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「……あーあ、」



ザアザアと降る雨の中、傘を片手にふと立ち止まる。

真新しい血痕が点々と道筋に沿って残っているのを見て、俺は思わず何とも言えない笑みを浮かべた。殺したいほど憎らしくて、且忌々しき存在を思いながら。



「(やっぱり、この程度じゃあ死なないか)」



フードのポケットに軽く触れる。指先で撫でるゴツゴツとしたそれ。信じられる?これで人が簡単に死ねるんだよ?自らの頭に銃口を向けて引き金を力強く引く勇気さえあれば、痛いなんて感覚を感じる前に即あの世行き。ばーん!、てね。

ま、俺は無神論者だから天国だとか地獄だとか、そういった類いのものは全く信じちゃいないんだけどさ。



「つくづく思うけど、ほんと、化け物だよねぇ」



当たり所が良かろうと悪かろうと、これだけの出血量なら死ぬのだろうけれど、それは世の中の平凡な人間の持つ知識。確かに、人間が相手ならば、その知識は大いに役立つだろう。その浅はかな知識を利用して、憎い相手を殺すべく、各地では殺人が勃発するのだから。
人間は、銃で撃たれたら死ぬ。それで死ねないのなら化け物だ。ならば考えてみよう、仮に相手が本物の化け物だとしたら?俺は、その本物の化け物に値する人間を知っていた。いや、奴を人間と呼ぶのはやめておこう。本物の銃で撃たれようと、彼は死ななかったのだ。

鼻歌混じりに、拳銃特有のゴツゴツとした感触を右の手の平で楽しみながら、俺は雨で滲んできた血痕を見落とさぬよう、視線を下げて跡を辿った。ただ、痛みに苦しんでいる奴の顔を一目見ることさえできれば、俺としては十分だったのに。俺は、もっと面白いモノを見付けた。



♂♀



池袋 某マンション



「……もうこんな時間か」



長時間パソコンへと向けていた疲れた目を何度かしばたたかせ、背もたれに全体重を任せるとぐ、と大きく伸びをする。出かかった欠伸を噛み殺し、ひとつ息を吐くと気だるさはもう既に感じられなかった。

ついこの間の出来事をふと思い出し、口の端を歪めて笑う。実に滑稽な話。シズちゃんみたいな化け物に救いの手を差し伸べてくれるような人間がこの池袋にいたなんて。これだから人間は飽きないのだ。熱い探求心に胸が疼くのを感じる。



――……あるいは、

――今だにシズちゃんの本性を知らない、だとか。



「……さて」



窓の外に目をやる。

見慣れた池袋の景色、見慣れた人間共。ここには俺の事をよく知る人間が多過ぎる。実にやりにくく、そして不愉快な事この上ない。



「そろそろ俺は姿を眩まそうかなぁ」



警察にシズちゃんの異常さは伝わっているはず。逮捕こそはできないものの、シズちゃんの名前は既に警察の間では知れ渡っている。

仮に、俺が池袋で犯した罪をシズちゃんに擦り付けたとして、誰1人疑う者はいないだろう。あいつはそれ相当の化け物なんだから。



「何もせずに消えるっていうのは、実につまらないだろうからねぇ」



タイミングを見計らい次第シズちゃんにはとびっきりの贈り物を残していくとしよう。何てったって俺たちは、良くも悪くも海よりも深く、そして簡単に拭いきれぬ程の関係なのだから。

そして、あのシズちゃんが気を許す数少ない人間の中で最も特別な存在――苗字みさきの件。彼女は観察対象として最も興味深い人間だった。まるで飢えた獣が絶好の獲物を捕らえたかの様に、それまでに俺は人間に対する様々な興奮を『苗字みさき』に感じていた。パソコン画面に大きく表示された、1人の少女の写真をこの目に焼き付けて。



――これからどんな展開が俺を待っているのだろう?

――どんな風に俺を楽しませてくれる?

――……ああ、もう俺は楽しみ過ぎて待ちきれないよ!実に楽しみだなあ。楽しみだなあ。楽しみだなあ!



「ゲームを始めるとしようか」



思わず漏れる心の声に当然ながら応える者は誰もいない。それは蚊帳の外にいる俺でしか知らない、楽しいゲームの始まりの合図。歪んでゆく、歪んでゆく――それはあまりにも酷く美しい程に歪んでゆく。そんな展開を脳内に思い描いた。

俺は人間を愛していた。自身が人間であるが故に、正確には『自分以外』を。ただ、その「好き」という感情は、特定の誰かへと向けるものではない。例えば、巣の中を蠢く蟻の生態を子供が覗き見るような――そんな意味での「好き」だった。俺は確信する。人間に関わるもの全て――例えそれが唾棄すべき悪意なのだとしても、それらを等しく平等に愛する自信が自分にはあるのだと。俺は思う。それはまさしく"愛"なのだと。



――駒はそろった。

――盤も広げた。

――最後に……仕上げ。



彼は、気付いていない。愛でるべき対象が、徐々に絞られてきている事に。

彼はまだ気付いていない。

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テーマ「人外ファンタジー」
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