君は男の娘。

※伊月が女装しています。





 大学進学を機に上京した黛千尋はその日、新居に未だ詰まれたままの重たいダンボール箱の山から目を背けるかのごとく周辺の散策に出掛けていた。
 初めての都内、という訳ではないが一度も訪れたことのない場所に住むのである。少なくとも、駅までの最短ルートや近場のコンビニの場所だけは頭に入れて置きたかったのだ。
 というのは建前で、今日はけのととの次に優先して集めているラノベの発売日。部屋の片付けなんて(きっと)そのうち終わる(予定だ)が、初版本が読めるのは今日この日だけかもしれない。そう思えば自ずと足が外に向くのは仕方のないことだろう。
 むしろ、部屋に籠もることの多い自分が積極的に外出する数少ない日。たまにはこんな日があったっていいではないか。
 そこまで考えてはっとした黛は誰に言う訳でもないのにつらつらと並べ立てていた言い訳を頭の隅の方に寄せ、今度は本屋に平積みされているであろうラノベに思いを馳せることにした。

 しばらく歩いていると駅の手間にこじんまりとした佇まいの本屋が目に留まる。大都会の本屋なのだから個人経営でも充実のラインナップに違いない。黛は募る想いを胸に秘め、軒先の棚に並ぶ雑誌を眺めながら店の中へ足を踏み入れた。
 漫画本、雑誌、小説の単行本、絵本等。ありとあらゆる本が並ぶ店内に黛の死んだ魚の目に僅かながら輝く光が瞬く。タイトルに見覚えがある漫画やアニメ雑誌に手が伸びかけたが、寸前のところで我に返り、ラノベコーナーのところへ足を向けた。
 なんと、今日発売の新作から掘り出し物と思われる旧作までずらりと取り揃えているではないか。これには黛も目を丸くし、食い入るように並ぶ背表紙に視線を走らせる。勿論、手には目的のラノベを持って。

(素晴らしいな大都会)

 更に二冊追加購入を決めた黛は顔には一切出ていないものの、全身から上機嫌なオーラを溢れ出させてレジへと向かう。欲しいもの以上にいい買い物が出来た時、人は浮かれてしまうものだ。黛も然り。
 だから、レジの目の前まで来ても店員に全く気付いて貰えないことでさえ気にならない。あまつさえ自己主張して購入してしまおうというやる気まで垣間見せる。そんな矢先に何の奇跡か店員が気付いたようで商品を渡すよう促してきたのだ。
 ただし視線は、黛を軽々と通り越して後方に向いているのだが。

(ぜんっぜん気付いてねーじゃん…!)

 先程から持続していたラノベパワーもすっかり抜け落ち、むっすりとした表情の黛の後方から「お…わたしの前に、いますよ」と控え目な声が聞こえてくる。店員は不思議そうな表情で首を傾げ、前方の黛を探すように視線をきょろりと動かした。
 黛は店員の視界に入るように「お願いします」と声を出す。それでようやく黛の存在に気付いたらしい店員はびくっと体を強張らせ、幽霊でも見てしまったかのような顔をして恐々と数冊のラノベを受け取った。
 店員がレジに通している間、礼の一つもしておくべきだろうと考えた黛は後方の縮こまっている黒髪黒縁眼鏡の文学少女に小さく黙礼する。少女もそれに答えるようにぺこりと小さく黙礼し、手元の本へと目を移す。店員に合計額を言われ、支払いを済ませて店を出ようとした黛はあることに気付き、ふっと足を止めた。そして、レジの前に立つ少女の後ろ姿に近似感を覚え、視線を向けたまま首を傾げる。
 そもそも、初見にも関わらず影の薄い黛をきちんと認識しているなんておかしいのだ。普通ならばあの店員のように声を掛けて初めて、黛の存在に気付く筈。なのに少女は黛をその視界の中に捉えていた。
 よっぽど空間把握能力の高い優秀な目を所持しているのだろう。
 そう、例えば―――柄にもなく悔しかった高校最後の大きな大会の決勝戦で戦った相手校のPGのような………――――。

「お前、誠凛の5番だな…?」

 レジを終わらせ、そそくさと店内から出ようとする少女(推定)の腕を掴み自分の方へ引き寄せ、耳元でそう囁く。少女(推定)は大袈裟に肩を跳ねさせたあとでがっくりと頭を垂れる。そして、蚊の鳴くような小さな小さな声でぽつりと呟いた。

「……誰にも、言わないで」


 曰わく、姉と妹に加えて母親の趣味でどんどん増えていく可愛らしい生活雑貨に日常的に触れ、影響を受けたおかげだ、と。
 目の前で縮こまる少女、基男の娘は下を向いたまま、震えた声で言う。黛は人目に付かないように片付けの終わっていない部屋に招き、話を聞いているだけだ。それなのになんだかいじめているような心地になってしまい、彼から積み上げられたダンボール箱へと視線を移した。

「………」

 だけど、やっぱり、気になるものは気になる訳で。
 再び彼へと視線を移し、その服装に着目する。少しだぼついた灰色のロングパーカーにデニム柄のロングスカート。それに長い黒髪、黒縁眼鏡。素がいいのか化粧はあまりしていない印象を受けた。
 しかしまあ、なんというか、すごく。

「地味だな」

 なんで?と問えば、彼は墨色の瞳をそろりと動かし、こちらの様子を恐る恐る伺い見る。が、目が合った途端、さっと逸らされてしまう。けれど、黛の問い掛けには答えるつもりらしく、目を逸らしたままぽつぽつと言葉を紡ぎ出した。

「一度、」
「ん?」
「…一度、花柄のワンピースを着て、出掛けたことがあるんですけど、その時にその……ナンパ、というヤツにあってしまって。それ以来…」
「人前では地味な服装にしている、と?」
「はい…」

 黛は確かに可愛らしい格好だとナンパされそうだと一人納得する。瞬間、目の前の彼――伊月俊の可愛らしく着飾る姿を一瞬でも想像した自分に引いてしまう。
 いくら女のような格好をしていようとも中身は男、同じ性別。そんな伊月をちょっとでも可愛らしいと思ってしまった。黛は微妙な心地を味わいながら、思考を明後日の方に飛ばすように遠い目をする。
 そんな黛の姿に女装癖が引かれたと勘違いして、涙目になるのは向かいに座る伊月だ。元来の真面目な性格は災いしてか、大声で喚き散らすことも逃げ出すこともせず、ただただ小さく縮こまってじっとしている。
 悪いことなんて、何もしていないのに。
 少しだけ変わった趣味を持っているだけで、伊月は何も悪くない。
 黛は一つため息を零すとそれだけで小さく身を震わせる伊月の体を殊更優しく抱き寄せる。自分でもなぜこんなことをしているのか不思議でならない。不思議でならないが、ただ一つはっきりしているのは自分が知っている伊月俊は勇猛果敢な猛禽の姿をしていた。目の前で子犬のように怯える伊月は本来の伊月ではないのだろう。

「オレはお前を否定しない。だから、オレの前では好きにしろ」

 ―――だから、怖がるな。
 黛が言い聞かせるように言葉を紡げば、伊月は自身を包み込むしっかりとした体躯にすがりつき、何度も何度も頷いた。
 右肩がしっとりと濡れていることに気付かない振りをして、黛は震える背中を優しく撫で続ける。

「……黛さん」

 柔らかな静寂が二人を包む中、伊月が黛を呼んだ。いつの間にか震えの止まった背中を返事の変わりに軽く押してやる。と、伊月は一度大きく息を吸い込み、「黛さん」と言葉を紡ぎ出した。

「あなたの前だけは、女の子のオレでいてもいいですか?」
「好きにしろって言ってるだろ」
「はいっ」

 黛は伊月の上擦った返事に柄にもなく、口角を上げる。
 たまの気紛れも悪くないだろう。



「ハッ、チャイナ服を着たオレの虜になっチャイナ!キタコレ!」

 あの一件から伊月は黛の住むアパートに度々訪れては自身の前でのみ女装をするようになった。伊月の希望でたまにではあるが女装のまま、近所のコンビニに出掛けることもある。もちろん黛同伴で、だが。
 ダジャレのおかげで選択を誤ったかと思うこともあるが、楽しげにしている伊月を目にする度にそんな考えなんていとも容易く雲散してしまう。
 それに「可愛い」などと誉めてやれば、頬を真っ赤に染めて生娘のように恥じらうのである。誰も知らない伊月の姿を独り占め出来る優越感は一際黛の気分を高揚させた。そして、心の底から湧き上がる劣情に素知らぬ顔をするのだ。
 ―――でも、それも今日で終わりにしよう。
 黛は今し方言ったダジャレをネタ帳に書き終わり、満足げに頷く女の子に化けた彼の腕を掴むとカーペットが敷かれた床に引き倒す。急なことに目を丸くする伊月の耳元に唇を寄せ、優しく甘く囁いた。

「服装関係なく、オレは既にお前の虜だけどな」
「それって…」

 二人の関係が“恋人”に変化するまで、あと少し―――……。






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