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次に目が覚めたのはベッドの上だった。
見覚えのある殺風景な部屋。おぼろ気な記憶を辿り、ここが池袋にあるシズちゃんの部屋だと気付くにはほんの少し時間がかかった。窓の外はすっかり暗くなり時間帯は割と夜中の部類に入るのではないだろうか。あれ以来の記憶が覚束無い。よく覚えていないけれど確か私は変な男達に捕まって、それをシズちゃんが助けに来てくれて……あれ?
「起きたか」
ハッと我に帰り、声のした方向へと視線を巡らせる。
シズちゃんはベッドの真横に腰掛けて、私の頭を撫でていた。私が起きるまでずっとそうしていてくれたらしい。それが何だか恥ずかしくて、私は毛布の中へと更に顔を埋めていく。
「ちょ、おま……!まだ寝る気かよ!」
「うー……、あと5分」
「いい加減 起 き ろ 」
結果的にシズちゃんに強引に毛布をべりっと剥ぎ取られてしまった私は、とうとう起きざるを得ない状況へと追いやられてしまった。
毛布を失った私は仕方なく渋々とベッドから降りながら、ふとシズちゃんの顔をチラリと盗み見る。それに気付いたシズちゃんは「なんだよ」と言って悪戯っぽく笑うと私の頭をくしゃくしゃに撫で回してきた。
「!ちょっとシズちゃん、髪ぐしゃぐしゃになっちゃうじゃん!」
「ははッ、あんま変わんねーよ。寝てたんだからもう既にボサボサだし」
「!!」
シズちゃんが声を出して笑う。それは決して偽りのものではない、心の底からの穏やかな本物の笑顔。よかった。優しいいつものシズちゃんだ。
「(もしかして今度こそ、夢……だった?)」
以前、夢に関しては随分と恥ずかしい経験をした事を今でも鮮明に覚えている。だからこそあまり触れたくはないのだが――こんなにも優しいシズちゃんが私の為にとはいえ、まるで喧嘩慣れしているかのように躊躇なくたくさんの人を殴り飛ばしていただなんて、いくら私の妄想だからって程があるんじゃ、
本当に夢だったらどんなによかった事か。一時は本気でそう思い込み始めた私の頭も、右腕に残る鋭い痛みによって嫌でも現実を見るハメとなった。
「いッ……ツ!」
「おいおい、骨折れてんだから無理すんなって」
「ほ、骨!?」
身体の骨組みにあたる人骨が果たしてこんなに、いとも簡単に折れてしまっていいものかと関連性のない素朴な疑問を内心抱きつつ。
シズちゃんは「ちょっと待ってろ」と言って背を向けると、引き出しから救急箱を引っ張り出して来た。
「俺滅多に使わねーからさ、包帯の巻き方とかよく分かんねぇんだけど」
「あ、ありがと……それよりもシズちゃんの方こそ怪我は……」
「こんなん1日で治るさ」
銃で撃たれる事に比べればあんなの可愛いくらいだ、と余裕の笑みを浮かべるシズちゃんを見て脳裏に浮かぶのはシズちゃんと初めて出会った日の出来事。あの時と今の状況はとてもよく似ている。あの時は銃で撃たれたシズちゃんを私がたまたま見つけて、ひょんな事から助けてあげたんだっけ。そんな事を懐かしみながら救急箱から未開封のままの包帯を取り出そうと折れていない方の腕を伸ばすと、何故かその手をシズちゃんにより遮られてしまった。
「ちょっと待て。その前に……」
「?」
そしてシズちゃんは立ち上がると、私の身体を優しく包み込むようにして抱き上げた。これを俗にお姫様だっことも言う。
「! ぇ、何!?」
「言ったろ。まずはみさきの身体を綺麗にしなくちゃだって」
「……言ったっけ」
「言ったつーの」
「うーん」思わず眉をひそめる。そう言われてみれば確かに――言っていたかもしれない。あまりにも記憶が曖昧過ぎて正確性には幾分欠けているのだが。そして次に嫌な予感。身体を綺麗にすると言われて、何故だか猫がペロペロと仔猫を舐めて毛繕いをしているという、微笑ましい光景が目に浮かんだ。猫の部分は勿論犬にでも変換可。
結局何も解らぬまま、私は抱き抱えられたまま奥の個室へと連れて行かれると、そっと床に降ろされた。洗面台がまず視界に入る。すぐ横には浴室であろう入口のドアが設置されている。
――ここは、洗面所?
