伊月俊は生まれた時から天使事件

 事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ…!
 正にその通りだ、青島刑事が言ったことは間違いじゃなかった、と先月のお家デートで彼女と見た懐かしの某刑事ドラマの映画を思い出し、誠凛の良心・仏のタケシで名高い土田聡史はその場に膝を付いてしまう。土田にとって目の前の光景はそれほど衝撃的なものであったから。

 忘れ物をしたと部室に取りに行った部員の帰りが遅い。といっても五分そこそこなのだが、それでも他の部員達にとっては一時間にも二時間にも感じられたその時間。悪女的な何かに嵌められそうになっていたり不良的な何かに絡まれて破廉恥な行為を強いられているのではないかと悪い思考が次から次へと浮かび上がって伝染し、体育館中に暗雲した空気が立ち込めいく。

「我慢ならん!呼びに行く!!」

 そんな中、部をまとめる筈の主将がその言葉通り体育館の入り口に我先に走り出したのだ。その姿を見た他の部員達も部室に向かって競走だいっとアイコンタクトを交わしながら、主将の背中を追いかける。が、先回りした監督のホイッスルから奏でられた甲高いストップ音によって部員達の動きは急停止してしまう。反射って怖い。
 そして、「全員で行くバカがいるか!」とお叱りを受けたあと、呼びに行く一人を決める為にじゃんけんをすることになった。ちゃっかり監督と部で飼っている犬も加わっていたりするが、目の前の勝負に真剣で誰一人としてツッコむ者はいない。
 このじゃんけんで涙無くして語ることの出来ない数々の愛と友情の熱きドラマが展開されたのだが長くなるので割愛する。
 という訳で嘗てない程の名勝負を生んだじゃんけんの覇者である土田は監督や主将、他の部員達に悔しげな視線で見送られながら意気揚々と部室へと向かった。
 しかし、部室の扉を開けると呼びに来た筈の部員は居らず。変わりにその部員の衣服を身に纏った部員そっくりの男の子がベンチの影に隠れ、こっそりとこちらを伺っていたのである。男の子の周りには先程まで部員が身に着けていたであろうバッシュ、半ズボン、パンツ。そして、床に転がる監督印の試作三号と書かれたスクイズボトル。それらを見た土田は全てを悟り、衝撃の余り膝を付いた――という訳だ。
 事件後に現場に訪れるってこんなにやり切れない気分なんだね青島刑事。

「いや、でも、迷子の可能性も…」

 仲間達に感化されながらも幾分かはまともな思考の持ち主である土田は混乱する中、自分を奮い立たせ、男の子の目線に合わせて座り直す。怖がられないよう菩薩もびっくりの良心100パーセントスマイルを装備し、優しい声で男の子に話し掛けた。

「こんにちは。お兄ちゃんは土田聡史っていうんだけど、君はなんていうのかな?」
「いじゅきしゅんくんですっ」

 舌足らずながらも一生懸命に言われた名前を聞いた土田は静かに天を仰ぐ。なぜならば、目の前の男の子と呼びに来た部員が同姓同名だったからだ。
 この問題は一人で解決出来そうにないし、これ以上遅くなる訳にもいかない。
 早々に判断した土田は伊月俊を名乗る天使を連れて、痺れを切らしているであろう仲間達の待つ体育館へと向かった。
 もちろん伊月の半ズボンとパンツは保護して。



+++



「土田君遅い!」
「ごめん」

 案の定、体育館まで行くと入り口に待っていた監督の相田リコに怒られてしまう。相田はここで伊月が「オレが遅れたのが悪いから」と平謝りする土田を庇って出て来るものだと思っていた。しかし、想定した声は聞こえず、不思議そうに首を傾げながら土田の背後に視線を向ける。
 目的の人物が、いない。

「ちょちょちょちょっと土田君、伊月君は?!いないじゃない!どうしたのよ!」
「カントク落ち着いて」
「これが落ち着いていられるか…!呼びに行った筈の伊月君がいないってどいうことなのよ!事件か?!事件なのか?!!」

 神隠しなのか?!!
 相田に襟首を掴まれ、前後左右に揺さぶられる土田。ただならぬ雰囲気の相田と土田に何やら大変なことが起こっていると感じ取ったのだろう。土田の後ろに隠れていた小さな影が勇気を振り絞って飛び出し、相田の足にすがりついたのだ。

「おにいちゃんをいじめないで!」

 突然の衝撃によろめき、驚いて下を見てみればそこにいたのは未だ体育館に帰って来ない伊月の衣服を身に纏った伊月そっくりの男の子。今にも泣き出しそうな顔で必死にすがりつく姿のなんと健気なことだろう。相田は声にならない悲鳴を上げ、健気な天使をこれでもかと抱き締めた。
 そして、土田はその様子を流れるような動作で懐から取り出したデジカメを使い、思う存分撮影したのだった。
 心行くまで天使を堪能した二人は、天使を連れてようやく体育館の中へと足を踏み入れる。仲間達は壇上に近いコートでシュート練習をしている最中のようだ。ちょうど主将の日向順平が3Pラインからシュートを放ったようでボールは綺麗な弧を描き、ゴールリングへと吸い込まれていった。

「わあ…!」

 天使はその姿を見るや否や興奮したように声を上げ、とてとてと走り出す。土田も相田も慌てて天使の後を追い、静止の言葉を言おうと口を開く。が、それよりも早く服の裾を踏んでしまった天使はびたんっと音を立てて、見事に転んでしまった。

「きゃあああああああああっ!!!!」
「うわあああああああああっ!!!!」
「「なにごと?!!」」

 体育館の中に木霊する相田と土田の大絶叫にシュート練習に没頭していた部員達は揃って肩を跳ねさせ、目を丸くする。声がした方を見れば、二人が大慌てで前方の青色の塊に駆け寄っているところで。「痛くないか?」「怪我はない?」と必死の形相で声を掛けているではないか。
 気でもおかしくなったのだろうか…。
 部員達は気の毒なものを見るような目で二人の様子を伺っていたのだが、土田に抱きかかえられた青色の塊―――涙目の天使を視界に収め、再び目を丸くする。ある者は手に持っていたボールを取り落とし、またある者は眼鏡を割り、またある者は無意識のうちにどこからともなく取り出したハンディカムで天使を撮影し始めた。
 部員の誰もが声も出ないほど驚き、天使を凝視する。

「なあ、土田」

 そんな中、ものすごい握力でボールを握り締めていた木吉鉄平が真剣な面持ちで進み出る。木吉は土田と抱きかかえられた天使をじっと見つめ、一度深呼吸してからゆっくりと唇を動かした。

「その子ってまさか、お前の子供か?」
「んな訳あるかダアホ!!」

 土田が否定するよりも先に日向が木吉の頭を叩きながら鋭いツッコミを入れる。そうしながらもちらちらとこちらを見る日向に苦笑を零した土田は天使を下ろすと、皆の前に立たせた。大きなお兄ちゃん達ばかりで緊張する小さな背中に手を添え、目線を合わせこくりと一つ頷いて見せる。
 この人達は君の仲間だよ、だから大丈夫だよ。そういう気持ちを込めて。
 けれど、それでも照れた様子でもじもじとする天使(激かわ)。見かねた土田は天使の変わりに彼の名前を言うことにした。

「伊月俊っていうんだよね」

 こくりと小さく頷く天使に三度、目を丸くする。ついでに相田も目を丸くする。

「え、冗談だよね?水戸部はもしかして、同姓同名の迷子かもって言ってるよ」
「オレもそう思ったんだけど…、」

 土田は猫口に定評のある小金井慎二と心配そうに見つめる水戸部凛之介の疑問に一度言葉区切り、不思議そうに見上げてくる小さな頭を優しい手付きで撫でた。

「この子がいた近くに伊月のバッシュとか衣類があったし、たぶん本人だと思う」
「でも、普通それだけで断定出来る?」
「なら、飲みさしの監督印の試作三号と書かれたスクイズボトルも一緒に落ちてあったとしたら…?」

 土田の言わんとしていることを理解した面々は鎮痛な面持ちで小さな伊月(天使)を見つめる。

「劇薬を飲んじまったんだな…」
「可哀想に……、」
「そらどういう意味じゃ…!それにあれは鉄平に試飲を頼んだ、もの、で………」

 よしよしと頭を撫でくり回す日向とむぎゅうううと効果音が尽きそうなほど抱き締める小金井の言葉に食いつく少し涙目の相田。その相田の言葉尻が小さくなるにつれて、部員の全視線が木吉に集中する。
 木吉は不思議そうに小首を傾げていたが、何か思い当たったらしい。「あ!」と声を上げた後、困ったように頭を掻いた。

「間違って飲んだらヤバいだろ。だから、誰も飲まないようにってこっちに持って来たつもりだったんだけどな」
「…あの、木吉先輩のボトルの隣に、伊月先輩のボトルがあるんですけど」

 急いで壇上に置いてあった木吉のスクイズボトルの隣にある同型のボトルを確認した福田寛は青い顔して、ゆっくりと振り返る。福田の報告を聞いた木吉は今度は済まなそうに頭を下げた。

「悪い。オレが間違って、伊月のボトルを持って来たみたいだ」

 へらりと笑う木吉に向かって、飛びかかる鬼の形相をした日向を始めとする二年生達。そして、そんな二年生の姿を見せまいと天使の視界を優しく塞ぐ福田を始めとする一年生達の姿がそこにはあったという。



 木吉を優しく且つ大胆に教育的指導を行った日向達。その曖昧に監督印の試作三号を黄泉の世界へ直行薬や人が飲む物じゃないなどと言った為、日向達は正座させられたまま相田の説教を聞いている。
 正座はさせられていないものの、ついでと言わんばかりに木吉も説教を聞く羽目になった。完全な巻き添えだが致し方ない。
 そんな先輩達の傍らで手持ち無沙汰の一年生達は相田の作った試作段階なので効果は謎なスペシャルドリンクをうっかり飲んでしまい、幼児化してしまったらしい伊月の相手をしている最中だ。中でも黒子テツヤと降旗光樹の二人は目を輝かせ、幸せオーラを撒き散らしながら接していた。

「可愛いですね」
「可愛いよな」
「伊月先輩に見上げて貰ってますよ」
「幸せだな」

 黒子と降旗は伊月を両側からむぎゅむぎゅと抱き締め、小さくなっても艶やかな黒髪を優しい手付きで撫でたり、マシュマロのような柔らかい頬と自らの頬をくっつけて頬擦りしたり。触れている箇所がないのではないかという程、自分よりも小さくなった(重要)憧れの先輩をここぞとばかりに堪能する。
 若干息が荒い気もする二人に挟まれ、体の隅々までまさぐられている伊月はといえば。子ウサギのように震えていた。
 この中では小柄の部類に入る黒子と降旗だが、小さな伊月にしてみれば、自分よりも体格がいいお兄ちゃんなのである。そんな二人に両側から挟まれてしまえば、伊月の逃げ場など無いに等しい。今だってろくに抵抗も出来ぬまま、蛇のような四本の手が小さな体を容赦なく這い回っている。
 体を捩って逃れようにもすぐに元の位置に戻されてしまい、それは全くと言っていいほど意味をなさず。伊月は自分の手で小さなお口を隠して、自分の身を少しでも守るように体を小さく丸めた。

「ハァハァ…伊月先輩ハァハァ…」
「ペロペロぉ…ペロペロしたいよぉ…」
「っ…!」

 その様子を見ていた火神大我、福田、そしてハンディカムで小さな伊月を撮り続けている河原浩一はこれ以上はいろいろとまずいんじゃなかろうかとアイコンタクトを交わし合う。それでも考えあぐね、もう一度黒子と降旗、伊月に視線を向ける。
 そこには、今にも小さな体を押し倒さんばかりの黒子と降旗と二人から与えられる何かに耐えるように体をびくびくと震わせる健気な伊月の姿。火神、福田、河原は真剣な面持ちでこくりと頷き合い、一方的に攻める悪いお兄ちゃん達を引き剥がすべく手を伸ばした。

「いい加減しとけよお前ら!伊月先輩が困ってんじゃねーか!」
「邪魔をしないで下さいっ…!これ以上邪魔をすれば、ボクは火神君、君の影を止めなければなりません…」
「え、そこまで重い話なの?!!」
「お前らはいいよな…!いつも上目使いの伊月先輩とイチャコラ出来てさ!でもオレと黒子は、オレと黒子は…っ、こんな時ぐらいしか伊月先輩の上目使いを拝めにゃい…ンンッ、拝めないんだよ!!!!!」
「フリ噛んでる!噛んでるのバレてるから!!てか別にイチャコラしてないし!」
「嫌ですいやです伊月先輩に“テツヤお兄ちゃん好き”って上目使いで言って貰うまで離しませんっ!!」
「ついでにほっぺにチューも追加で!!」
「願望丸出しじゃねーかよ!」
「いいな、それ。ほっぺにチュー…」
「だめだフク!そっちへ言ってはいけない…!」
「はっ!カワ、オレ今なんて……」

 伊月にしがみつく黒子と降旗を引き剥がそうと躍起になる火神、福田、河原。ああだこうだ言い合いながら伊月そっちのけで攻防戦を繰り広げていた最中。

「ふにゃっ!?」

 体育館に子猫のような可愛らしい上擦った声が響き渡り、部員達はぴたりと動くのを止めた。
 なんだ、今のは。聞き違い?いや、オレ達が伊月の声を聞き違う筈がない。ああ、そうだとも。なんたってオレ達は伊月が大好きだから…!イエス!プリキュアファイブ!おい誰だ、今プリティーでキュアキュアな二人組の女の子の話をした奴はっ…!初代じゃないですファイブゴーゴーです。いや、ゴーゴーでもないからな。
 などと超スピードアイコンタクトを交わし合う部員達。声の発生源である涙目の小伊月は小さなお口を押さえたまま、顔を真っ赤して先程よりも震えている。どうやら悪いお兄ちゃん達から与えられたくすぐったさが蓄積され、黒子が伊月の横腹を掠めたせいで堪えきれずにあのような声が出たらしい。可愛いったらない。

「い、伊月先輩…?」

 事の元凶の一端を担う黒子が恐る恐る声を掛けると大袈裟に肩を跳ねさせ、とてててと部員達の間を走り回り。結局辿り着いた先は、テツヤ2号の後ろだった。
 なんだか逞しい雰囲気の2号の後ろからそっとこちらを伺う照れた伊月。隠れてないよ、はみ出てるよ。沢山言いたいことはある。あるのだが、部員達は口を噤み、各々デジタルカメラやハンディカムを構えるだけだった。

 オレ達に今出来ること、それは―――べらぼうに可愛い伊月の姿を写真や映像に収めることだけ…!

 そして……―――



 たっぷりと撮影会を楽しんだ部員達は部活の残り時間を全て、小さな伊月とのバスケに費やした。ドリブルだってパスだって、シュートだって碌に出来ないけれど、楽しげにボールを追い掛ける姿はいつもの伊月と何ら変わらなくて。
 改めて、誠凛バスケ部の伊月俊と、オレ達の天使とバスケがしたいと思った。
 その願いが通じたのか、「しゅんくんがくしゃみします、くしゅんっ…!」というダジャレを言って可愛らしいくしゃみをしたあと。ぽんっという音と共にどこからともなく白い煙が発生し、その中心から煙たそうに顔を歪める高校二年生の伊月俊が姿を現した。
 もちろん下は履いておらず、それに気が付いた伊月は着ていたTシャツで一所懸命大事なところを隠そうとする。そんないじらしい伊月の姿を見て、相田と2号以外の部員達は「ご褒美ですありがとうございます!」と言いながら幸せそうな顔で鼻血を吹き出したそうだ。
 ちなみに日向は眼鏡を七度割り、黒子はチョモランマがオーバーフローして、ついでに降旗のマグナムも暴発した。

 後にこの出来事は『伊月俊は生まれた時から天使事件』と名付けられ、彼らが大人になっても語られ続ける話題となった。






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