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ズルズルと負傷した足を庇うように歩く男を心配しつつ、何とかアパートの部屋の前まで辿り着く。何故か肝心の本人は、怪我の割に涼しげな表情をしていた。
ここは引っ越して来た際に借りたアパートであり、東京の高校に通う為、今は若くも独り暮らしを始めようとしている。家賃が安い割に部屋は広く、それなりに快適なアパートだ。まさか引っ越し早々、見知らぬ男を部屋に連れ込むなんて事があろうとは……夢にも思わなかった訳だけど。
「(と、とりあえず着いた……)」
思わず吐き出される安堵の溜め息。特に苦労した訳でもないのだが、全身血だらけの男と暗闇の中歩いているところをご近所さんに見られでもしたら、それはきっとかなりの大騒ぎになるだろう。引っ越し早々評判を下げたくないというのが実はと言うと本音である。
それと同時にすぐ後ろでどさり、と何か大きなものが崩れ落ちる音がした。反射的に振り向くと、そこにはとうとう力尽きた男の姿。
――!?……!?
――うわあああああああああああああああああああああああああああああ!!?
「あ、あの!?」
「……」
「大丈夫ですか!?」
「……」
――反応がない!?
――ど、どうしよう……死んだ?死んじゃったの!?私が無理にここまで歩かせちゃったから!?
頭に過るのは不吉な事ばかり。それらを振り払うように頭を振ると、ひたすら名前を呼び続け――て言うかこの人の名前知らないし!
「しッ、しっかりしてくださいいい!!」
「……ぐ、」
「!!(生きてる!?)」
ピクリと指先が動いた事を確認し、男の顔を覗き込むと異常に顔が赤い事に気付く。恐る恐る頬へと触れてみると、やっとの事で男の体温が尋常じゃないくらいに熱いことに気が付いた。
それとは対照的に、体はひんやりと冷えきっている。
「(凄い熱……もしかして風邪!?)」
これ以上雨に当たると危険だ。そう咄嗟に判断した私は、とにかく今は男を室内へ入れる事に専念した。そのまま両腕でズルズルと男の身体を引きずるように部屋の中へと連れて行く。火事場の馬鹿力とはこういうことを言うのか。きっとここ最近で1番の重労働だ。
なんとか男の体をソファの上へ寝かせる事に成功すると、疲れが一気にどっときた。今日までの分も全部。
「(つ、……疲れた)」
「(……この調子じゃあ明日は筋肉痛だろうなあ)」
両手首が骨を軋ませ悲鳴を上げている。その手を小さくグーパーさせながら、私は次いで引き出しから救急箱を取り出した。基本風邪をひくことも少なく、健康体で薬要らずな私。ここ最近然程大きな怪我をする機会もなかったし、だからこそ救急箱の居場所を忘れていなくて本当に良かった。
消毒液と絆創膏(需要あるか分からないけど一応)それから大人用の風邪薬を1回分箱から取り出し、怪我を手当てする際に必要なティッシュを取りに立ち上がったところでハッとした。
「(……これは、脱がせても大丈夫なのだろうか)」
♂♀
時計の針が早くももうじき夜の7時を指す。それでも未だに雨の音が止まる事はなく、部屋の小さな小窓からは優しい雨の音がした。
サワサワ、サワサワ。
「……」
何事も無かったかのようにスヤスヤと寝息をたてる男を尻目に、私はやむを得ずに脱がせた(と言うと聞こえが悪いのだが)血まみれのブラウスをハンガーに掛けながら本気で悩み始めていた。誤解のないよう言っておくが、流石にズボンまでは脱がせていない。私も一応お年頃の女の子。男の人に対して羞恥心というものがあるのもごく一般的。
とりあえず手足の切り傷には消毒液を塗り、目立つ怪我には絆創膏を貼っておいた。ただ一番重症かと思われる腹部の傷は何が原因でできた傷なのかまでは分からなかった為、とりあえず包帯でグルグル巻きにしただけで手の施しようがなかった。勿論止血の為でもあるのだけれど、流石に傷口を外にさらけ出しておくのはかなり辛い。特に私が。
――本当に平気なのかなぁ
――……ああ、見ているこっちが痛々しい。
今思えば、この重体の身体でよくも平然と歩けたものだ。普通なら病院送りになってもおかしくないだろうに。もしこの状態で救急車に運ばれたら間違いなく集中治療室行きではないか。
ソファに横たわる男の顔をじっと見る。初めて会った時はそれどころじゃ無かったし、雨の中視界が悪かった事も加えて、よくよく見えていなかったけれど……
――「バーテン服の美青年が死に掛けていたところを拾いました」、て。
――ほんと、ベタな古い少女漫画みたいな展開だよね……
とりあえず明日まで様子を見て、それからのことは彼の話を聞いてから決める事にした。本来ならば相手の意思を無視してでもすぐに警察に届けるべきなのだろうが、今この場で、それを私がするつもりはない。私の勝手な判断でこの男に迷惑を掛ける訳にはいかないし、悪い人にも見えない。
多少使い古された感はあるものの、まさしくゲームや漫画の王道のような、そんな展開。そして今の自分がとてつもなくシュールな状況に追い込まれている事に気付き――思わず本日何度目かの溜め息を吐いた。