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セルティに連れて来られたのは新羅のマンションだった。思えば、ここに来るのは随分と久々なような気がする。高校時代は臨也との喧嘩で怪我をする度に、必ずと言ってもいい程の頻度でここへ通っていたっけ。

「……落ち着いたかい?」新羅が俺の顔を覗き込みながら温かいココアの入ったマグカップを手渡してきた。新羅が俺にこんなに心配そうな表情を見せたのは初めてだ。セルティも不安げに俺の様子を伺っている。



「……おう、サンキュ」

「……」

「……」

「……単刀直入に聞くよ、静雄。一体何があったんだい?」



短い沈黙を破ったのは新羅だった。「今朝電話をしたのに君は出なかった。ほら、だって今日は……静雄の誕生日だったじゃないか」――そういえば、確かに携帯のディスプレイ端に『着信あり』と表示されていた気がする。だけどそれに気付いたのはみさきと別れた後の事で、電話に出る気力もなかった俺はそのまま携帯を閉じてしまったんだ。



「ああ……アレ、新羅だったのか。悪ぃ」

「何たって長い付き合いだからねぇ。幼馴染みの誕生日くらいは祝ってやれってセルティが……」

『おい!最後のは言う必要がないだろう!』

「あいたたたた!わ、分かったよセルティ!……と、話がズレてしまったね。まぁ、いいんだよそんな事は。僕は全然気にしてないし。……ただね、僕だって心配なんだよ」

「……」

「こんなに意気消沈した静雄を見たのは、初めてだ」



長い付き合いの新羅がそう言うのだから、今の俺は相当酷い顔をしているに違いない。新羅やセルティにこれ以上迷惑を掛けたくはないが、とてもじゃないが今笑う気には到底なれそうになかった。事情を何処からどう説明すべきかも分からない。話したくないのに話したい。不思議な感覚だ。

『……もしかして、みさきちゃんと何か関係があるのか?』遠慮がちに突き付けられたPDA画面には、そう言葉が打ち込まれていた。みさきと俺の関係を知っているセルティの事だから、薄々勘づいてはいるのだろう。PDA画面を見つめたまま反応を示さない俺を見て、セルティは慌てて文字の羅列を全消しにすると、素早く新しい文字を打ち込み始めた。



『わ……悪い!変な事聞いてしまって……今のは忘れてくれ』

「……いいんだよ、セルティ。事実、俺がこんなになってるのもみさきと色々あったからだしよ」

『……そうか』



「みさきちゃん?」不思議そうに首を傾げる新羅にセルティが軽く肘鉄を食らわし、俺からは見えないようにPDAを手に持ち直す。そこでようやく理解したのだろう新羅が右手をポンと打った。「ああ、"あの"」



『すまない、静雄。新羅にはお前とみさきちゃんの事を全部話してしまったんだ。今日は静雄と一体何を話してたんだって聞かれたから……どうやら新羅に嘘は通じないようで……』

「君のつく嘘が下手なだけだよ、セルティ。だって『今日は地球侵略を目論む宇宙人から、いかにして地球を守るべきか静雄と計画を立てていた』……なぁんて話。誰が信じると思う?」

『う……うるさいうるさいうるさーーい!!ええい、お前が口を出すと話が拗れる!』

「え?ちょ、なにコレ影?煙!?わわっ、これってもしかして拘束プレ……むぐぐ!!」



そんな具合で、黒い影のような物体で新羅の口を塞ぎセルティは『やっと静かになったな』と肩を竦めると、やはり遠慮がちにPDAを手に俺の反応を待った。



『よかったら話してくれないか?』

『……力になりたいんだ』


初めは戸惑いもしたけれど俺は今までの事を全部、新羅とセルティに打ち明ける事にした。みさきと出逢った日の事や今までの楽しかった日々の事。みさきを囮にされブルースクウェアと喧嘩した事。警察に捕まってしまった事。そして――今まで臨也のいいように嵌められていたという事も。

今まで溜め込んでいたものが一気に流れ出て行くように、不思議と言葉が支える事はなかった。セルティは口を挟む事なく俺の話を最後まで聞いてくれた。



「そうか、臨也が」



いつの間に口を解放された新羅が俺の顔色を伺いながら言葉を紡ぐ。「臨也」の名前を聞いて俺がキレやしないかと心配しているんだろうが生憎、今の俺にはそんな気力さえも残っていない。頭と心の中が空っぽで、何も考えられない程に。

冷静になればなる程色々な思いが募りに募り――俺は思った事を誰に聞かせる訳でもなく、ポツリと独り言のように呟いた。



「ここらが……潮時なのかもな……」

『……静雄』



表情こそは見えないが、セルティが本気で自分を気遣ってくれているのが分かる。こんな事になると初めから分かっていたのなら、やっぱり俺はみさきに出逢うべきではなかったんだ。普通の人間らしい生活なんて望んではいけなかった。俺が人を好きになるなんて許される事ではなかった。

