誠凛は愛が重い。

 この恋の始まりは、高尾和成からだった。
 IH予選決勝では黒子テツヤを好敵手にし、その後のお好み焼き屋では海常高校の笠松幸男を太鼓持ちして、伊月俊などアウトオブ眼中だった高尾。そんな彼が伊月への恋情を目覚めさせるきっかけになったのが、宿泊先が偶然重なった夏の合宿だ。
 いつも以上に厳しい練習の後なのに何故か寝付けなかったその日、高尾は夜風にでもあたろうかと部屋をひっそりと抜け出した。すると階段を下りたすぐの場所に誰かが自身の体を抱き締めるみたいに小さく丸めて、壁に寄りかかっていたのである。無視することも出来たが、階段を下りる足音を聞かれた可能性を考え、高尾はしぶしぶといった様子で声を掛けた。
 絹糸のような艶やかな濡羽色の髪の隙間から覗く灰色の双眸がゆるり、気怠げに向けられる。しばらくじっとこちらを伺っていた彼・伊月は「ああ…」と合点がいったらしい声を漏らした。

「秀徳の…、」

 たかお。
 酷く冷たく響いた己の名前にぞくりと背中を震わせた。
 線引きをされたのだ。一瞬のうちに。
 こちらに来るな。
 関わるな。
 何も聞くな。
 お前は、自分のことなど気にもしてない“赤の他人”、なのだと言われているような気がして。
 それがどうしても、どうしても気に食わなくて。腹が立ってしまって。高尾は意地になって、全身から拒絶のオーラを放つ伊月から半ば無理矢理話を聞いた。
 次の日、昨夜のことが夢ではないのかと思えるようなけろっとした姿で高尾の前に現れた伊月。だけど、スタートした筈の彼との距離は縮まるどころか一歩も進んでいないと実感させられて。とてつもなく寂しさを覚えた高尾は彼の視界のど真ん中に立つべく、伊月の手を掴んだのだ。

「伊月サン」

 何度も名前を呼ぶ度に。何度も言葉を交わす度に、視線を交える度に、高尾はいつの間にか蕾だった筈の恋の花を開花させ、あの手この手を使い、全力で伊月を構い倒した。頑なだった伊月も繰り返される高尾の猛烈なアプローチに絆され、一世一代の告白に実にあっさりと頷いたのであった。

(あの時の伊月サン、可愛かったなあ)
「伊月先輩が可愛いのは常識です」

 高尾の回想に遠慮なく割って入った黒子は何食わぬ顔で好物のバニラシェイクをズゴゴゴゴゴゴッと派手な音を立てながら啜る。それに続けと言わんばかりに黒子の右隣でポテトタワーを黙々と建設していた降旗光樹が鈍く光る視線を高尾へと向け、口を開いた。

「伊月先輩はずっと可愛いんだよ。24時間365日、伊月先輩が誕生してから今、この時もずっと可愛いんだよ。美しいんだよ、麗しいんだよ。ずっと伊月先輩のターンなんだよ。分かる?高尾、分かるか?伊月先輩は天使って、伊月先輩の恋人様は分かってらっしゃるんですか???」

 顔を引きつらせた高尾が何か言う前に両隣を固めていた福田寛、河原浩一、黒子の左隣でチーズバーガーをリスのように頬張っていた火神大我が声を上げる。

「天使以外の何者でもないもんな伊月先輩。尊い、多分そのうち神話出来る。てか、既に出来てる。さすが伊月先輩!」
「神話って言えば、今日移動教室だった伊月先輩に会ってさ。急いでる筈なのにわざわざ足を止めて「次の授業も頑張れ」って聖母の微笑みを浮かべながら頭撫でてくれてさー!涙出るかと思った」
「河原の頭ジョリジョリだもんな。触りたくなるのも分かるぜ」

