浮気について考えた。

※未来捏造、社会人、同棲設定。
※社会人なので飲酒してます。
※アンチ浮気(不倫)話。










「なあ、浮気ってどう思う?」

 不意打ちだった。
 青天の霹靂といってもいいくらいの唐突過ぎる話題だった。高尾和成は灰色の双眸をこれでもかとまん丸にして、お互いの肩同士が触れ合う程の極近い距離に座り、涼しい顔でコンビニで買っておいた酎ハイにちびちびと口を付ける愛しい恋人――伊月俊の姿をまじまじと凝視する。

「……は?」

 思考が追い付かない。否、全速力で追い抜いて、遙か彼方に置いていってしまったのかもしれない。それぐらい伊月からもたらされた疑問――正確にはある単語なのだが――を理解したくはないのかも知れなかった。
 だって、だって……。

「だから。浮気ってどう思う?」

 あ、萌えそで可愛い。
 じゃなく! 浮気?! なにそれどういうこと?! と高尾は一瞬伊月の萌えそでに気を逸らされるもすぐに自分を取り戻し、内心で台風のように荒振り始める。
 何の変哲もない土曜日、早云年を共に過ごしてきたお互いの城で、片や酎ハイ片やビールを片手に明日の予定をちまちま話ながら、惰性で見ている旅番組をBGMにまったり過ごしていた筈。このままいい雰囲気になったら、ベッドの上で濡れた熱い夜を過ごすのもいいかなー! なんておめでたいことを考えていた時間もあった。
 ――何を、オレは、何を間違った……!
 いいや、何も間違ってなどいない。絶対に。自分は伊月の幸せを壊すような、卑劣な裏切り行為を働いてなどいない!
 高尾が固い意思を持って、口を開き掛けた時だった。返答がないことにじれたらしい伊月がこちらに顔をゆっくりと向けたのである。軽く酒気を帯び、少しばかり潤む灰色の双眸はどことなく性に色付く姿を連想させ、先程の質問なんてなかったことにしてこのまましけこみたい欲求が頭をもたげたのだ。しかし、それを実行させない程の強い眼差しを一身に浴び続けた高尾はものの見事に固い意思も欲求も粉々に砕かれ、いつの間にか見事な土下座を披露していた。

「高尾……?」

 怪訝そうに名を呼ばれれば、高尾は殊更額をラグに擦り付ける。

「すんません、俊サンを不安にさせて。携帯も手帳もパソコンも……てかオレの私物勝手にチェックしていいんで!」

 隅々まで私物を見せるのは気恥ずかしくもあるが、それで伊月の不安感が解消されるなら安いものだ。自分のそこそこのプライドや恥と伊月、比べるまでもない。伊月を優先するに決まっている。
 間の抜けたテレビの音だけが部屋を包み込む。CM二つだか三つ分だかの時間が経っても何も発さない伊月にじれた高尾は自分の私物を見せようと立ち上がった。のだが、待てと言わんばかりに服の裾を掴まれてしまい、身動きが取れない。
 高尾は困ったように眉を下げ、頭を掻いた。掴まれた服の裾の方へ視線を向ければ、片手に酎ハイを持つ伊月の形のいい丸い頭部が目に入る。今日はどんだけ酎ハイ手放さないんだよ……と珍しく酒へ執着するその姿に双眸を眇め、はっとした。よくよく見れば伊月は顔を俯かせ、体を小刻みに震わせているのだ。
 ――まさか、泣いて……、

「俊サン?!」
「ぶはっ!」

 ない!

「ごめっ、ちが……ちがふふっ」

 すぐさま抱き締めようと体を振り向かせた瞬間、吹き出す声が聞こえ、それを皮切りに部屋中に伊月の控え目な笑い声が響く。高尾は何がなんだか分からずにぽかんとした顔をして、振り向いた体勢のまま、しばし鈴の音のような笑い声を聞いていた。
 そして、自分がとんでもない早とちりをしていたことに気付き、恥ずかしさで赤くなった顔を両手で隠して、その場にうずくまる。穴があったら、思わず課金してでも入りたい。そんな気分だった。
 ようやっと伊月の笑い声が収まり、普段通りの空間が戻った頃、別にと伊月が本日二本目の酎ハイのプルタブに手を掛けながら口を開く。

「高尾の浮気を疑って、こんな話振ったんじゃないから」
「じゃあ、なんなんすか」

 伊月を横から抱き締め、いまだ拭いきれない恥ずかしさを隠すように膨れっ面を作る。そんな高尾に目もくれず、伊月は口の開いた缶を呷った。

「オレの先輩に噂話がすごい好きな人がいるんだけど」
「いますね、一人は。そういうヤツ」
「んで、その人から回ってきた話で、ほんとかどうか怪しいんだけど。その先輩の友人だか知人だかその辺の人の彼氏が浮気して、修羅場になったらしい」

 修羅場。言葉を聞くだけで、体に鉛のように重い空気が否応無しに乗ってくるようだ。微妙な心地で見つめていれば、伊月もまた苦虫でも潰したような微妙な顔で高尾にこてんと寄りかかってきた。

「詳しくは聞かなかったから、どうなったかは知らないけどな」

 伊月はテーブルの上に置いてあるリモコンに手を伸ばし、チャンネルを変え始める。ニュース、バラエティー、歌番組、ドキュメンタリー。次々と変化する画面をなんとなしに眺めていると、ちょうどドラマを放送しているチャンネルで伊月の手が止まった。
 女優や俳優達の気迫すら感じる演技に目を奪われながら、このドラマは一体どんな話だっただろうかと思考を巡らせる。
 ああ、確か。夫に先立たれた未亡人と既婚男性の愛の逃避行がメインの泥沼愛憎劇だった筈。美しくも狂おしく描かれたストーリーは特に主婦層に人気で、未亡人と既婚男性の葛藤にリアリティがあるとテレビ雑誌の特集記事に書かれてあった。

「これさ」

 伊月が画面を指差しながら言う。

「ただの不倫だよな」

 高尾は吹き出した。確かに美しくも狂おしくなんて言われているが、よくよく考えなくてもただのただれた不倫話である。何が美しいのか分からな過ぎて、逆に笑えてきた。狂っているのはなんとなくだが理解出来るけれど。
 込み上げてくる笑い声を何とか飲み込み、表情筋を引き締める。それを微笑ましげに見届けると伊月は続けて口を開いた。

「それじゃあ、この既婚男性の家族はどうなるんだろ。妻や子供の気持ちは?」

 言われて、息が止まる心地がした。そうだ、既婚――つまり結婚しているのだから妻がいて、場合によっては子供がいる。このドラマでも家族の待つ家に帰るも、未亡人のことばかり考え、こっそり連絡を取り合う既婚男性の姿が描かれていた。その時、妻はどんな顔をしていた? 子供は? 父親に話し掛けて、理不尽に怒鳴られた子供はどうなる?
 灰色の双眸が画面から高尾へと視線を移し、問い掛けてくる。妻や子供がどんな気持ちで、既婚男性の姿を見ているかを。

「高尾は、どう思う?」

 浮気や不倫とは一体何なのか。考えろと言っている。

「……」

 ちらりと画面を見れば、どこに行くのかと聞く妻子に碌に目も向けず、行き先を曖昧に告げ、車で未亡人のもとへ向かう男性の姿があった。男性は未亡人の姿を視界に収めると妻子の前で見せていた顰めっ面を消しさり、変わりに恋する少年のような嬉しげな笑みを浮かべる。そして未亡人を車に乗せ、ドライブ。からの休憩と称して、ラブホテルへ向かっていった。
 二人はホテルの一室に入るなり、待ってましたと言わんばかりに濃厚なキスを交わし始める。男性と未亡人の視点から見れば、会えない時間を埋める甘美な一時かもしれない。しかし、その裏では男性の帰りを健気に待つ妻子が存在する。
 自分のことだけしか考えていないから、出来るんだろうなと思った。

「身勝手な行為っすね」
「高尾もそう思う?」
「相手の立場になって考えたら出来ないっしょ、浮気とか不倫は」
「だよな。かなりリスキーだし」

 高尾は小首を傾げ、伊月を見やる。伊月はつまみにと出していたあたりめを一つつまみ上げ、高尾の口元まで運んだ。素直にあたりめを食べる高尾を満足げに見届け、再びあたりめに手を伸ばした。

「もし、不倫がバレたら後はないかもしれないってこと」
「え?」
「相手の出方次第では信用もお金も友人も家族も、全部失い兼ねないからさ。下手したら相手からも捨てられる可能性だってある」

 つまりそれは、今まで築き上げてきたものが次から次へと粉々に崩壊する事を意味する。そんなリスクが待っているのになぜ、浮気や不倫をするのだろうか。
 答えは簡単だ。目と鼻の先にある欲望ばかりを追い掛けて、後のことなんて全く考えていないのである。考えていたとしても、自分に都合のいい展開ばかり。そして、絶対にバレないという危機感の薄さ。自分のことしか考えていないからこそ出来ることなのだろう。
 まず間違いなく、まともな考え方の人間はしないだろう行為である。相容れないと思った。

「オレは高尾を失うようなことは出来ないって思ったよ。高尾は?」
「オレも俊サンを裏切るような卑劣なことは出来ないっすね」

 伊月の天使の微笑みを踏みにじるような不貞行為は絶対にしない。
 ――うん、守ってみせる。
 じっと伊月の横顔を見つめれば、それだけで体内の熱が温度を上げる。我慢しきれず、すすっと顔同士の距離を縮めようとするも持っていたあたりめを口に突っ込まれてしまえば、諦めるほかない。ちぇっと唇を尖らせると酎ハイを呷る伊月が小さく声を上げて笑う。

「和成はほんとオレのこと好きだな」

 当たり前っすよ! 言おうとして、なかなか呼んでくれない名前の方で呼ばれたことに気付き、顔が一瞬にして熟れた林檎のように真っ赤に色付くのが分かった。年甲斐もなく恥ずかしくなって、高尾は伊月の肩に顔を埋め、学生時代より少しばかり薄くなった体にしっかりと抱き付く。高尾の反応が想定内だったらしく、してやったりと楽しげに笑う伊月。
 そんな姿を見れば、こういうのも悪くないかもと思ってしまう。年下としての自分を最大限に生かせるチャンスであり、それで伊月が喜んでくれるのだから。しかし、男としての矜持を捨てた訳ではない。
 高尾は抱き付いたまま、伊月の体にゆっくりと自分の体重を掛け始める。体が傾き始めたことに違和感を覚え、小首を傾げる伊月を視界の隅に収めると一気に押し倒した。もちろん伊月の体を痛めないように気を配りながら。

「えっ、な、高尾?」
「和成でしょ、しゅーんサンっ」

 伊月は急な体勢の変化に戸惑い、目を白黒させる。高尾はそんな伊月に覆い被さった状態でにっこりという効果音が付きそうな程の良い笑顔を浮かべていた。
 酎ハイ二缶分とはいえ、アルコールはアルコール。いつもの判断力や思考力を僅かでも鈍らせるには充分だったらしい。こんな体勢になってもこれから起こることが思い当たらないようで、不思議そうに小首を傾げている。可愛い。成人男性なのに学生時代と変わらぬ可愛さを持っているなんて本当にずるい。何回惚れされば気が済むんだこの人は。
 ――だから、浮気なんて出来る筈がないんだ。
 なぜなら、伊月以上に愛を注げる相手が今後一切現れることがないからである。

「俊サン超愛してます。これからも余所見なんて出来ないくらい、オレの愛を注ぎまくるんでよろしくでっす」

 可愛らしいリップ音と共にキスを送ると、ようやくこれから起こることに思い当たったらしい。伊月は頬を桃色に色づかせ、生娘のようにはにかんだ。

「ハッ……愛を伝える為に鯛を持って会いたい! キタコレ!」
「ぶはっ! このタイミングでダジャレとか俊サンぱねー!」

 彼らの夜はまだ、終わらない。






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