お家でまったり。

 貴重な部活休みが重なった日は、会えなかった日々を埋め合わせるようにデートを重ねる。なんだかんだと外出が多いから今回もそうなんだろうと思っていた森山由孝は数ヶ月前、猛烈アタックの末にやっと頷いてくれた恋人・伊月俊から届いたメールをたっぷり三回読んだ瞬間、手に持っていた携帯を床に滑り落とした。

『今度、家に来ませんか?』

 エコーが掛かるその言葉を高速で脳処理し、ようやく理解した森山はバックライトが消えた真っ黒い画面にゆっくりとした動作で視線を寄越す。震える指先で画面をソフトタッチ。再び明かりがパッと灯った画面に書かれた文字をもう一度よく読み直して、森山は天高く拳を突き上げた。その様は「我が生涯に一片の悔いなし!!!」とでも言いたげな世紀末覇者ばりの濃い顔をしていたとかなんとか。
 一頻り喜びを噛み締めたあと、森山は伊月に返信していないことに気付き、急いで了承の意を伝えるべくメールを送る。数分後に返ってきたメールには安堵と待ち合わせの時間、「お家デートですね。サンデー、とても楽しみです!キタコレ!」という彼お得意のダジャレが記されていて。伊月にメロメロな森山はたったそれだけの文字でだらしない顔を晒したまま、ゴロンゴロンと床を激しく転げ回った。

「由孝、………」

 その尋常じゃない喜びようを目の当たりにしてしまった母親は森山に風呂に入るよう促すこともせず、生温かくも優しい目をしながらそっと息子の部屋の扉を閉めたのだった。



+++++



 そして、お家デート当日。「お友達の家に行くならこれ持って行きなさい」とやたらお友達の部分を強調していた母親から渡された神奈川銘菓アーモンドコーヒーカステラを手土産に引っさげた森山は、立派な面構えをした日本家屋に伊月の表札を掲げた玄関前でインターフォンを押すポーズのまま突っ立っていた。
 押すぞ、押してやるぞ!押してやるからな!
 先程からずっと心の中で気合いを入れつつも一向に押す気配のない森山。その必死過ぎる立ち姿は誰がどう見ても軽い不審者のそれで、非常に残念な様子を惜しげもなく晒していた。

「あら?もしかして、森山くん?」

 ようやっと決意を固め、人差し指に力を込めた瞬間。森山は真後ろから降ってきた朗らかな女性の声にびくりと肩を揺らしてしまう。さっと後ろを振り向けば、そこに立っていたのは伊月によく似た艶やかな濡羽色の長い髪を持つ美しい熟女。

「お義母さん……今日も朝露を浴びた白百合のようにお美しいですね」

 伊月の母親だった。ちゃっかりお義母さんなどと呼び、条件反射のように渾身の決め顔で口説き文句を吐く森山に対し、「森山くんたらお上手ね」なんて微笑んで見せる伊月の母親。緊張でガチガチに固まった体を解すような微笑みにつられ、ふっと体の力を抜いた森山は押すつもりなどなくなっていたインターフォンをうっかり押してしまった。遠くで聞こえた軽快な音と聞き覚えのある愛しい声音に、森山は油の切れたブリキの人形のようにギギッと音を立てて、まだ閉められた引き戸を凝視する。

「しゅーん、森山くん来てるわよー」

 いずれは義母になるであろう人が近づいて来る足音に息子の名前と共に森山訪問を告げた途端、すぐさま引き戸が開けられた。その素早い反応に口から心臓が飛び出る心地がした森山の目の前には無地の白いワイシャツにジーンズという出で立ちの伊月が目を真ん丸にして出迎えてくれた。

「は?」

 目の前の現実が受け止められないのか、間の抜けた表情で伊月は森山をじっと見つめる。伊月がそんな反応をするのも致し方ないことなのだ。なにせ待ち合わせの時間はあと一時間も先なのだから。

「楽しみ過ぎて早起きしちゃったから、早めに来ちゃった」
「は?」

 居たたまれず、てへぺろした森山に真顔を貫き通す伊月だったが母親の「俊も部活でもないのに早起きしてたのよ」という何気ない一言でぶわりと頬を真っ赤に染め上げた。このまま母親と一緒にいれば、余計なことを言われ兼ねないと危惧したらしい伊月は森山を有無を言わさず家の中に引っ張り上げ、背中を押して二階にある自室へ行くよう促すのである。
 伊月も楽しみにしてくれてたんだな。
 浮かれていたのは自分だけじゃない、それどころか伊月と同じ気持ちだったと知り、森山は安堵し、ふっと肩から余計な力を抜くことに成功する。それと共に背中から伝わる温かな熱を甘受しながら、たいそう嬉しげな笑みを浮かべるのであった。