 仲間から「今日頭洗えねーんじゃね?」「さすがにそれは無理があります」「じゃあ明日も撫でて貰えばいいじゃん」などと言われながら坊主頭を撫で回される河原を尻目に、高尾は深い深いため息を吐いて頭を抱えた。そもそも高尾は間近に控えた三連休の予定を聞き出す名目で伊月をマジバデートに誘ったのだ。久方振りの逢瀬に高尾の気持ちも急上昇する。しかし、マジバへ来てみれば伊月の姿は影も形もなく、変わりに待ち構えていた直の後輩である一年五人衆に捕獲された。
 ふわふわと浮ついていた気持ちも伊月に会えないのであれば、萎む一方だ。捕獲されてから永遠と聞かされている伊月中心の先輩・同輩自慢も高尾の気力を更に削り取る。
(惚気てーのはこっちだっつーの…!)
 心の中で悪態は吐けど、全方位から飛んでくる殺意の波動で口を動かすことはおろか呼吸するのも危うい。特に降旗の波動にはガチな気配がして、鷹の目を使わなければ様子を窺うことが出来なかった。

「ところで高尾君」

 急に話を振られた高尾が顔を上げれば、何を考えているか分からない吸い込まれそうな空色の双眸と視線がかち合う。あからさまな死亡フラグの掲揚に高尾は口を閉口し、黒子の言葉を仕方なく待った。

「伊月先輩のこと、好きですか?」
「好k「オレの方好きだ!!!」

 言い終える前に降旗が言葉を被せてきて、高尾は諦めに似たげんなりとした表情を浮かべる。

「確かにただの後輩のオレがこんな感情抱いたらいけないのかもしれない。それでもオレは、伊月先輩が好きなんだ…!好きなんだよ…そこのハゲタカよりも遥か前に好きになっていたのにまんまとかっさらいやがってちくしょうめぇ…!!」
「ハゲタカじゃねーから!!ハゲて!ねーから!!」
「オレだって伊月先輩の香りを胸一杯吸い込みたかっ……あ、これは毎日やってた」
「ファッ?!」
「オレも土田先輩みたいに教室デートしたかった!!『なあ、光樹。キスして?』って甘えられたかったなあああああああああああああああ!!!!!!!!」

 机に突っ伏し、おろろ〜んしくしくおろろ〜んと泣き始めた降旗の背中を黒子が優しく撫でさする。火神は泣き崩れる降旗の頭にチーズバーガーをそっと乗せ、河原と福田は降旗が地道に建設したポテトタワーに自分の食べていたポテトを献上した。
 誰かさんのおかげで失恋したフリかわいそう…マジかわいそう…と仲間を心配するギャル風な空気に高尾はただただドン引きする。たまにちらちらと高尾に視線を寄越してはこれ見よがしにため息を吐くのもまた、完全アウェーな環境下に置かれた己のテンションを下げるのに一役買っていた。そして、誠凛はこんなところでもチームプレーをするのかと戦慄する。
(つか降旗がビビりとか絶対嘘じゃん!)
 高尾はこれ見よがしに泣き崩れ、同輩達から慰められる降旗と同じように机に突っ伏したい衝動に駆られるが、両手を机に付いて体を支えることでなんとかそれを耐え忍ぶ。そんな時だ。学ランのポケットに忍ばせていた携帯電話が震え始めたのは。
 断続的に震えるそれから察するに着信なのだろう。「フリが泣いてるのに電話出んのかよー」と両サイドからやいのやいの言われ、前方から舌打ちを浴びせられながらディスプレイを覗けば、そこには大好きな恋人の名前が記されていた。

「あ、伊月サン…」

 おもむろに伊月の名を呼べば、五人は真顔で口を閉口する。その一瞬後には「早く出ろよ!」「ワンコールで出ないとか最低」などと清々しい程の手の平返しを見せてくれた。
 そんな五人に何か言ってやりたい気もするが、今は伊月との電話の方が先決だ。高尾は背中に突き刺さる五つ分の視線を完全に無視して、荷物片手に席を立ち、ゴミはゴミ箱に捨ててから逃げるように外に出る。真後ろにぴったりとくっつく不穏な空気を纏う水色を鷹の目が捉えたが、構わず通話ボタンを押した。

「もしもし」
『あ、高尾?』

 冷静で落ち着いた涼やかな声が波立った高尾の心をゆっくりと解きほぐす。自然と緩む表情筋をそのままに高尾は伊月の声に耳を傾けた。

『ごめんな、待たせて』
「いや、大丈夫っす。黒子達もいたんで話し相手には困らなかったし……」
『それこそごめんな。大変だったろう』

 大変といえば、大変だった。しかし、それを伝えようにも真後ろに不穏な空気を纏うアサシンが控えていては口を閉ざすしかなくて、誤魔化すように苦笑を零す。
 高尾の煮え切らない様子に何かを察したらしい伊月はため息混じりに「ほんとごめん」と三度目の謝罪を口にした。

『お前まで巻き込んで』
「いいんすよ、オレのことは気にしなくて。それより伊月サンは今どこに?」
『ん?お前の視野の範囲内』

 言われ顔を上げれば、マジバの向かい側、横断歩道の先に伊月が立っていた。伊月は信号が青に変わると小走りでこちらに近付いて来る。通話を終了した携帯をポケットに仕舞いながら、高尾もまた伊月の方へ歩み寄った。

「捕まったんなら言ってくれば良かったのに」

 そっちに迎えに行くというニュアンスを含ませれば、伊月は優しく微笑んだまま首を横に振る。

「オレも会いに行きたかったから、いいんだよ。これで」
「伊月サン……」

 健気とも取れる伊月の言葉に胸を打たれ、勢い任せに抱きつきたかったが、何分真後ろで高尾の背中を突きまくる水色のアサシンが居たため堪えるしかない。高尾が嬉しいのと痛いのが綯い交ぜになった表情で突っ立っていると、しょうがないと息を吐いた伊月が高尾の肩口から後ろを覗き込んだ。

「黒子もイタズラしてないで早く帰りな」
「バレてましたか」
「ふふん、ワシの目を甘く見ないでくれよ。鷲だけにな、キタコレ!」

 後ろにいる黒子に声を掛ける為とはいえ、この密着度は無意識なのかそうじゃないのか。どちらにしろ役得には変わりなく、高尾は伊月が離れる僅かな間に鼻孔を擽る清涼な香りに酔いしれた。

「じゃあ、オレ達行くな」
「はい。また明日、部活で会いましょう」
「ああ、また明日」
「高尾君もまた会いましょうね」
「へいへい、またな」

 外に出て来た降旗達にも律儀に手を振る伊月に手を引かれ、高尾はマジバを後にする。しばらく繋いでいた手は伊月の後輩達が見えなくなると、人通りの少ない道の為か自然と小指同士を絡め合うだけのそれに変わっていて。高尾は星が瞬く夜空をぼんやりと眺めながら、凝り固まった体を解きほぐすようにゆっくりと息を吐き出した。

「大丈夫か?」
「伊月サンに会えたんで平気っす」
「なんだそれ」

 小さく声を立てて笑う伊月が可愛いと、高尾は横目で隣を伺いながら思う。

「とはいえ、ほんと待たせて悪かった。まさか日向達が足止めしてくるとは思わなくて、ちょっと油断した」
「愛されてますね」
「大分重いけどな。それに今は、高尾の愛だけで充分間に合ってるからさ。だからそろそろ、オレ離れしてくれないかなぁ」

 アイツら、と凪いだ声で言われてしまえば、曖昧な相槌しか出てこなかった。
 あの夏合宿の夜、無理矢理伊月から聞き出した同輩・後輩の愛が重いという話。
 好かれるのはとても嬉しいことだが、このまま同輩や後輩の愛に潰されて仕舞わないか、その愛にきちんと応えることが出来ているのか。時折、漠然とした不安が伊月を襲っていた。あの日はちょうど、次から次へと押し寄せてくる不安をやり過ごしていたところで、そこにタイミングが良いのか悪いのか高尾が現れたという訳だ。
 そして、早く自分離れして欲しい。誰かと恋仲になればあるいは…。伊月と高尾の関係を誠凛のメンバーに隠そうともしないのは、そういう願いも込められている。
 高尾は二人の間を駆ける夜風に身を震わせたかと思えば、肩がぶつかるほど伊月との距離を詰め、努めて明るい声音で言葉を口にした。

「つかオレも、伊月サン離れ出来ないっすわ!どうしましょ…!」
「それならオレのそばにいな、ずっと。他に目移り出来ないくらい、愛してあげる」

 伊月の緩く眇められた妖艶な双眸が高尾を捕らえて放さない。耳を擽る甘ったるい囁きとリップ音に高尾は頬を紅潮させ、口を金魚のようにぱくつかせた。

 結論、誠凛バスケ部は愛が重い。






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