめんなさい」



とりあえず謝った、という感覚だった。特に理由はなかった。ただ、その愛を受け入れられない事に対しての謝罪のつもりだった。私は人を愛する事を知らない。人を愛した経験が今までにない。その幼さとも言える無知で純粋な心が、後に自分の首を絞める事になるなんて夢にも思わぬまま。



「愛してる」

「……え?」



それでも機械的に繰り返される愛の言葉。1度は拒絶されたというのに、男の表情は限りなく至福の笑みに近い。男の言葉は続く。



「俺は別に、付き合うだとか付き合わないだとか、そういう事を言いたいんじゃない。ただ、君の事を愛してる。それをどうしても君に直接伝えたくて、」



ギラリ、と何かが鈍い光を放ったような気がした。恐る恐る男の手元へと視線を向ける。凶器。そこには確かに、凶器が存在した。一体何の為に?男の目的が分からない。もしかして私を殺そうとしている?それじゃあ、さっきの告白は何?

男の充血した眼が更に赤みを増し、ぼんやりと暗闇の中で蛍光色に光る。これまでの平穏が、音を立ててガラガラと崩れ去っていく。



「だから俺は君を斬る事にしたの。貴方の身体に、私の愛を刻み込むために

「……!?」

「痛いかもしれないでもごめんなさいね?私は貴方を斬るわだって愛してるから愛してる愛してる愛してる愛してるあいしてるから



凶器を持った男の腕が躊躇なく振り下ろされる。殺される、と思った。同時に自身に問い掛ける。人を愛した末路がコレなのか、と。

そこで意識がプツリと途切れる。



♂♀



無知であり純粋であるが故に少女は、他者から見たらただの発狂でしかないその行動を鵜呑みにしてしまった。そして人を愛する事を恐れた。自分も愛に溺れてしまえば、行く行くはあの男のようにおかしくなってしまうのではないか。そんな不安が生まれたのだ。

つまりこれは、何も知らない子どもが周りを見て育つ事と全く同じだ。周りの人間や環境によって、その子の見方や考え方は大きく左右される。つまり彼女は『人を愛する事は恐ろしい』と思わざるを得ない環境にいたのだという事になる。



「その後の事は……よく覚えてません」

「斬られたのかい?」

「……分かりません。ただ、関係のない周りの人まで斬られてしまって……私、どうしたらいいのか分からなくて……それで……」



人間は色々な事をして、愛する者に愛を表現する。自分が愛故に行なった行為は全てが立派な愛の形だ。少なくとも、俺はそう考えて今までの行動に至っている。他の人間が理解出来なくとも、俺にとっては立派な愛の形なのだから。

しかしながら男が愛故に行なった行為は、結果としてみさきの大きなトラウマとなってしまったらしい。人の心は移ろいやすくもあり影響されやすいものだ。永遠に自分のものにするために殺してしまおうと考えたのか、それとも、やはり新宿の事件と関連性があるのか。情報を整理すると恐らく、後者が正解である。



――となると、みさきはやっぱりシズちゃんの事が好きなんじゃ……

――だから、これ以上愛せなくなってアイツから逃げ出したんじゃないのか?



そして気付いた時には、自分の思考は既に全く違う方向へと働いていた。初めはシズちゃんの想い人であるみさきを手中に納めるために色々と調べ回ってはいたものの、思っていた程自分は『罪歌』にさして興味はないらしい。ぶっちゃけ、今となってはどうでもいいのだ。次第に自分の心が移ろい始めているという事にも、もう、気付いている。

俺はあの化け物に、物凄く嫉妬しているのだ。



「……みさきちゃんさぁ、やっぱりシズちゃんの事が好きなんでしょ?」

「!……な、なんでそんな事いきなり……今は、関係ないじゃないですか……」



気まずそうに視線をズラすのが、みさきが嘘を吐く時の癖。2ヶ月も一緒に暮らしていれば、人間の取る行動の意味合いなんて、すぐに理解する事ができる。つくづく分かりやすい子だ。



――……どうして、よりによってアイツなんだろう。

――アイツ以外の他の男だったなら、強引に奪ってしまう事も出来ただろうに。



そこまで考えて、ふと別の考えが頭に浮かぶ。情報を提供する御代だと言ってしまえば、みさきをここに繋ぎ止めておけるのではないか。みさきを都合の良いように動かす事が今の俺には難なく可能だ。この立場を上手く利用すれば、みさきを自分だけのものにする事も出来るかもしれない。

とりあえず、今は色々とみさきの事を聞き出してみる事にしよう。それがまず第一に優先すべき事項だ。



「……ま、いいや。とにかく君は切り裂き魔の正体をどうしても知りたいようだけど、生憎そこまでは分かっていない。……なにか目的でもあるのかい?」

「あッ、いえ……大した事じゃないんです。ただ、本能的に思うんです」

「本能?」

「……私は、その、『罪歌』の持ち主に会わなくてはならないんだって」



――……本能、ねぇ。



本能とは、生まれつき持っていると考えられる行動の様式や能力の事を言う。時に、己の脳で必死に絞り出した答えなんかよりも的を得る可能性も考えられる。

特に動物が外界の変化に対して行う、生得的でその種に特有な反応形式。まるであの獣的なシズちゃんの事を言っているようだ。それがなんだか、不快で不快で堪らない。……ああ、今はヤツの事を極限考えないようにしよう。胸糞悪い。



「罪歌ってね……まぁ、これはあくまで噂なんだけど……どうやら人間に『寄生』するらしいんだ」



――とりあえず、ここは1つ遊んでみるか。



「寄生?」

「そ。俺にもよく分からないんだけど……調べる必要があるよねぇ」

「……?」



まるで「なにを?」とでも言いたげな表現をしたみさきが、俺の顔をじっと見つめる。その一瞬の隙をついて、俺はみさきの身体をソファへと勢いよく押し倒した。「痛ッ」みさきが包帯の巻かれた左腕を庇いながら小さく悲鳴をあげる。

ちなみに『罪歌が人間に寄生する説』――正直、俺も半信半疑だ。だけど最も有力な説でもある。仮にもし本当ならば、今までの事件全てを証明する事が出来るのだから。……ま、探せば意外といるもんなんだよねぇ。妖精だとか妖刀って。



「君は、他にも何か隠しているの?もしかして罪歌に斬られた跡とかないの?」



――知りたいな、君の事。

――ねぇ、俺に見せてよ。



「調べさせてもらうね」



君に拒否権はないよ?だってこれは、あくまで君の為の『調査』なんだから。

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