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次の日の朝の事だった。



「5分オーバー」



臨也さんが左手首の腕時計を尻目にそう言った。早朝早々臨也さんから緊急のメール(内容は『話したい事があるから俺の事務所に来るように。速攻で』というご丁寧にも指定時間――勿論時間厳守――が記されたもの)が私の元に届いた。

遅れると何を言われるか分かったもんじゃない。寝ているシズちゃんを起こさないように忍び足で部屋を出て、急いで臨也さんの事務所まではるばる来たというのに第一声がこれときた。



「いや、臨也さんの時計が壊れているんじゃあ……」

「現実を見なよ」



目の前に時計を突き付けられて、私はうっと口ごもったまま何も言えなくなってしまった。お金で雇われている身である以上雇い主には基本逆らってはいけない決まりなのだ、私の場合は特に。ただでさえ大目に見てもらっているのだから。



「ま、とりあえずそこに掛ければ?随分と息切れているみたいだし」

「……どうも」



悠然とした臨也さんの態度に多少不満を感じるも、私は渋々と近くのソファへと腰掛けた。起きたばかりの身体を無理矢理動かしたせいか頭がズキズキと痛い。



「随分と眠そうだねえ。そんなんで大丈夫?」

「まあ、なんとか……」



本当は眠い、物凄く眠い。

昨夜の事があってからシズちゃんの事を妙に意識してしまい、あのままシズちゃんは眠ってしまったものの私はあまり眠れなかったのだ。逆にどうして何事も無かったかのように一晩眠れるのかとシズちゃんに問いたい。しかしそんな事をありのまま話せる訳もなく。



「ああ、もしかしてシズちゃんとヤっちゃってた?」



ああもうこの男は朝から何て事を言うんだろう。途端に頭痛が更に酷くなったような気がした。しかし私は出来るだけ感情を悟られぬよう平然とした態度で言葉を返す。臨也さんは人の感情を読み取るのが上手いから、もしかすると彼には全て筒抜けかもしれないが。



「何でそうなるんですか」

「だってほら、昨日は君達人間のだぁい好きなイヴだったでしょ?ま、俺にとってはただの都合の良い休暇でしかなかったけど」



あ、因みに可哀想だとか思わないでね。行事なんて心底どうでもいいからと立て続けにまくし立てる臨也さんの言葉はどこまでが真意なのだろう。「シズちゃんとはそんなんじゃないです」とハッキリ告げると臨也さんは笑いながら言った。



「へえ?恋人でもないのにまだ一緒に暮らしているんだ君達は」

「……それは、」

「君さ、シズちゃんの事好きなの?」

「!!」



臨也さんの言葉に思わず顔をしかめる。その反応を見るなり臨也さんは「自分でもよく分かってないみたいだねえ」と相変わらず余裕の笑みを浮かべている。何だか物事の核心に触れられたような気がして、物凄く動揺した。実のところ私はシズちゃんをどう思っているのか未だにはっきりしていない。このままじゃあいけない事は、分かってる。

ただ自分の中の何かが確実に変化している事には気付いていた、昨夜だってそうだった。あの心臓の高鳴りは決して偽りなんかじゃあない。



「そんな事を言いにわざわざ私を呼んだんですか」

「おっと失礼。すっかり忘れるところだった」



ちょっと待ってて、と別の部屋へと向かう臨也さんの背中を見詰めながら私の頭には様々な事が過った。私が彼と手を組むキッカケとなった、あの事件の事を。

本当に不思議な事件だったという事は確かに記憶している。最後に見たのは男の手元でギラリと光る切れ味の良さそうな刃。更に印象的だったのが男の充血したような紅い瞳――当時を思い出すだけで背筋が凍るような、そんな錯覚に陥る。



「愛してる」



にやりと歪ませた口端から確かに紡がれた愛の言葉。

甘いはずのその言葉に似つかず振りかざされた小さなナイフの矛先は、確かに私へと向けられていた。





「あの時の事考えてる?」



いつの間にか目の前に立っていた臨也さんが、今度は笑わなかった。笑わずに真剣な表情で私を見ている。



「……なんだか、どうしても頭から離れなくて」

「気持ちは分かるよ」



そう言って臨也さんは優しく私の頭を撫でてくれた。

シズちゃんよりも少し小さくて、体温の低い臨也さんの手の平。私は頭を撫でられるのが好きらしい、頭を撫でられた猫がするように思わず両目を細める。例えつい先程まで悩んでいたとしても、不思議な事に何処か安心してしまうのだ。



「それに関する話もいくつかしたいんだけどさ」

「?」



そう言って「はい」と手渡されたそれは綺麗にラッピングされた青色の小瓶。よく見るとそのパッケージには見覚えがあり、私がシズちゃんにあげた香水と同じメーカーの色違いだった。



「……これ」

「俺も人間の好きなクリスマスってやつを楽しんでみようと思ってね。良かったらこれ、使ってみてよ」



予想だに出来なかったプレゼントに目を丸くする私を見て、今度は実に爽やかな笑みを浮かべて、臨也さんは最後にこう言った。メリークリスマス――と一言。



♂♀



数十分後、シズちゃんのアパートに帰って来るなりシズちゃんが私に抱きついてきた。ほんの少し不機嫌な顔で、テーブルの上には小さな白い箱が乗っている。



「どこ行ってたんだよ」

「え?えーと……散歩?」

「朝の5時にか?」

「……(鋭い)」

「それに臭ぇし」

「えッ、汗臭い!?私、走って来てないよ!?」



シズちゃんが顔をしかめたまま鼻を小さくヒクヒクとさせる。まるで犬だ。やっとの事で離してくれたシズちゃんは、仕方がないと言うようにため息を吐いた。



「今度から池袋出歩く時は必ず俺に一言言え」

「……はい」

「あと、このケーキ食ったら此処を出るからな」

「え、早くない?」



どうして?と訊いてもシズちゃんはただ眉をひそめるだけだった。確かにシズちゃんには帰れない事情があり、訳ありで私のアパートに居候している。一体誰の仕業で誰に追われているのかそれすら今だに分からず終い。いつか教えてくれてもいいのにと内心思っているのだが、なかなか訊く事が出来ずにいるのが現状。



「そうだ、せっかくだから紅茶でも入れようか」

「俺、ミルクな」

「はいはい」



キッチンを借りてやかんに水を注ぎながら私はシズちゃんの様子をじっと眺めていた。ケーキを見て何やら楽しげな様子、シズちゃんが単純で本当に良かった。



「早く食いたい」

「ちょっと待っててね。もうすぐお湯沸くから」

「……つまみ食いっ」

「あ、ずるい」



お湯が沸けて適当なマグカップに注いでいくと、テーブルの上には既に苺が2、3個無くなったショートケーキが皿に盛られていた。





Happy happy Merry X'mas !!

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