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苗字みさき。胸元まで伸ばした、何色にも染まっていない長い黒髪。顔には何も施していないもののその顔立ちは端整であり、今時珍しくも第一印象は純情な印象を抱いた。俺の住む辺りじゃあケバい女子高生ばかりで、個人的には濃いメイクで顔を誤魔化す女は好きではない。だからこそみさきは本当に素で可愛いんだと思う。いや……かなり。
みさきと共に過ごしてきたこの期間中、知る事のできた数々のことがある。そして最近になって分かってきたことは――どうやら俺はみさきの隣が物凄く居心地が良いらしいという事だ。
「みさき、」
家に着くなり、俺はまだ玄関だというのにも関わらず大量の荷物を全て下ろすとみさきの体に抱き着いた。
始めは驚いてその小さな身体をビクつかせるも、徐々に俺を受け入れてくれる。
「わ、ビックリした……どうしたのシズちゃん」
「………」
「シズちゃんは抱き着くのが本当に好きだねー」
手を伸ばしてみさきの身体に触れる度、つい抱き締めたい衝動に襲われる。初めはただ、人のぬくもりを身近に感じていたかっただけかもしれない。そんな純粋な動機が、今は少しずつ下心へと変化しつつある。以前「もしかして外国に暮らしていた経験ある?」だとか聞かれたことがあったけど、その時は色々と誤魔化して曖昧に返しておいた。
勿論そんな経験、俺には皆無。ただみさきに触れていたいから、こんな単純で不純な動機言える訳がない。
「ねえ、シズちゃん」
「?」
「何度も聞くけど……シズちゃんの本当の名前って何て言うの?」
「……」
「ね、そろそろ教えて?」
こうしてお互いの身体を密着させていると、いかに俺とみさきに身長差が生じているのかは一目瞭然だ。頭1つ分――いや、25センチはあるだろう。だからこそ必然的な事なのだが、俺の顔を見上げる小さなみさきがあまりにも可愛くて愛しくて。ついつい愛らしい小動物を連想してしまう。
今までに何度、悩んだだろう。何度打ち明けようと考えただろう。みさきには俺の本当の名前で呼んで欲しい。みさきの可愛らしい声で静雄、だなんて呼ばれてみたい。ああ、さん付けも捨てがたいな、だなんて。
「でも……」
「?」
「みさきにシズちゃんって呼ばれるの、俺、結構好きなんだよなぁ」
「なんで?」
「飼い猫みたいで気持ちいーから」
それはかつて、高校時代に日々殺し合いの喧嘩をしたあいつが、皮肉を込めて呼んだあだ名。そんな奴がつけたあだ名なのだから大嫌いなはずなのに、みさきに呼ばれるとその響きが不思議と物凄く心地よいのだ。
じゃれるようにみさきの髪に顔を埋めると、ふわっと微かに香るシャンプーのにおい。みさきのにおい。半分が冗談半分が本音を口にしてみると、みさきはやや不思議そうな表情で俺を見上げ、小さく首を傾げた。
「……シズちゃん、私の猫になりたいの?」
「ふははッ、どーだろうなぁ」
「でも、シズちゃんは猫って言うよりは犬……て感じかも。だって……」
ワガママで気ままな猫とは違って、シズちゃんは忠実な良い子でしょう?そう言って笑うみさきを前に、今日も俺は僅かな罪悪感を密かに胸に抱くのだった。
多分、きっと、いや……絶対。俺はみさきの事が好きなんだと思う。それが家族や友人に対する愛情ならば俺はこんなにも毎日思い悩むことなんてなかっただろう。みさきといると気が狂いそうになる。それはかなり皮肉なことにも、俺が臨也へと抱いている感情にとてつも無くよく似ていた。臨也に抱く『イラつき』とみさきに抱く『何か』。よく似た2つの感情は俺の意思なんて無関係に、ただただ強大な暴力だけが一人歩きして俺の身体を突き動かす。気を抜いたらすぐにでも身体が勝手に動いてしまいそうで、小さなみさきをいとも簡単に壊してしまいそうで。俺はみさきが自分から離れてしまうのを、心の底から恐れているのだ。
「(俺は……どうしたら良い?)」
何度問い掛けても答えは出ない。それは答えの出ないなぞなぞのような、もしくは元々答えなんて存在していないのかもしれない。ただ、みさきを手放したくないという気持ちに変わりはない。出来る事ならこれからもずっと、永遠にみさきのすぐ傍にいれたなら――
だが、この時の俺はまだ知らなかった。自分のズルさと欲の深さ。怒りと同様に強く感じるみさきへの感情が、こんなにも歪んでいたなんて。だけど気付いてしまうのが怖くて怖くて、自分の気持ちを誤魔化した。