そんな負の感情が溢れ出て――そしてまた別の感情が顔を出す。それは今までほんの僅かではあったが、ひょっこりと頭を覗かせていた歪んだ感情の芽生え。



「……こんな事になるくらいだったら……みさきを誰の目にもつかないような場所に……」

「……え?」

「逃げられないように縛り付けて、閉じ込めて、」

『し……静雄……?』



――そうだ。

――……そうだよ。

――始めからこうすれば良かったんだ。



誰も知らないような場所に閉じ込めてしまえばいい。そうすればみさきは誰の目につく事も一切なく、俺から離れる事も出来ず、ブルースクウェアの抗争とやらに巻き込まれる事もなかっただろう。元を正せば、みさきが俺から逃げられないようにすれば良かったんだ。俺はなんて馬鹿だったんだろう。こんなにも簡単な事に、いち早く気付く事が出来ないでいたなんて。

目が醒める。その考えがどこまでも純粋に歪んでいる事に、今の俺は気付かない。ただこれが1番の最善策なのだと、それだけを信じて疑おうとしなかった。そうすれば、物事は全て都合の良い方向へと進むのだ。



「どうして……もっと早くに気付けなかったんだろうな……」

『……静雄、それはいくらなんでも……』

「……やめなよセルティ」

『! 新羅!?』

「いいから。 ……ねぇ、静雄。君は本当にみさきちゃんの事が好きなんだろう……?」



セルティの言葉を遮り、いつになく真剣な表情の新羅。多分これが、人前でみさきへの気持ちを言葉で表すのが初めてかもしれない。「……ああ、好き、だったんだと思う。いや、今でも」なかなか口にする事の出来なかった言葉が、案外すんなりと口から出てきた事に俺はほんの少し驚いた。

新羅は安心したようにも見て取れる表情で溜め息を1つ吐くと、お得意の諺を駆使して言う。「どちらにせよ、今の静雄を止める事は誰にも出来ないよ。お医者様でも草津の湯でも惚れた病は治りゃせぬ……て言うしね」セルティが僅かに首を傾げたのを見て、新羅は素早く補足を付け足した。



「恋の病は薬や温泉でも治せないって事さ。つまり、闇医者である僕にも当然治す事は出来ない」

『……』

「愛の形なんて人それぞれなんだから、それをわざわざ僕達が咎める権利はない。だから静雄の言う束縛だって立派な愛の形だし……僕もそれを理解する事が出来る。大切なのは気持ちの持ち様さ。ま、恋は曲者とはよく言ったものだよね」



――もしかしたら、新羅も俺と同じなのかもしれない。



新羅の話を聞いていて、ふとそう思った。俺のように大切な人が新羅にもいるのだろう。確信なんてない。ただ、何となく考え方が似ていると思った。想い人の気持ちさえも無関係に、自分の想いを最優先させる。それは想い人を想うからこそ。だからこそ新羅は俺を咎める事が出来ないのだ。

窓の外を覗き見る。あれからもう暫く経つと言うのに雲行きの怪しい灰色の空。雨は一体いつになったら止むのだろう。気ダルい身体を起こし、身に纏っていた毛布を剥ぎ、壁に掛けていたまだ完全には乾ききっていない白シャツを羽織る。



『帰るのか?服が乾いたらでいいんじゃないか?』

「いいよ。どうせ帰りも濡れるだろうし」

『……静雄』



セルティの呼び掛けに俺は片手を挙げて応じると、その部屋を静かに後にした。湿ったシャツは冷たい空気に触れるとほんの少し寒かったけれど、この刺すような寒さが逆に現実を痛い程に実感させてくれた。帰っても、みさきはいない。俺の名前を呼んでくれない。俺に「おかえり」と言ってくれない。俺に優しく微笑んでくれない。みさきと出逢う前までの日常に戻る。ただそれだけの事なのに――ああ、俺は今までどんなにつまらない人生を無駄に歩んで来たというのか。

誰よりも、いつだって、世界中で一番みさきを想って来たはずなのに。愛してたお前が居る事が俺にとって何よりの幸せだった。「世界を敵に回してもみさきを守る」なんて恥ずかしい台詞真顔で言えるくらいに。みさきと出逢ってから世界が変わった。親の大切さや家族の暖かみ、思いやりや涙だって。そして何より心から人を愛する事。年下で何も知らないヤツだと思ってたけど、教わった事を並べたらみさきが俺の全てだったと思い知らされる。頼りないヤツだと思ってたけど、考えて考えてるうちにみさきの優しさに頼りすぎていたんだと思い知らされる。



手を繋いだら下を向いて照れ隠し、

抱き寄せたら林檎色の頬を手で隠す、

キスしたら耳まで真っ赤に染めて、



そんな、どこまでも純粋で汚れを知らず真っ白なみさきは誰よりも愛しく可愛い。綺麗な星なんか大して興味もないのに、みさきが好きな星空だからつい眺めて――「涙なんてだせぇな」夜空の星にそう呟いた。

なんて、最悪な誕生日。

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テーマ「人外ファンタジー」
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