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秘書――とは?専門的に答えればこうだ。要職にある人などに直属して、これを助け、また機密の文書や用務をつかさどる職。またはセクレタリーとも言う。
だけど違う。私が欲しい答えは、辞書を引けば自ずと出てくるような、そんなありふれたものじゃない。秘書という仕事がとてつもなく重要な職だという事は理解してる。だからこそ分からないのだ。出会って数分にも満たないこの男が、何を根拠に私なんかをスカウトしているのか、これだ。
「ね、どう?やってみない?」
臨也さんの言葉で我に返る。確かにバイトは前々からしたいと考えていた。それはシズちゃんにも話してある。しかし秘書となると話は別である。それこそコンビニのレジ打ちだとか、そういうものとは訳が違う。
「バイトだと思ってくれていいよ?給料も高くつけるし」
「え、ぅあ……」
「そうだなぁ、ざっと時給万単位で」
「!!?」
何を言ってるんだろうこの人。
驚きと同時に、男の話す事への不信感がだんだんと積もり積もってきた。世の中そんなに甘くないんです。
「あれ、疑ってる?」
「そりゃそうです」
「困ったなあ。俺、結構本気なのに」
「……」
「でもさ、正直君みたいな学生さんがシズちゃんと暮らして行く為の給料をそこらのバイトで稼げるとは思えないし、もし出来ても風俗だとか、そんなもんだよね」
臨也さんの言う事はもっともだと思った。たかが高校生――近くのコンビニだと時給はせいぜい750円だったような気がする。おまけに学校に毎日通うとなると、すぐに身体を壊しかねない。都心の場合は特に。
「シズちゃんともよろしくやっちゃってるみたいだし?」
「! これは……!」
「ああ、それとも無理矢理だった?君の手首の痣を見るからに……まぁ、あくまで俺の推測だけど」
シズちゃんも案外鬼畜なんだねぇ。冗談めいた口調でそう呟き、臨也さんは私の右手を取ると、赤黒く変色した痣をペロリと舐めた。
「!!」
「……ま、いいや。とりあえずこの話は保留って事で。第一君は俺の事を何も知らないだろうし」
これが彼なりの気の使い方なのだろうか、それとも私をからかっているだけなのだろうか。やっぱり臨也さんの真意は分からないままだ。男の人って難しい。臨也さんもシズちゃんも、一体何考えているんだろう。
そこで私は、ちゃっかりと臨也さんの連絡先を携帯に受信している自分に気が付き、臨也さんのペースにまんまと乗せられている自分が何だか情けなく思えた。
「……で、用件って何だったんですか」
「忘れちゃった」
「……」
「ごめん嘘。だけどいいじゃない、今はそういう事にしておいて」
紅茶はもうぬるかった。臨也さんは、マグカップに残っている紅茶を一気に飲み干すと「ごちそうさま」と言って笑った。
「やっぱ君、紅茶を煎れるセンスあると思うよ。秘書にうってつけのスキルだ」
「……ありがとう、御座います」
「あはは、そんなに固くならなくていいのに。タメでいいよ」
「あの、折原さん」
「臨也でいいって」
「じ、じゃあ臨也さん」
聞きたい事は山程ある、そりゃもうたくさん。呼び捨てで良いのに、と臨也さんは言ったが、歳上の人には敬語を使えと昔から言われ続けている社会の常識に私は取り合えず従った。
「シズちゃんとは……どういった関係なんですか」
「んー……それは実に難しい質問だねぇ。高校の同級生、て言っちゃえば早い話なんだけど」
簡単に言えば殺したい程憎いヤツかな?、と満面の笑みで躊躇なくサラリと言ってみせた臨也さんが一瞬恐ろしくも見えた。とりあえずいちいち笑うのは止めて欲しい。余計怖いのです。
「……へぇ、」
「あれ?理由は聞かないんだねぇ」
「もう、いいです」
――なんか……疲れた。
ぬるいどころか冷たくなってしまった紅茶を、喉の奥へと流し込む。とりあえずこれ以上深く考えるのはやめておこう。2人の過去に何があったかなんて、わざわざ第三者が立ち入る必要性などない。というより、正直に言うと、立ち入りたくないと直感的に思った。
「じゃあ、秘書の件。考えといてね」
「はぁ」
これから仕事の都合があるらしい。一度はソファから浮かした腰を、何かを思い出したように一瞬止め――
「あ、そうそう。良かったらここ、来てみるといいよ」
そう言ってフード付コートのポケットの中から、1枚の小綺麗にたたまれたメモ用紙を私に手渡した。
「……URL?」
「とあるチャットのURLさ。職業柄、街の噂とかには結構敏感なんだけど……いいよ、ここは。たくさんの情報が渦巻いている」
「……」
「気が向いたら見てごらん」
臨也さんはそれだけ私に告げると、早々と部屋を出て行ってしまった。まるで大型の台風が去った後の、何とも言えない虚しい感じ。
手元の用紙へと視線を落とす。どこかで見た事のあるような、とても綺麗な文字だった。