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【1月27日】
名目上暴力事件容疑者――平和島静雄確保から丸一日が経った。しかし、調査は今だ進展なし。今後、詳しい事情を取り調べる模様。
「それじゃあ、今までの事件はどうなる?あんたの共犯者は?」
「だーかーらー、知らねーつってんだろ!」
昨夜からひたすら、このやり取りの繰り返しだ。警察署まで強制的に連れて行かれ、この間の抗争の事や昨日の事を咎められるのかと思いきや、目の前の警官が口にするのは聞き覚えのないものばかりだった。例えば、家出した子どもや不法滞在者が次々に姿を眩ませている事。それから、所謂『裏社会』とやらの崩壊。全く身に覚えがねぇ。
目の前の警官が再びその口を開こうとした途端、「葛原さん!」と大声をあげながら、勢いよく別の警官が部屋へと入って来た。
「なんだ、随分とやかましいな。どうした?」
「そ、それが……平和島静雄の件なのですが……」
チラリと俺の方を見、すぐに視線をズラす警官。それから何やら真剣な表情で話し込む警官らの姿を、俺は座り心地の悪ぃパイプ椅子に腰掛けながら遠目でぼんやりと眺めていた。肝心の内容は全く聞き取る事が出来なかったのだが。
しばらくして警官(葛原と呼ばれた男の方)がこちらを振り向きながら「どうやらこの件に関しては、あんたは本当に無実らしいな」、と。だからさっきから言っていたというのに。
「しかし……公共物破損は立派な犯罪だ。これからは極限気を付けるように」
そして、ふと思いついたように「もし壊すようなら罰金は免れんぞ」とだけ付け足して、よく分からねーが俺はどうやら『厳重注意』とやらで済んだらしい。その証拠に、今まで呼び捨てだったのが急にさん付けで呼ばれるようになった。俺が釈放された後も警官らは不完全燃焼といった感じで、分厚い資料に目を通しては溜め息を吐くばかりだった。まぁ、結果的に犯人確保に至らなかった訳だし「警察ってのは大変だな」なんて他人事のように思いながら、俺は警察署の自動ドアを潜る。
外は雨だった。ぐるりと辺りを見回し、ふいに視界の端に見馴れた顔が映る。幽だった。勿論実物なんかじゃない。でっかい広告看板の、だ。今頃本物はバラエティー番組にでも出ているのだろう。まぁ、あいつの事だから相変わらず無口無表情なんだろうけど。
「……約束、守れなかった」
呟かれた言葉に当然ながら応える者はいない。ただひたすらに静かな雨音が響き渡る。とてつもない罪悪感。吐き気がする。
外はすっかり暗くなり、みさきに連絡をしようにも携帯が使えなくなっていた。多分、警察とやり合った拍子に落とすかぶつけるかして壊れてしまったのだろう。仕方なく使えなくなった携帯をポケットへとしまい込む。これで何台目か。
「お、静雄じゃん」
自分の名を呼ぶ声の方へ反射的に顔を向ける。――何だかとても懐かしい。
「……ぁ、」
「おーやっぱり。随分と久々じゃねーか」
そこには、中学時代に世話になった懐かしい先輩――今は制服でなく、スーツ姿の田中トム先輩が、赤い傘を片手に立っていた。
♂♀
「で、雨ん中どーしたよ?傘も持たねぇで」
「……」
雨ですっかり濡れてしまった髪を借りたタオルでがしがしと拭く。ほんの少し煙草のにおいがするトム先輩の部屋は、警察署から差ほど遠くないアパートの3階に位置していた。雨粒が窓ガラスを打ち付ける音に自然と視線が外へと向く。今夜は到底止みそうにない。
「ちょっと……色々あって……」
「……そか」
そう言ってトム先輩は俺の肩にポンと手を置き「ぅお、服も濡れてんじゃん。早く拭かないと風邪ひくべ」と、特に深入りする事もなく俺に接してくれた。何も聞かないでいてくれる事が俺にとっての救いだった。
そういえばこの人は、中学時代の俺を怖がらなかった。あの頃の俺も十分に馬鹿力だったというのに、誰もが俺を避ける中、何かと面倒を見てくれた優しい先輩だった事を今でも記憶している。それも加えて、まだ仲間というカテゴリーとやらに執着していた中坊の俺はすっかりなついていたんだっけ。トム先輩が俺よりも1年早く中学を卒業して以来連絡を取れず終いだったけれど、まさかあんなところで再会できるとは。
「なんか、ホントすんません。家にまで上がらせてもらっちまって……」
「気にすんな。……色々あって大変だったんだろ?」
「……」
「ま。無理に話せとも言わねーし、俺は特に気にしてないからよ」
そう言ってトム先輩は冷蔵庫から缶ビールを2本取り出すと1本俺に手渡した。
「……どうもっす」
「ん」
いつもは飲まない缶ビール。ビールなんて苦い飲み物は嫌いだけど、今は無情に飲みたい気分だった。別に自棄になっている訳じゃない。ただ――なんとなく。
1口だけ口に含む。それだけで頭の中がぼーっとしてきて……どうやら俺は酒にめっきり弱いらしい。ああ、もしかすると俺は現に酔っ払っているのだろう。だからこんな弱音まで口にしちまうんだ。きっと。
「大切な人と交わした約束を破っちまった時って……どうしたらいいんすかね」
「約束?」
トム先輩は一度そう聞き返し、しばらく悩んだ挙句に缶ビールを一口ゴクリと飲み込んだ。
「ちゃんとした理由があれば、きっと許してくれるさ。ま、人によるがな」
「……でも、それじゃあ何だか約束した相手に言い訳しているみたいで……」
「そんなら、もう二度と破らないように心に誓えばいいんでねーの?」
「……こころ……、」
「そ! ……どうせお前の事だから、好きで破った訳じゃねぇんだろ?」
「……と、なーんか今の俺の台詞クサかったかな」と気を取り直すようにして、トム先輩が照れ臭そうに頬をポリポリと掻く。だけど今のトムさんの言葉だけで不思議と胸のモヤモヤがほんの少し晴れた気がした。
二度と約束を破らないように――そんな大それた事、今の俺なんかに出来るのだろうか。……いや、やる。俺はもう二度と大切な人を裏切らない。こんな後ろめたい気持ちなんざまっぴら御免だ。
「俺、トム先輩に会えて良かったっす」
「はは、そりゃどーも。つか『先輩』なんてやめろよ。もう中学ん時とは違う、お前ももう立派な社会人なんだからさ」
「え、と……じゃあ、トムさん……で、」
「おう」
その後トムさんは、職を失った俺に新しい仕事を提供した。金の回収をして回る所謂『借金取り立て屋』とかいうヤツで、要するに用心棒といったところだ。中には借金を踏み倒そうとする奴がいて、時にややこしい事態になるらしい。そこで、俺の馬鹿力を知るトムさんは「お前にピッタリなんじゃねぇ?俺的にも物凄く助かるし、新しい仕事が見付かるまででいいからさ」と提案した。初めは乗る気がなかったが、金を稼ぐには今はそれしかないと多少は妥協する事にする。
その後俺は時間が既に遅い事や申し訳なさから、みさきの元へは帰らずにトムさんの元で一晩だけ世話になった。朝になったらすぐにでも帰ろうと思った。次の日の朝――今日が自分の22の誕生日だと知ったのは、今朝になってようやく動くようになった携帯の、ディスプレイ画面を開いた瞬間だった。