>13
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
何か、隠している。
初めはただ単に直感だった。何もそう感じたのは今日が初めてではない。多分それは出会って翌日のこと。
「……悪ぃ。ほんの少しだけでいいから」
そう呟きながら私を抱き締めるシズちゃんの腕は、ほんの少し震えていた。まず最初に驚いたのが、腕を引かれたあの時の力が振り切れないほどに力強かったということ。あの細い身体のどこからその力を出しているのだろうと、純粋に疑問を抱くくらいに。ほんの少しだけ痛くて怖くて。唐突過ぎて喉から驚きの声すら出ない状態だったけど、私を包み込むその力がやけに弱々しく感じた事を今でも鮮明に覚えている。誰にだって人に言えない秘密の1つや2つはある、私だってそれを無理に聞き出そうとするほど無神経ではない。
ただ、ちょっぴり寂しいだけなのだ。私はシズちゃんを心の底から信頼していて大事に思っているというのに、シズちゃんは私に胸の内を明かしてくれないのだろうか、と。私が力になる事は出来ないのだろうか?
「寂しい……、のかなぁ」
浴槽に肩まで浸かり、白い湯気で充満された空間をただぼんやりと見つめる。携帯に防水ケースを装備して特に好きでもない流行りの曲なんかを優雅に聞きながら、私は両手でシャンプーをひたすら泡立てていた。
シズちゃんはきっと寂しがっている、何かを私に求めている。同時にそんな彼を拒めない自分がいることも確かな事実。彼が時折見せる寂しげな笑顔が、頭に染み付いて離れない。どうしたらそんな彼を癒す事が出来るのだろうかと、最近悩まされる事が多くなった。
「……みさき」
それは今にも消えてしまいそうな、本当に小さく掠れた声。強い腕の力とは裏腹にその声音は酷く優しかった。まるで愛に餓えた捨て猫のように。何かを私に訴えるかのように。
ザアザアと絶え間無く降り注ぐ生温いシャワーを浴びながら、それでも胸の奥につかえるモヤモヤまでもが綺麗に流される事はなく。
「何考えてるんだろ、私」
そっと呟いたその言葉に適当な答えは見つからない。
違う、積極的に見つけようとしないのは間違いなく自分自身だ。何よりも1番分からないのは、自分自身の気持ちなのに。説明すらままならないこの感情を一体何だと言うのだろうか。自分に何かが欠落していると実感するのは、いつだってこういう時だった。例えば相手に愛を囁かれた時、それを拒んでしまう私がいて
――いや、違う。あれを愛だなんて呼べる訳がない。
――あれは、……違う。
かつて愛を囁いた――同時に私を刺そうとした赤い眼をした男の事を思い出しながら、私は心の中で必死にそれを否定した。愛する者を傷付けるなど決して許される行為ではない。そんな過去を紛らわしたくて、お気に入りの石鹸を手の中で弄ばせながら私は何となくモザイクの掛かった小窓から都会の夜空を覗き見る。
面積の狭い割には人口の多い、人間のごった返すこの都心部で。排気ガスだの何だの、とにかく人体だとか自然に有害そうな物質を年がら年中吐き出していそうな、そんな嫌なイメージは途端に吹き飛んだ。都心部でもこんなに綺麗な星空が見れるなんて、嘘みたい。
「……綺麗」
薄暗い夜空には幾万もの星と、まるい月がぽっかりと浮かんでいた。ああ、今夜は満月だろうか。ただぼんやりと眺めながら、月にウサギはいるのだろうかなんて幼稚じみた素朴な疑問は解消される事もなく、それは様々な思考と共に夜空に小さく浮かんでは消えた。
さて、そろそろ上がらないと。そしてその後シズちゃんと一緒にプリンを食べよう。お風呂上がりのプリンは格別に美味なのだ。まったく、ただでさえ逆上せやすい体質だというのに――
「……みさき?」
ああ、ほらみろ。待ち兼ねたシズちゃんが心配して来てくれちゃったじゃんか。
「ごめんシズちゃん。今上がる……か、ら……」
「? お、おぅ」
1枚薄いドアの向こう側から聞こえてくるシズちゃんの声。何だか少し声が上擦って聞こえるのは、私の耳がおかしいのだろうか。体を持ち上げると同時にチャプン…と水滴が飛び散る水音が小さな浴室に木霊した。火照った身体が浴室内の湿った空気に触れ、ほんの少し肌寒くも感じられる。
身体を拭く為のタオルを手に取り、そして――
「!」
グラリ。足元を軸にして世界が大きく揺らいだ。
「(やば……)」
「(気持ち…悪……ぃ)」
どうしようもない吐き気が私を襲う。薄れゆく視界の中で最後に見たのは、何かを必死に叫びながら浴室の扉を蹴り飛ばして、心配そうに私を抱き抱えるシズちゃんの焦った表情だった。