「あ、森山さん笑ってる!」
「ごめんって」



 伊月の自室に押し込まれた森山は現在、首元に手を置いて伊月らしいシンプルでありながら機能的な部屋を物珍しげに見渡していた。実をいうと伊月家への訪問はこれで二度目なのだが、一度目はあまりにも緊張し過ぎて伊月しか目に入っておらず、部屋を見る余裕など露ほどもなかったのだ。
 しかし、今は。
 部屋の主のおかげで緊張もほぐれ、周りに目を向けられる余裕がある。四畳半ほどの和室に家具は勉強机、角にある本棚と向かい合う形で置かれた箪笥。そして森山来訪の為に出したであろう部屋の中央に鎮座する折り畳み式の丸テーブルと烏羽色の座布団二枚。いつも使っている布団はきっと押し入れに押し込まれているのだろう。
 森山は部屋を一通り見回したあと、出入り口になっている襖の方に目を向ける。お茶菓子を取りに行った伊月が戻ってくる気配は、ない。
 何をして待っていようか。森山はしばし思考を巡らしたあと、押し入れの鴨居に掛けられた制服にふっと視線が止まる。ジッパー式の変わり種な学ラン。海常のブレザーとはまた違った誠凛の制服に近付き、じっとそれを見つめた。そして何を思ったのか、森山は学ランに顔をうずめ、すんすんと匂いを嗅ぎ始めたのである。

「……何、してるんですか」

 出入り口の方から声がして、すぐさまそちらを向けば、お菓子や飲み物を乗せた盆を持った伊月がなんとも形容しがたい微妙な顔でこちらを見つめているではないか。
 たっぷり見つめ合うこと約一分。先に動き出したのは森山で、伊月の手から盆をそっと奪うと丸テーブルに丁寧に置いた。そして、足早に伊月の元に戻った森山は目の前で固まる彼の肩を掴むと真剣な面持ちで語りかけるのだ。

「違う、いや違わないけど。別に変な意味とかではなくて純粋に珍しい制服だなーって見てただけだから、うん」
「でも制服の匂い、嗅いでましたよね」
「まあ確かに嗅いでいたかもしれないけど別に変な意味とかは全くないからな。それにぜんっぜん!全然変な匂いもなかったし!むしろ伊月の香りがしてこっ………」
「こ?」
「こっ………こうふん、シマシタ」

 なんだこれいたたまれない。
 森山は言葉尻を小さくしながら、伊月の肩から手を離した。ああこれ完全に引かれたと心の中でギャン泣きしつつ俯いていれば、不意に視界を覆い尽くす汚れなき純白。森山が状況を全く把握出来ていないうちに首に回った腕はぐっと力を込められ、自分の方へと引き寄せる。そうすれば森山は必然的につんのめるような格好になって、目の前の自分よりいくらか薄い肩口に鼻先を埋めた。

「制服じゃなくて、オレにしませんか?」

 聞こえてきた言葉が自分にとってあまりにも都合が良すぎる言葉だったものだから、森山の脳裏に夢という文字がでかでかと浮かび上がる。しかし、自身を包み込む温かな体温と森山を魅了して止まない爽やかで尚且つ甘い仄かな微香。そして、彼がここにいるという事実が森山にこれは現実であると教えてくれる。
 それに据え膳食わぬは男の恥とも言うし。伊月からのお誘いも喜々としてのっていいということなのだろう。

「もちろん、伊月がいいに決まってる」

 森山は胸一杯に伊月の香りを吸い込み、自分が思う今日一番の決め顔を携えて肩口から顔を離した。目にした伊月はといえば、目元を恥じらいの紅で染め上げて身長差によって必然的に生じた上目でこちらを見上げてくるのである。
 えっ、これしていいやつ?しちゃう?
 生唾をこくりと嚥下した森山は伊月の滑らかな頬を両手で包み込むとゆっくりと目蓋を下ろす彼に顔を近づける。お互いの吐息が混じり合い、唇同士が重なる……かというところで階下から伊月を呼ぶ声が聞こえ、全力で距離を取った。
 伊月は出入り口の襖を開け、部屋から顔出して階下の母親の応対をし。森山はといえば、用意されていた座布団に正座で座り、一切ナニもしていないのに真顔で賢者タイムに突入していた。

「森山さん」
「ん?」

 母親との話が終わったらしい伊月が襖を閉めながら森山に声を掛けてくる。自分の隣に座布団を引っ張って来て、そこに何の躊躇いもなく座る伊月を視線で追いつつ、森山は次の言葉を待った。

「昼はカレーですけど、大丈夫ですか?」
「大丈夫」
「で、昼から両親が出掛けるみたいで二人っきりになるんですけど……ハッ!カレーを食べて、彼と二人っきり!キタコレ!」
「うん?二人っきり?」
「はい、姉も妹も夕方まで帰りませんし」

