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「それじゃあ苗字は、本校に入学と言う事で……」
私の住む新宿から、電車に乗って早数分の場所にある東京――池袋。
池袋は常に賑わいを見せており、東池袋の川越街道沿いに位置するこの私立来良学園が、これからの生活の基盤となる私の転校先だ。
「クラスは2年A組でよろしいかな?」
「あ、はい」
「何か分からない事があったらすぐに電話しなさい」
新しい制服にたくさんの教科書、その他もろもろを両手で持ち、私は頭を下げて御礼を告げると先生(北駒先生と言うらしい)は笑顔で応えてくれた。第一印象は気難しそうな人だと思ってはいたが、実際言葉を交わしてみると意外と話しやすい人のようで安心した。
大量の荷物によろけながらも広い校庭に出ると、肌寒い秋の風が前髪を僅かに揺らした。ほんの少し感じる冬の気配。視界を上げると立派な校舎が大きな存在感を醸し出していた。さすが都心の私立校……最近の高校生に人気があるというのも頷ける。私としても、綺麗な校舎と充実した設備はかなりの魅力だったのだ。
「(制服もブレザーで可愛いし)」
「(家に帰ったら早速着てみよう)」
ちょっぴり期待で胸を膨らませながら両手の荷物を抱き抱えるように持ち、桜の木が立ち並ぶ校門を横切って少し歩くとすぐに明治通りに出る事ができた。冬の桜はほんの少し寂しい気がしたけれど、春になったらきっと満開に咲かせた綺麗な桜が新入生や卒業生を毎年見守っているのだろう。
ふと日常生活に馴染みのあるコンビニが視界の端に入り、私は思い出したかのように携帯を取り出すとシズちゃんにメールを打った。返事はすぐに返って来た。
To シズちゃん
Sub 今終わったよ
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今日は何食べたい?
From シズちゃん
Sub お疲れ様
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何でも
To シズちゃん
Sub なんか疲れた
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その解答が1番困るよ
From シズちゃん
Sub 手貸しに行こうか
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じゃあ……プリン?
To シズちゃん
Sub 池袋だよ?分かる?
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え、プリン?夕食に?
[送信しました]
メールの送信ボタンを押してから少し経つとすぐに着信音が鳴り響いた。きっと相手はシズちゃんだろう。
「もしもし?」
『……俺だけど』
「あ、やっぱりシズちゃんだ」
『今どこにいるんだ?』
「えーと、明治通りにあるコンビニの辺り……あ、近くに何か看板がある」
『ああ、分かった。すぐに行く』
「え、今の説明で分かったの!?」
『……まあな』
その後、シズちゃんは『とにかく寒いからコンビニの中で待ってろ』とだけ言うと、電話を一方的に切ってしまった。言われた通りに暖かいコンビニへと入り、デザート売り場で新商品のプリンを眺めていると、シズちゃんが到着するのにそう10分とはかからなかった。
早すぎない?と尋ねるとシズちゃんもたまたま池袋にいたのだと言う。それにしても、あんなに曖昧な説明ですぐにこの場所が分かったのだとすると、相当ここ周辺を知り尽くしているのか、あるいは近隣に住んでいた経験でもあるのか。どちらにせよ、シズちゃんが私の為に急いで来てくれたことが素直に嬉しかった。
「そうだ。ついでにここでプリン買って行こう?」
「や、でも俺、今金あんま持って来てねーや」
「良いよそのくらい。私が出すから……あ、私これにしよーっと」
最後まで渋っていたシズちゃんを納得させ、結局2人とも同じプリンを選びカゴに入れる。コンビニのレジに並びながら買い物カゴに入っている2つの『なめらかプリン』を見て、私は思わず吹き出してしまった。
甘党だとは聞いていたけど夕食にプリンとか……何だか意外というか、可愛い。
「プリン好きだね」
「だって、うまいし」
「じゃあヨーグルトとプリンがあったら、シズちゃんはどっちを取る?」
「う、」
何気なく聞いてみただけなのに、本気でううむと頭を抱えて悩み出すシズちゃんを他所に私はふと考えた。
思えばシズちゃんと衝撃的な出逢いを遂げ、明日で丁度1週間が経つ。よくよく考えてみれば、私はシズちゃんのことを何1つ知らない。年齢に職業、詳しい事は勿論、彼の本名さえも。
「あ、飲み物」
「ん?」
「ウチに麦茶しかないから、シズちゃん好きなの買って良いよ」
「……」
「遠慮しなくていーよ。明日あたりに親から仕送り来るだろうし。そのうちバイトしようと思うんだ」
「え、まじか」
「うん、まじ」
そして会話の内容はバイトの話題へ。シズちゃんは自らの苦々しいバイト経験談を、色々と語ってくれた。
お弁当を不慣れな手つきで温めているバイト中の高校生(多分私と同年代だろう)を遠目に、シズちゃんは懐かしそうに目を細める。
「そういや俺、初めてのバイトはレジの会計やったっけなぁ」
「へえ!どのくらい働いてたの?」
「3日」
「……は?」
思わず自分の耳を疑う。
3……日?3週間の間違いじゃなくて?長続きしないにも程がある。
「な……なんで」
「あー……何か俺んとこに来た奴がすげぇふざけた野郎で、キレちまってさ」
「……」
「で、思わずレジの機械ぶっ壊しちまって。散々怒られてクビになった」
「……へえ」
笑いながら話す割には内容が随分とおっかない。……ていうか、あれ?レジの機械ってそんなに簡単に壊れるもんだっけ?なんて常識を覆すような過去話に疑問を抱きつつ。その後も次いでガソリンスタンドのバストやヒーローショーの悪者役など、数多くの仕事を経験して来たらしいが、長く続いた試しがないらしい。
バイトがいかに大変なことかを実感した。……流石にキレた相手の車をヘコませてしまったり、ヒーローショーで逆にヒーローを倒しちゃうような下剋上は普通ならしないと思うけれど。
「……まさか、」
「?」
「シズちゃんが追われていたあの柄の悪い男たちって、借金取りなんじゃ……」
「いや、違ぇよ」
今の話を聞く限りまともに仕事が出来ていない風に聞こえもしたけど(いや、誰が聞いても多分私と同じ疑問を口にするはず)シズちゃんが即答してくれて、どことなく内心ホッとした。
そんな私を横目に「変な奴だな」と薄く笑い、気を取り直したように飲み物コーナーへと目を向けるシズちゃん。たくさんの飲み物へと手を泳がせながら一言。
「ま、高校時代にバイトはしなかったな」
「へぇ、意外かも。真面目に勉強してた?」
「俺がそんなんに見えるかよ」
「うん、見えない」
「……(即答かよ)」
「ごめん嘘だよ、嘘。じゃあ何してたの」
「……ノミ蟲の、駆除?」
「何それ」
私は飲む物に特に悩む事なく、あっさりとリプトン(ちなみにミルクティー)を買い物カゴに追加した。私の好物の1つなのである。
シズちゃんもしばらく悩んではいたものの、最終的には500ml紙パックの牛乳を選んだらしい。どうやら彼は牛乳好きのようだ。
「ああ、そうだ」
袋を片手にぶら下げて、コンビニの外へと出る。ビュウと秋風が髪を揺らす。またもや感じる、冬の気配。
ありがとう御座いましたーと、やけに語尾を伸ばして話す活気に満ちた若いコンビニ店員の声を背中に受けながら、シズちゃんは私の方を見て静かに微笑んだ。
「やっぱ、プリンもヨーグルトも選べねぇな」
何だそれ、反則。