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あれからどのくらいの時間必死に逃げ回っただろう。
「チッ、やっと撒いたか」
追っ手が来ない事を確認すると、シズちゃんは忌々しげに舌を鳴らした。
今夜がクリスマス・イヴだという事が幸いしたらしい。夜だと言うのにも関わらず今夜はいつも以上に人通りが激しい。その人混みに紛れる事で私達は何とか逃げ切る事に成功したのだ。
「つ、疲れた……」
酸素不足の肺に酸素をたくさん送り込もうにも、久々に全力疾走した為かカラカラに乾燥した喉が空気に触れる度にツンと痛い。
「も、あの人達に、何したの……!」
「別に何もしてねーよ」
「本当に?」
「ほんとだって」
私がやっとの事で言葉を紡いでいるのに対し、シズちゃんは特に息切れる様子なく至って平然としている。
異常な回復力に加え疲れにくい体質ときた。そんな事を内心考えながら恨めしげにシズちゃんを見つめていると、シズちゃんが申し訳ないと言いたげな表情で頭をわしゃわしゃと掻いた。
「大丈夫か?」
「……」
「なんか、凄ぇ息切れてるけど」
「だ、大丈夫……じゃない、かも……」
普通あれだけ走れば息切れだってする。しかも制服姿のままこんなに走る事になるなんて考えた事もなかった。走りにくい事この上ないし、元々体育会系ではない私の身体には既に限界が訪れている。今にも息切れで死にそうだ。明日は全身筋肉痛でほぼ確定だろう。
シズちゃんはそんな私の様子を暫くじっと見ていたが、やがて私の目の前で屈むようにして座り込んだ。シズちゃんの大きな背中を目に私は小さく首を傾げる。
「……何してんの」
「おぶってやる」
「! え、いいってそんな!だってここ、人通り多いよ!?」
「見りゃ分かるだろ」
「そ、それに私、重たいし……ひゃあッ!」
「あーもう、面倒臭え」
無理すんじゃねぇよ、とシズちゃんがボソリと呟くと同時に私は半強制的に抱き抱えられた。急に見映えの良くなった視界に思わずバランスを崩しそうになる。
「(うわ、軽)」
「だ、大丈夫?潰れない!?」
「こんなんで簡単に潰れねーよ」
「……無理してない?」
「ヨユーだって」
シズちゃんは身長が高い割に、それこそ適度な筋肉は身体に備わっているものの身体が異様に細いのだ。私の体重で折れてしまいやしないか何度も何度も確認するうちに、シズちゃんは静かにため息を吐いた。
「無理してんのはみさきの方だろ。分かるんだよ、お前分かりやすいから」
「う、」
「でも、その……悪かったな。俺が厄介事を持ち込んだばかりに」
「……」
「……ごめん」
ほんの少し下がる肩。
時刻はもう既に夜の7時だった。本格的に彩り始めた池袋の街、イルミネーションに照らされた街中をシズちゃんと歩く。私は抵抗する事も忘れて光が織り成す世界に見入っていた。シズちゃんの肩に置いた両手にほんの少し力を入れる、何故だかそうせずにはいられなかったのだ。シズちゃんは何も言わずに優しく頭をポンポンと撫でてくれた。
「どこに向かってるの?」
シズちゃんはその歩みを止める事なく、ただ目的地に向かってまっすぐ進む。ずっと考えていた素朴な疑問を口にし、すぐに返って来た目的地の名は意外にも馴染み深いあの場所だった。
「来神」
「えッ、……学校?」
こんな時間に勉強をしに行くはずがない。しかも今夜はクリスマス・イヴ、生徒も教師もとっくに帰路についてそれぞれのイヴを堪能している頃だろう。だからこそ誰もいるはずがない。
私の言いたい事が伝わったのか、誰もいない方が好都合なんだよとシズちゃんが意味深な笑みを浮かべる。
「ほら、着いた」
「(ほ、本当に来ちゃった……)」
目の前には見慣れた来神学園校舎。街中がイルミネーションで光々と輝いているのに対し、誰もいない校舎はやけに寂しくも見えた。
シズちゃんが背中から私を降ろす。久々に地に着いた足取りは何処か覚束無い。
「ちょっと待ってろ。確かこっちの方だったような気が……」
「? そっちの方には何もないよ」
「いや、あるんだよ。昔壊した……お、あった」
シズちゃんの指差した方向を見ると、人1人が屈んでやっと抜ける事が出来るだろうか否か――そのくらい小さな校庭への抜け道が茂みの中に隠れて存在した。
良かった、まだ直されてなかったのかとすぐ隣でシズちゃんが安堵の声を漏らす中、私は何だか見てはいけないものを見てしまったような気持ちになった。なんせ彼が来神を卒業したのは数年前の話である。学校側はこれに気付いていないのか或いは敢えて残しているのか、どちらにせよ不安。
「よっと」
「え、今から入るの?」
「当たり前だろ。別に懐かしむ為にここに来た訳じゃあねぇよ」
「そりゃあ、そうかもしれないけど……」
ほら、とシズちゃんが差し出した右手を、私はチラリと校舎を見ると躊躇なく手に取った。ごめんなさい、でも決して疚しい事をしに来た訳じゃあないんです。
これが不法侵入で訴えられやしないだろうかと唯一それだけを心配しつつ、私は次第に高まってゆく胸の高鳴りを抑えられずにいた。