「ほら、早く」
「……なに、が?」
「何がって、そりゃあお前……」
私の想像はあながち間違っていなかったのかもしれない。いつの間にかこの部屋に湯気が立ち込めている事に気が付き、解りきってはいる事を私はいちいち聞き返した。シズちゃんはすぐに何食わぬ顔で言葉を返した。
「いや……なんだ。まぁ、その……とりあえず脱げ」
「………は?」
「だから脱げって」
「や……、やだよ!どこに脱ぐ必要が……」
「?風呂入る時、みさきは服着たまま入るのか?」
「はあ?」
確かに浴室の浴槽には3分の1程度のほんの少し温くなったお湯が張られていて、そりゃもう丁度良いお湯加減のようで。
シズちゃんはしばらくウウムと口元に手を当てて考えていたものの、やがて何を思ったのか自分の着ていたシャツを脱ぎ出した(!)
「ぇ、ちょ、全然頭がついて行けないんですが!?」
「は?だから風呂だって言ってんだろ」
「!? えーと、それは私が?シズちゃんが?」
「だからみさきだろ?」
――駄目だ、
――会話が全く噛み合ってない!
「それじゃあシズちゃんが脱ぐ必要はないんじゃ……」
「あ?何言ってんだお前」
それはこっちの台詞だ、と言ってやりたかった。だけどそれよりも先に目に入ったのは――やっぱり傷だらけのシズちゃんの身体。
やっぱりアレは夢じゃなかったんだ。それに私は名前すら知らない男達にたくさんたくさん触られて――ああ、嫌な事まで思い出しちゃったなぁ、気持ち悪い。思い出した途端、何とも言えない感覚が身体に蘇ってきた。それがあまりにもリアル過ぎて、思わずゾワリと鳥肌が立つ。
「せっかく綺麗だったみさきの身体が汚い手で汚されちまったからな。……ほら、みさきは手へし折られちまったせいでうまく動かせないだろ?だから……すぐにでも俺が代わりに綺麗にしてやらないとな」
そして、違和感。
その話題を口にした瞬間シズちゃんの目つきが変わった。すぅ…と瞳を細め、そしてやはり怒りを込めて。
「なぁ、みさき。……あいつらに何された?」
「……何って、」
実にシンプルで単刀直入な問い。だけどその問いに対してありのままを答えるには思わず躊躇してしまう。思い出したくないというのも一理ある。ただ純粋に、シズちゃんにありのままを答える事そのものの行為を恥ずかしいと思ったのだ。
上唇と下唇を巻き込むようにして口を閉じ、私は出来るだけシズちゃんから視線を外しながら答える。
「そんな事、覚えてないよ……」
――これは、嘘だ。
思い出したくない。仮に脳が忘れていても、それでも身体が覚えている。何よりも、より快楽を求めてしまった事への罪悪感すらも。
「……んでだよ」
「?」
「なんで、嘘つくんだよ」
「ッ!」
「俺は見てたんだぜ?この目でしっかりと!みさきがあいつらにヤられそうだったところを!!」
最後は泣きそうな声だった。
私にはやっぱり分からない。シズちゃんが何を考えているのか、何を抱え込んで生きているのか。
「なぁ、なんでお前はあんな奴等相手に感じてたんだよ?なに大人しくされるがままになってたんだよ?」
「そ、そんなつもりは……」
シズちゃんが私の両肩をギュッと掴む。骨がミシリと悲鳴をあげる。あと少し力を加えたら折れてしまうんじゃないかと思う程に。
「……痛いよシズちゃん」
「はぐらかすなよ」
「………」
「なぁ、なんで……なんでお前は……」
それ以上言葉は続かなかった。シズちゃんの手が小さく震えている事だけは分かった。純粋に怖いと感じた。同時に彼を愛しいとも思った。どうしてなのかは分からない。もしかしたら私は狂っているのかもしれない。ただ目の前にいるシズちゃんが、あまりにも脆く壊れていってしまいそうで。
次第に肩への力が緩められていく。ああ、そうだ。私は知っていた。シズちゃんは優しくて格好良くて――同時に心は物凄く繊細で壊れやすいのだということを。そして恐らく私は、そんな彼を好きになった。ここまでシズちゃんを悲しませてしまったのは他の誰でもなく――私なんだ。
そのままシズちゃんは静かに私に口付けた。そういえば今夜は満月らしい。目を閉じていても、満月が雲に隠れていくのが分かった。