 伊月の「あとお土産ありがとうって母が」という言葉も聞こえていないほど、森山は心の中で全力ガッツポーズをしていた。

 それから自然とバスケの話になって時間を忘れるほど盛り上がり、伊月の両親が出掛ける頃に二人で昼食のカレーとデザートのコーヒーゼリーを食べた。そして二人で後片付けをして、居間でつけっぱなしのテレビに映るバラエティー番組をボーッと眺め、次は何をしようかと考える。
 このまま伊月とまったりするのもいいかもしれない。
 伊月がいればもう何もいらない満腹です状態の森山だったが、心の中の悪魔が囁くのだ。
 ってそうじゃないだろ森山由孝!家族不在の二人っきりの時間、ヤることといったらひとつしかないだろうがっ…!
 一人悶々とそんなことを考えていると森山の右肩に重みが加わった。そちらに視線を向ければ、さらりとした絹糸のような黒髪が目に入る。誰かなんて決まりきっているが一応確認の為に名前を呼んでみた。

「伊月…?」

 返事の代わりにそっと手を撫でられ、ゆっくりと絡め取られる。伊月からの接触に心臓が早鐘を打ち始める森山はどの行動が正解なのかよく分からなくて。とりあえず、肩にある艶髪に頬をくっつけてみた。
 伊月から微かな笑い声が漏れ、先の行動は正解の一つだったことに森山は安堵の息を吐く。すると「森山さん」と甘えるように呼ばれ、絡める指に力を込めた。

「なに?」
「森山さんといっぱいしたいことあったんです。録り溜めたNBAの試合見たり、ダジャレ聞いて貰ったり、小さい頃のアルバム見たり、いっぱいあったのに…」
「うん」
「そんなことよりも森山さんに触れたいと思うんです。変…ですよね、こんなの」

 苦笑混じり言われた言葉に森山は心臓を鷲掴みにされる心地がした。
 なにこの可愛い生き物キュン死する!キュン死する!!
 頭の中は絶賛お祭り騒ぎ中な森山ではあるが、まだ欠片ほどの理性が残っていたようでどうしたものかと鈍り掛けていた思考を無理矢理叩き起こして考える。オオカミにジョブチェンジしたと思ったら寸でのところでお預け食らわされ、速攻賢者タイムに突入したのはつい先程のこと。二度もそんなことがあったら由孝今度こそ立ち直れないここは紳士にいくべきだ。冷静な頭がそう語りかける。
 だが、しかし。
 伺うように見上げてくる潤んだ灰色の鷲の目が、微かに震える薄い唇から縋るように呼ばれた自分の名前が、森山の理性を軽々と粉砕していく。勝てる気がしない。
 白旗を上げると同時に森山は、本能に従うべく乾いた唇を湿らせながら言葉を紡ぎ出した。

「変じゃない」

 伊月の顔の輪郭を確かめるようにするりと撫で上げ、そのまま耳を擽り、髪をかき上げながら後頭部に手を添える。

「変じゃないよ」
「森山さん、」
「オレも伊月に触れたい」

 森山は伊月が何か口にする前に後頭部を引き寄せ、今度こそ互いの唇同士を重ね合わせる。ここが伊月家の居間で、真っ昼間で、ご家族が不在で、イケナイことをしていると森山も伊月も重々承知していた。
 でも、止まらない。止められない。
 森山の胸元に皺を作り、必死に徐々に深く、激しくなる口付けを甘受する伊月を視界に収めれば、更に大きく情欲の炎を燃え上がらせる。これ以上はここではさすがに無理だと瞬時に判断した森山は一旦唇を離し、ふわふわとした表情で不思議そうに小首を傾げる伊月を横抱きして居間を出た。

「森山さん?」
「続きは伊月の部屋で、ね?」

 言葉の意味をすぐに理解した伊月は顔を熟れた林檎のように真っ赤にして、それを隠すかのごとく森山の肩口にすり寄せたのだった。

 この後、伊月の部屋で思う存分いちゃいちゃちゅっちゅしたのは言うまでもない。



 夕方、森山は伊月の家族が帰って来る前に帰宅することにした。絶好調過ぎてご家族の前でペロリと口を滑らせてしまい兼ねないからだ。正直、伊月を一人残して来るのは心苦しい。駅まで送って貰うことも考えたが、今の伊月はとんでもない色香を纏っていて人目に晒すわけにはいかなかった。というか晒したくなかった。
 でもいいんだ、大人の階段駆け上がったからっ!
 リア充臭をプンプンさせながらドヤ顔気味に駅の構内で神奈川行きの電車を待っていると森山の携帯に一通のメールが届く。差出人は先程まで同じ時を過ごしていたべらぼうに可愛い恋人からで。

『キスした森山さんは家に帰す、キタコレ!』

 ダジャレだけでも表情筋がだらしなくなるというのに。スクロールさせた先、共に送られてきたメッセージに森山は心臓を再び撃ち抜かれ、身悶えそうになる自身の体を戒めるように抱き締めるのであった。

 どんなメッセージが書かれていたのかは二人だけの秘密である。






[前へ] [次へ]
[戻る]





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -