この感情を恋だとするなら、

 花宮真は何を思ったのか、自宅の勉強机に鎮座する国語辞典で自分には到底縁がないであろう『恋』という言葉を調べてみた。単なる暇つぶしだと必要のない言い訳まで付けて。

 『恋』とは、特定の異性を強く慕うこと。切なくなるほど好きになること。また、その気持ち。

 刹那、切れ長の瞳を持つ黒髪の少年が花宮の脳裏を覆い尽くす。笑ったり、怒ったり、泣いたり。メスの顔で誘ってきたり。
 いろいろな表情で自分を呼ぶ彼の少年のビジョンを掻き消すように花宮は手に持っていた国語辞典を全力で床に叩きつける。ぜーはー、肩で息をしながら「ねーよ、ぜってー有り得ねー」と呟き続けた。
 そう、自他共に認める下衆野郎な自分が人を好きになる筈がない。ましてやその対象がよりにもよって、怪我をさせた相手のチームメイトの男なのだから。己の気持ちを認めたくないのも致し方ないのかもしれない。
 だけど。
 花宮は気持ちを落ち着けるように息を吐いてから床に転がる国語辞典を拾い上げ、勉強机に置きながら考える。仮に。仮に自分がアイツに恋をしているとして、恋人になりたいかと聞かれれば、正直。正直なところ、なりたい。独り占めしたい。手を繋ぎたい。抱き締めたい。キスしたい。ぶっちゃけセックスだってしてみたい。
 完全にアウトである。
 しかし、花宮は頑なだった。だって所詮は仮定の話。現実になる筈がない話。他人の未来を踏み潰して嘲笑う自分が、アホ面を晒して人並みの幸せを噛みしめるだなんて。

「ふはっ、それこそ有り得ねー」

 自嘲にも似た歪んだ笑みを零し、近くにあったベッドに力無く倒れ込んだ。



 その日、花宮は夢を見た。
 霧が掛かったような場所で誰かを探している夢。無数の茨が待ち構える中をただただ走って、走って、走って。ようやく見えた人影に足を止め、安堵の息を吐いた。

―――帰るぞ。
―――お前と?なんで?
―――なんででも。
―――だってお前は傷付けるだろ?

 ソノ背中ノトゲデ…。

 言われて、花宮は乾いた唇を噛んだ。
 それでも。それでも、オレは……、

―――お前に抱き締めて欲しい。

 人影の腕を掴んで、引き寄せた。

「好きだ」



 思い出すのも忌々しいといわんばかりに近くいた山崎弘の足を蹴り飛ばす。花宮のいきなりの理不尽な攻撃に山崎は頭上にクエスチョンマークを飛ばし、首を傾げながら蹴られた箇所を優しくさする。それでも気が治まらなかった花宮は悪態を吐いて、近くを通った原一哉の肩を殴りつけた。

「え、痛いんだけどっ」

 原の言葉も完全無視である。それほど花宮は気が立っていた。
 なんせ、あんな夢を見ただけでは飽きたらず、それを事あるごとに思い出すなんて。部活の時間になっても切り替えられない自分の頭に腹を立てながら、もう一度原の肩に理不尽な拳を叩きつけた。

「花宮」

 すると、古橋康次郎が手がつけられない猛獣と化し始めた花宮の背後にすすっと忍び寄る。顰めっ面の花宮は返事の変わりに舌打ちをし、視線だけをそちらに向けて次の言葉を待ってやった。しかし、古橋はそんな花宮に自分の携帯の画面を向けるだけ。見ろということなのだろう。花宮はしぶしぶ古橋から携帯画面に視線を移し、驚きの余り瞬時に目を丸くした。
 なぜなら、そこに映し出されていたのは古橋と夢に出てくるほど頭の中を占領している切れ長の瞳で黒髪の少年・伊月俊のツーショット写真だったからだ。古橋は相変わらずの表情が削げ落ちたような顔で写っている。その表情でダブルピースされても楽しさなんて微塵も伝わってこない。
 片や伊月は切れ長の瞳を緩ませ、口元には綺麗な弧を描いている。どうしてだか、天使の微笑みを浮かべる伊月の周りに可憐なお花が舞って、仄かにキラキラでピンク色のオーラが見えた。目を擦って、もう一度見てもそれは変わらない。どころか画面から古橋が消えた。有り得ない。

「は、えっ?…これ、誠凛の……」
「伊月だな」
「なんで…」
「偶然通りががった伊月行きつけの喫茶店で、偶然相席をすることになったんだ。それで記念にと一緒に写真を撮って貰った」

 しれっと放たれた言葉に花宮はイライラを募らせる。偶然なんて言っているが、それが本当に偶発的な出会いなのかも怪しいところ。何より伊月とツーショット写真を撮っているのが気に入らない。
 いや待て、気に入らないってなんだ。

「あ、オレもこの前伊月と会ったー」

 傾き掛けた思考を叱責して、くっそ真面目に練習メニューの確認でもしようかと思ったら、復活した原が「ほら」と花宮の目の前にズイッと携帯の画面を差し出す。そこにはフーセンガムを膨らませる原と頬をくっつけあい、くすぐったそうに可愛らしく笑う伊月の姿があった。
 花宮がポカーンとしたまま、画面に映る伊月を凝視していると原が山崎や瀬戸健太郎の携帯まで持ち出して画面を見せつけてくるのだ。しかもどれもこれも伊月とのツーショット写真ばかり。

「だって伊月、美人じゃん」

 何なのお前ら自慢?ツーショット写真なんて難易度の高い代物を持ってないオレへの自慢?ふざけんなバァカ!!!!
 と、花宮が内心悪態をついているとつい先程まで眠っていた筈の瀬戸が欠伸をしながら呟いた。再び寝息を立て始めた瀬戸に同意するように山崎、原が口を開く。

「確かに男にしt「つか、可愛いよね」…被せてくんなよおいっ」
「オレ、伊月となら余裕でセックス出来るわー」
「おい原、お前もうちょっと言い方があんだろ。ストレート過ぎるわ!」
「えー?じゃあ、抱ける」
「そういう問題じゃねーよっ!!!」

 山崎の肩パンチをフーセンガム膨らませながらひらりと交わす原の横で、花宮は瀬戸、原、(ついでに山崎)の言葉が走馬灯のようにぐるぐるぐるぐる回っていた。
 美人?可愛い?余裕で抱ける?
 何言ってんだコイツらと鼻で笑ってやりたかった。男に可愛いとか言ってんじゃねーよと蔑みたかった。しかし花宮は、次々と湧き上がる負の感情を抑えるのに忙しく、悪態を吐くほどの余裕はない。
 伊月を美人だと誉め讃えていいのは自分だけでいい。可愛いと愛でるのも、彼を抱くのも自分一人だけで十分なのだ。

 触るな、伊月は……、

 思考の奥地に辿り着いた時、花宮はこの気持ちを受け止めるしかないのだと悟る。
 ああ、ああ。認めようじゃないか。伊月俊が好きだ。愛している。あのお綺麗な面を快感で歪ませてやりたいくらいには。
 だから、気に食わなかった。古橋達が当たり前の顔して一緒に写真を撮っていることに。伊月が自分以外の人間の隣で笑っていることに、嫉妬したのだ。

「あーあー、うっせーな」
「花宮?」

 未だに騒ぐ原と山崎の声に独特の眉を不機嫌そうに寄せてぽつりと呟けば、それが聞こえていたらしい古橋に不思議そうに名を呼ばれる。花宮は返事の変わりと言わんばかりに唇を歪め、続けて言葉を紡ぎ出す。

「そんなに元気なら練習メニュー増やしても問題ねーよな」
「え、ちょっ、マジ?」

 それから、

「オレの許可無くオレの伊月と写真なんて撮ってんじゃねーよ、バァカ!!」

 花宮はそう言って、部室の扉を乱暴に開け放ち体育館に向かうのだった。



+++++



 主に古橋、原、山崎、瀬戸をいつも以上に扱きあげた部活終了後、花宮は善は急げと驚くべき行動力を発揮して同じ都内にある誠凛高校の校門前まで来ていた。きっといい子ちゃんの伊月のことだ。通常の練習メニューに加え、自主練習もするに決まっている。となるとそろそろ、花宮が携帯の時間を確認していると校門からぞろぞろとタイミング良く学生の集団が出て来た。案の定、その集団はバスケ部で花宮は伊月の姿を見つけるとそちらに向かって歩みを進める。

「よう」

 声を掛ければ、集まる視線。その中に当然のごとく伊月のものも含まれており、花宮の唇は自然と弧を描く。

「お前霧崎の……何しに来やがった!」
「話がある。ちょっと来い」
「おっ、おい!」

 睨み付ける主将の日向順平を華麗に無視し、一直線に伊月の腕を掴む花宮。やいのやいのと文句や静止の言葉を言う周りを振り切って、目を丸くする伊月をまんまと連れ出すことに成功した。
 しばらく無言で歩き、近くにあった人気のない公園に足を踏み入れる。そこでようやく花宮は掴んでいた腕を放し、怪訝そうに眉を寄せる伊月と視線を合わせた。

「……さっさと用件を言ってくれ」
「おいおい、つれねーな。オレのチームメイトとはほいほい写真撮る癖によ」
「まさか、見たのか?」
「見たんじゃねーよ、見せられたんだ」

 花宮が忌々しいと言わばかりに舌を打てば、伊月は決まり悪いのかあーとかうーとか唸りながら視線を彷徨わせる。

「木吉のことを許した訳じゃない。けど、写真一枚だけって必死に頼まれたら断れないだろ、さすがに」
「お人好しの甘ちゃん過ぎんだろ」
「悪かったな、お人好しの甘ちゃんで」

 チームメイトの必死さには少々ドン引いたが、伊月と会話をしているうちに花宮の気分はどんどん高揚していく。もっと、もっといろいろな表情が見てみたい。そう思った花宮は伊月の胸倉を掴むと、力任せに引き寄せて唇同士を触れ合わさせた。

「隙だらけなんだよお前。そんなんじゃ攫われちまうぞ」

 オレみたいなヤツにな。
 耳元で囁くと目をまん丸にして呆ける伊月の胸倉から突き飛ばすように手を放し、にんまりと口角を上げる花宮。立ち去る背中を押すように聞こえてきた大絶叫にますます気を良くし、花宮は小さく声を立てて笑った。

 覚悟してろよ、伊月俊。

 この感情を『恋』だとするなら、国語辞典に載っていた意味よりももっとずっと泥臭く歪な形をしていた。






[前へ] [次へ]
[戻る]





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -