伊月、風邪を引いたってよ。

※誠凛月っぽいです。





 大好きなバスケをする為に体調管理にはかなり気を付けていた筈なのだが、季節の変わり目によくある昼夜の激しい寒暖差に体が付いていかなかったらしい。
 伊月俊は風邪を引いてしまった。
 市販薬だけで治るような軽い症状ならまだ良かったのだが、39度近くまで上がった高熱のせいで起き上がるのもままならない程の質の悪い風邪である。そんな状態で学校なんて当然行ける訳もなく、もちろん休み。午前中になんとか病院に行って診察、薬を処方して貰ったあとは家族の監視の元、自室で大人しく眠っていた。
 眠っている間に伊月の休みを聞きつけた同輩や後輩、他校の先輩達から沢山のメールやラインの通知が入っていて。伊月はそれらを一つ一つゆっくりと丁寧に読みながら、言いようのない温かさが胸一杯に広がっていくのを感じていた。ただ、体調が思わしくない状態で何人分もの返事をするのはさすがに無理がある。後日、きちんと返事をしようと心に留めて、伊月は携帯を枕元に追いやった。
 夕方、部活も終わったであろう時間帯に監督である相田リコと主将である日向順平がお見舞いに訪れたのには驚いた。本当は部活の仲間全員で押し掛けるつもりだったらしいが、監督と主将権限を使い押し止めて来たらしい。二人の手には預かり物だというお見舞いの品が握られていたから。
 嬉しい、ありがとう。嬉しい。
 移すといけないからとあまり話すことはしなかったけれど、その短い時間の中で伊月は何度も何度も感謝と喜びの言葉を口にした。こんなにも思われている自分はとてもとても幸せ者なのだと伝えたかったのだ。
 熱に浮かされながらも嬉しげに頬を緩ませ、にっこりと微笑みを浮かべる伊月を直視した相田は「イケメンかこんちくしょう…!」と赤くなった頬をそのままに目頭を押さえ、日向は眼鏡を六度割った。
 もちろん伊月の笑顔はデジカメや携帯の連写機能を使い、撮れるだけ撮り続けたらしい。それはすぐさまお見舞いに行けなかった仲間達のもとに送られ、家宝にすると言い始めた者までいたようだった。
 更にその写真は他校にまでまわり、天使が現れたと話題になるのだが、これはまた別のお話になるので割愛する。
 自分の写真が身内の間で拡散され、天使だの女神だの、待ち受けにするだの家宝にするだの、引き伸ばしてポスターにするだのTシャツにプリントするだの、なんだのかんだの言われていることなんて露ほども知らない伊月はといえば。お見舞いの品の中に入ってあったコーヒーゼリーを幸せそうに頬張っていた。いつもの調子で「コーヒーゼリーおいひい」と照れた顔文字付きのメールを送ったら、例の写真も相俟って悶絶した者がいたそうだ。
 ちなみに伊月はこのメールを日向に送ったつもりでいたのだが、うっかり宛先を間違えてしまい後輩の福田寛のもとに送っている。といえば、この後何が起こり、どうなったか理解して貰えるだろうか。


 そんな一日目を終え、二日目の昼にはすっかり熱も下がっていて。三日目には起きた瞬間からダジャレが冴え渡り、当然学校にも登校出来るようになっていた。
 仲間達は校舎内で伊月の姿を見るなり、駆け寄って来ては「もう大丈夫なのか」と声を掛けてくれる。それに笑顔で答えれば、ほっとした顔をして一緒になって笑ってくれた。
 こんな最高な気分で大好きなバスケに打ち込めるなんて…!と鼻歌を歌いつつスキップしながら体育館に行ってしまう程、伊月は幸せを噛み締めていたのだ。
 しかし、幸せな時が長く続く訳もなく、監督の相田から申し訳なさそうな表情で告げられた言葉によって、終わりを迎えたのであった。

「今日、伊月くんは見学ね」
「え……、」

 伊月は言われた言葉をよく咀嚼し、理解する間もなく、しょんぼりとした表情でがっくりと肩を落としてしまう。それを目の前で見ていた相田は大層慌てたが、病み上がりの人間にハードな練習をさせる訳にはいかない。
 子犬のような表情で見られ、乙女心が少しばかり揺らいでも、しょんぼりした伊月を見ていられなかった後輩達が必死に訴えても、監督の意見が覆る訳もなく。

「見学だってバスケの練習の一つよ」

 なんて言われてしまえば、引き下がるしか道はなかった。



+++



 部活が本格的に始まり、軽いストレッチを終えた伊月は監督の言い付けを守り、なぜか渡された鉄心こと木吉鉄平の部活用ジャージを身に付け、見学しながら備品の在庫チェックや部で任されている会計の仕事を黙々とこなしていく。未だにボールへの欲求や今すぐにでもコート内に駆け出して練習に混ざりたい気持ちが立ち消えた訳ではない。しかし、備品の在庫チェックや会計の仕事、そして見学も他ならぬバスケの為だと思えば、苦痛に思うことなんてある訳がないのだ。
 それどころかだんだんと楽しくなってきている。そんな時、

「ワンッ」

 と伊月の傍らで犬の鳴き声がした。そちらを見れば、部で飼っている犬・テツヤ2号が行儀よく座っている。
 しかも、髪の毛の塊のようなものを携えて。

「お前が持って来たのか?」
「ワンッ」
「なに持ってきたんだ?」
「ワンッ!」
「なるほど、毛玉か…」

 見たまんまなのだが、生憎それをツッコんでくれる人間は黙々と練習に勤しんでいる最中だ。
 伊月は咳払いを一つして、2号が持って来た謎の毛玉――髪の毛の塊のようなもの――をしげしげと眺める。四方八方から眺めるが、ホラー要素のない無機物らしく突然動き始めたりだとかはないようだ。
 それなら、と伊月は謎の毛玉を掴み、持ち上げてみる。

「ってこれ…カツラじゃん」

 しかも、お下げ髪の。

「ワンッワンッ」
「もしかして、オレに被れって?」
「ワフッ」

 伊月は手に持った赤いリボンのお下げ髪のカツラをしばし見つめ、期待に満ち溢れた表情の2号と見つめ合い。割とすんなりカツラを被った。
 手櫛で髪を整えた伊月は2号の方を向くと渾身のキメ顔のまま、口を開く。

「カツラを被って喝入れようぜ!キタコレ!」
「ワンッ」

 どことなく嬉しげな表情の2号を「さすが2号、分かるヤツだな」と言って、優しい笑みを浮かべてその小さな頭を撫でる伊月。を直視した仲間達は揃って床に突っ伏してしまう。
 なんだ、あのお下げ髪!可愛すぎか!
 更に自他共に認める伊月厨の降旗光樹は汗と涙と鼻血で(神聖なコート内を汚す訳にもいかないから)Tシャツをびっしょびしょに濡らしていた。

「まさか、伊月のお姉さん…?」
「じゃねーよ!カツラ被っただけの伊月俊ご本人だよダアホ!!」

 早々に復活した木吉がはっとした表情で呟けば、日向が条件反射のように木吉の頭に向かって丸めたタオルをスリーポイントシュートする。丸めたタオルが木吉の頭に見事に命中する傍ら、練習で扱かれ少ない体力が早々と底付きかけている黒子テツヤは生まれたての子鹿のようによろよろと近付き、ハイライトのないほの暗い目を伊月に向けた。

「俊子さん…みずを、ぼくにみずを…」
「あっ。黒子、君ッ…!」

 伊月は急いでジャージのボタンを閉め、萌え袖を作り、お下げ髪を揺らしながら黒子に向き直る。その声はいつもより少しばかり高く、表情と仕草は恋する乙女のそれだった―――俊子爆誕。
 後ににゃんこ口でお馴染み小金井慎二は「あの時の伊月はすごかったよねー、女子そのものでさ!役者の本気を見たよ!マジすごかった!」と語っている。彼はただの一高校生であり、バスケットマンだ。決して役者などではない。
 伊月――俊子は大急ぎで黒子のもとへ駆け寄ると恥じらう気持ちを一所懸命押し止め、洗い立てのふかふかタオルとスクイズボトルをそっと手渡した。

「お疲れ様」
「ありがとう…ござい、ます」
「浜に打ち上げられた魚みたいになってるけど、大丈夫?」
「大丈夫です。俊子さんがいてくれるので、まだ頑張れます」
「黒子君…」

 なんて男らしい表情なの、キュン…!としている俊子の手に壊れ物を扱うようにそっと優しく触れる黒子。自然と指同士を絡め合い、ぎゅっと握り合う。

「ボク達恋人同士ですよね」
「うん…?」

 俊子は突然の追加設定に戸惑いつつもとりあえず頷いておく。
 背後では目を血走らせた降旗がゾンビのごとく蘇り、二人を凝視している。

「名前で呼んではくれないのですか?」

 黒子の申し出に一つ頷いた俊子はしかし、恥じらいからか目許を赤く染めたまますぐに墨色の瞳を伏せてしまう。「俊子さん」と背中を押すかのように名を呼ばれ、意を決したように再び目の前の彼に向き直り、薄桃色の唇をゆっくりと動かした。

「………て、テツヤくんっ」

 表情の乏しい彼が、ふっと嬉しげに微笑んだ気がした。
 桃色な空気が耐えられなくなった降旗は二人を止めるべく、襲い掛かる。が、火神大我によって止められた。

「俊子さん」
「テツヤくん」
「俊子さん」
「テツヤくん、」

 呼び合いながらどちらともなく顔を近付け、唇が触れあ―――うというところで黒子と俊子基伊月は「しゅうぅぅぅぅぅぅぅぅりょうぉおおおおおおおおお!!!!」と叫ぶ日向から頭を掴まれ、ぐいっと勢い良く引き離される。引き離されたことにより、火神と河原浩一と福田に押さえつけられていた降旗が暴れるのを止めた。
 黒子と伊月、降旗をはじめとする後輩達をハラハラと見守っていた水戸部凛之助は無事に事が収束したことで安堵の息を吐き、土田聡史はそんな水戸部を労うように肩にぽんっと手を置き。にんまりと笑みを浮かべた小金井は水戸部と土田の背後に回り、二人の背中に勢い良くダイブする。
 その様子を見た相田は「元気が有り余ってるみたいね」と意味深な笑みを浮かべ、木吉は「元気なのはいいことだなー」と縁側で寛ぐおじいちゃんのようなのほほんとした笑顔で仲間達を見つめていた。
 それを伊月は見ていた。
 大空を旋回し、地上を見つめる大鷲のごとく、伊月は仲間達全てをその視界に納め、見つめていた。

(帰って来たんだ…)

 風邪を引いて、たった二日だ。たった二日離れていただけだというのにとても恋しかった。早くバスケがしたい、仲間達と早くバスケがしたいとずっと念じていた。その甲斐あってか風邪もすっかり治り、早々と帰って来れた。
 ボールが弾む音、スキール音、仲間達の声、それらの音を聞く度に伊月の気持ちは高揚し、ここが自分の居場所なのだと実感する。
 嬉しい。嬉しい。嬉しい。
 練習には参加出来なくても、仲間達とこうして過ごす時間が何よりも楽しくて、伊月は喜色満面の笑みを浮かべた。
 そして、在学中は二度と風邪は引かないと心に決めたのであった。

 ―――もちろん、この時の伊月の可愛らしい笑顔は仲間達のカメラにきちんと収められている。



「俊が、っくしゅん…!キタコレっ」

「キてねーけど大丈夫か?!」
「黒飴の出番か?!」
「ボクが(人肌で)温めましょうか?」
「いや、オレが…!!!!」
「フリ…!河原、フリが…!」
「ああ、見てるぜ福田…!」
「伊月伊月!水戸部特製のはちみつレモンもあるから食べてね!!」
「……!」
「私もはちみつレモン作って来たの。良かったら食べてね、伊月君っ」
「寒いならもう一枚ジャージ着た方がいいよ」
「あ、ならオレの貸すぞ、ですっ」
「ワンッ」

「大丈夫、ありがとうみんな」






[前へ] [次へ]
[戻る]





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -