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「私、みさきはずっと、そのシズちゃんさんが好きなんだと思ってたよ?」
臨也さんの事務所にて。「……嘘」呟くように言葉を返すと、沙紀は口にオレンジジュースのストローをくわえたまま小さくコクリと頷いた。
私は何も言えないままアイスミルクティーのストローでグラスの中の氷をつつく。カラン、と乾いた音が耳に響く。
「なんで?」
「んー……直感?」
「……」
「でもね、私の直感って結構当たるんだよ」
「臨也さんもそう言ってたもん」と自信気に話す目の前の彼女の言葉に私はウウムと首を傾げた。それを言われると余計に複雑かも。
学校が冬休みに入り、通常は登校時間であるこの時間帯、私は極限臨也さんのもとで秘書の仕事をまっとうしている。とは言っても、仕事内容は実に単純で、あとは適当に雑用を押し付けられるのがほとんどだった。ちなみにこの時間は、予め決められている休憩時間。決して、サボりなどと言うものではない。(事務所の冷蔵庫に常に用意されているミルクティーは臨也さんが私の為に置いてあるもの。これぞ秘書の特権)
そこで頻繁によく会うようになったのが、臨也さんの元でお世話になっているらしいこの子――三ヶ島沙樹。歳が近い為今では随分と親しく、唯一シズちゃんの事を話せる仲なのである。
「(学校の友達に話すと、色々とネタにされやすいしね……)」
「それで、どうするの?」
「……何が?」
「シズちゃんさんと」
とは言われたものの、果たして私はこれから一体どうするべきなのか。ぶっちゃけ私の方は今まで通り振る舞おうとさえ考えてたんだけど。……安楽的過ぎ?
素直にありのままを話すと返事はすぐに返ってきた。迷う事なく「うん」と、やけに早くアッサリと。
「付き合わないの?」
「付き合うって……」
「……うーん」悩ましい。それ以前に恋人を通り越して同棲してるも同然だし。
だからと言って、そんな生活に慣れてしまった今「明日から貴女の彼氏です」って言われましても……。
「……しっくりこないなぁ」
「でも、シズちゃんさんに好きだって言われたんだよね?」
「直接、そう聞いた訳では……」
「言われたも同然だよ」
「……分からないなぁ」
「試しに付き合ってみたら?」
「私はそんなに軽い女じゃないんですっ」
「私だってそうだもん。私は正臣だけだもん」
とまぁ、こんな風に会話の端々で彼女がたまにノロケるその正臣君というのは、沙樹ご自慢の彼氏らしい。どうやら年下のようだ。
「臨也さんに相談してみれば?臨也さんは何でも答えてくれるんだよ」
そして彼氏がいるにも関わらず、沙樹がどうして臨也さんの元にいるのか。それに至るまでの経路は分からないけれど彼女が臨也さんをとても慕っている事は事実のようで、だからこそ私は何も聞く事ができない。
ただ、たまに――異常に忠実過ぎる気もするのだ。
「……臨也さん、に?」
「うん」
「恥ずかしくない?そういう事聞くのって」
「そんな事ないよ。それに、私が正臣の恋人になれたのは臨也さんのお陰なんだから」
「! へぇ」
――臨也さんが沙紀の恋のキューピッドかぁ。
――なんか、意外かも。
「それにしても臨也さん、遅いね」
「……うん」
窓の外はもう暗かった。臨也さんは最近仕事(?)の方が忙しいようで、肝心の本題にも触れる事が出来ずに時間だけが過ぎて行く。
もしかしたら自分は騙されているんじゃないか、という疑念を打ち消すかのように私は大きく伸びをするとまとめ終えた書類の束を机の端へと追いやった。
残りのミルクティーを一気に喉へと流し込む。沙紀は相変わらずマイペースにちびちびとオレンジジュースを飲みながら貧乏揺すりをしている。
「終わり!」
「お疲れ様。帰るの?」
「うん。帰りに本屋さんにでも寄って行こうかな」
「そっか。またね」
「臨也さんにもよろしく」――とは言ったものの一体何がよろしくなのか分からないけれど――私は仕事後の決まり文句のようなものを口にすると、沙紀に小さく手を振りながら臨也さんの事務所を後にした。
扉を開く。ビョウ、と小さな音を立てて、目の前を冬の冷たい風が通り過ぎる。思わず身震い。ああ、今日は寒いなぁ。
♂♀
目の前を彼女が通り過ぎて行ったのを確認して、俺はまるで偶然居合わせたかのような態度で声を掛ける。
「やぁ、帰りかい?」
「……臨也……さん」
俺の名前を呟きながらみさきが目を丸くした。本当に驚いているようだ。
「どこ行ってたんですか」
「まるで俺が仕事をほったらかしにして遊びに行ってたような物言いじゃない」
「だって……今日も話してくれなかったじゃないですか」
残念そうに呟きながら、足元の石を軽く蹴り上げる。その行動があまりにも可愛らしくて、思わず唇が綻んでしまった。彼女のこういった行動が、言動が、俺は好きだった。今時の女子高生のようで、どこか浮世離れしている。だからこそ、先ほどの彼女達の会話は非常に面白みがあった。皮肉な事に、シズちゃんが大きく関わっているのが心底ムカついたけど。早くいなくなればいいのに。
おっと、誤解しないで欲しい。俺は必死に聞き耳を立てていた訳でも、盗み聞きをしていた訳でもない。盗聴器が俺の事務所に常に設置してある事に、彼女達がまだ気付いていないだけさ。
「クリスマスの日に言った事ね。うん。あるっちゃあるんだけど……その前に君の事が知りたくなってね」
「……私の事、ですか?」
そう、君。確認するように彼女を指差して言う。
「でも、今日はもう遅いし後日日を改めよう」
「後日?」
「また連絡するからさ。俺のケー番知ってるでしょ?」
みさきはやがて了承し最後に俺に向けて小さくペコリと頭を下げた。そして「お疲れ様でした」、と。
ほんの少しの罪悪感。こうも素直な子を相手にしていると、ほら、俺だって一応人間だから。感覚ばかりはちょいとイカれているけど。自覚はあるよ?警察に尻尾を追われている身としては、今の忙しさが1番ピークに差し掛かってる時期なんだよ。それに加え、アイツに罪を擦り付ける為の工作とかさ。やる事がたくさん過ぎて困るね、ホント。
「ばいばい」
顔に笑みを貼り付かせて。
ああ、アイツが今の俺を見たら思わず鳥肌を立てるんじゃないか。ヤツの前じゃあ造った事のない表情を、俺は彼女に向けている。
「……あ、そうだ」
俺は今自分が羽織っているものを、みさきの小さな身体に掛けてやった。やはり男物ではブカブカだけど、まぁ仕方がない。初めは遠慮していたみさきも、風が吹いた瞬間身を小さく強張らせるもんだから、「寒いのに無理してると風邪ひくよ」そう言って無理矢理押し付けた。
何なんだろうね。この感じ。俺は確かに人間を愛しているけれど、こんなにも不平等に特定の誰かを愛したいと思ったのは初めてだ。誰か教えてくれないかなぁ?素敵で無敵な情報屋でも、理解する事のできない、この感情の名を。