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白み始めた冬の空。布団の温もりを感じながら、私はゆっくりと瞼を開いた。すぐ隣に目を向けるとシズちゃんは既にいなかった。多分、仕事なのだと思った。
のそのそと布団から抜け出し、ひんやりとした冷たい空気を直接素肌に感じる。
――……寒い。
――風邪、ひいたかも……
ずず、と鼻をすすり小さく身震いする。シズちゃんのいない布団は冷たかった。
人の体温の有り難みを改めて実感する。山奥なんかで遭難した男女が裸で温め会う――そんな使い古したような少女漫画チックな話があるけれど、もし自分がその立場になったとして、いかにその行為に需要性があるのかが分かる気がする。
「………」
目が覚めて、頭がやっと動き始めた頃になって、昨日の事を思い出すだけで顔と身体がだんだんと熱くなってゆくのを感じた。やっぱり昨夜の私はどうかしていたのかもしれない。普通じゃないどうかしてる……!
今だにシズちゃんの唇の感触が残る自らのそれに、そっと指先で触れてみる。男の人にしては意外にも柔らかくて、心地良かった事を記憶してる。また唇で触れてみたい――なんて、そう思ってしまう自分が何だか無性に恥ずかしい。
「(何やってんだか、私)」
何度も繰り返し同じ事を考えた、それでも答えは見つからない。無限大エンドレスだ。とりあえず簡単な部屋着を身に纏って、冷蔵庫の中を漁ろうとソファを立ち上がった当にその時、ピンポーンと気の抜けたようなチャイム音が部屋の中に響き渡った。セールスだろうか、もしくは郵便物かもしれない。もし、何か得体の知れないセールスマンだったら無視してしまおう。
「はーい」
対応が面倒だと内心思ったりもしながら、とてとてと軽く駆け足で玄関へと向かい、背伸びして扉の小窓を覗き込む。そこにいたのは面識のない見知らぬ黒髪の男。恐らくシズちゃんの知り合いか何かだろう。
「? ……あの、」
「こんにちは。いや、初めましてかな?苗字みさきさん」
とりあえず他に人がいない事を確認し、静かに扉の鍵を開ける。恐る恐る尋ねた私の言葉に対し、男は私の名前を何の躊躇なく言ってみせた。まるでずっと以前から私の事を知っていたかのような口振りで。今目の前にいる男は確かに初対面のはず。それなのに、どうして私の名前を知っているのだろう?
「驚いた顔してる」
「!」
「ああ、でも安心して。俺は盗みに入る程お金に困ってはいないから」
果たしてその言葉で本当に安心できるのだろうか、男の真意は分からない。警戒の目を向ける私を差し置いて、己の名前を口にする。
この時の私は知らなかったのだ。いや、正確には知る由もなかった。この男がセールスマンなんかよりも、ずっとずっとタチの悪い来訪者なのだということを。
「俺の名前は、折原臨也」
「シズちゃんの……ちょっとした知り合いさ」
♂♀
「へぇ、その歳で独り暮らし?」
結局シズちゃんの知り合いであると聞き、初対面ではあるものの部屋の中へ招き入れてしまった。臨也さんにそう問い掛けられ、そういえば、とふと思い返す。
事実、独り暮らし経験は2日間にも満たない。シズちゃんと暮らし始めたのが上京してから2日目の夜なのだという事を告げると、臨也さんは面白おかしく「やっぱり」と言った。
「? 何が、ですか?」
「んー?こっちの話」
とりあえずソファに座ってもらい、簡単なお茶でも出そうかな、とガスコンロをカチリと回す。ぼわり、と青い炎が点く音がした。
「何か飲みますか?」
「紅茶。砂糖抜きの、ミルク入りでお願いできるかな」
ミルクティーなら私もシズちゃんも大好きだから、常にキッチンにティーパックを買い溜めしている。ただこの男が甘党な私たちと異なる点を1つ挙げるのだとしたら、それは砂糖を入れないこと。
「臨也さんも紅茶、好きなんですか」
「結構好んではいるかな。コーヒーよりも飲む習慣あったから」
すぐに沸いたやかんのお湯をティーパックの入った2つのマグカップに注ぎ、ほんのりと色づいたお湯を確認するとおぼんに乗せて慎重に運んだ。臨也さんには砂糖抜きの青い方を手渡して、私も両手で自分のマグカップを持って隣に座る。
しばらくは飲まずにマグカップの温かさを両の掌で堪能していると、臨也さんが紅茶を一口啜って言った。
「シズちゃんとはどう?」
「どう、って……普通、ですけど」
「ふぅん?それじゃあ……その首筋の跡はなぁに?」
「?」
「鏡、見て来なよ」
――……首筋?
一体そんなところに何があると言うのだろう。マグカップを一旦テーブルの上に置き、恐る恐る手元にあった小さな手鏡を覗き込む。
臨也さんの言う首筋へと目を向けると、初めは見落としてしまったものの、確かに『何か』がある事だけは確認できた。その『何か』を確かめるべく、私はじっと目を凝らして見る。
「……え」
「まさか、この時期に虫刺されって訳でもないだろうしねぇ」
紅い跡――それは、昨夜の情事を思い起こさせるには十分過ぎるものだった。臨也さんが鏡を覗き込む。鏡に写る臨也さんと目が合って、恥ずかしくなって目を背けた。いつの間につけられていたのだろう。私にとって昨日の体験は全てにおいてが初めてで、恥ずかしさと焦燥で頭がぐちゃぐちゃだったから、何が何だか分からなくて。臨也さんはさも楽しそうに笑うと、
「うん。気が変わった」
「……は、」
「単刀直入に言うけどさぁ」
「君、俺んとこで秘書をする気はない?」