隣にいる君が好き

 夏の合宿でたまたま場所が重なった誠凛と秀徳はそれ以来、ごくたまにではあるが練習試合や合同練習を開くようになっていた。同じ都内の好、交流が増えてもいいじゃないというのは勿論建前で両校の思惑が見え隠れしているのだがそれはさて置き。
 部活終了後、監督から次の日曜日に秀徳に赴いて合同練習をする旨を聞いた誠凛の面々は次々と声を上げる。そんな中、伊月は目を丸くしたまま、瞬きを繰り返していた。それに目敏く気がついた黒子は練習後の気怠い体を引きずって、すーーっと音もなく伊月の背後に回り込む。

「伊月先輩」
「え、うわ、黒子!?」
「はい、黒子は僕です」
「ああ、うん。で、どうした?」

 黒子に声を掛けられ、伊月は肩を跳ねさせる。言い知れぬ瞳でじっと見つめてくる相手に取り繕うように微苦笑を零し、小首を傾げた。黒子は数度口を閉口させてから「楽しみですね」とだけ呟いて、小さな小さな笑みを浮かべてみせる。
 伊月も「そうだな」、いつも通りの落ち着いた佇まいのままにそれだけ言って、監督の方を向き直す。素直に喜べたらどんなにいいだろう。それが分かっていたから、彼との関係を知る黒子は空気を読んで当たり障りのない言葉を選んでくれたのだと思う。でも、少しだけ。少しだけなら。
 伊月が後ろ手に小さく握り拳を作ったことは真後ろにいた黒子しか知らない。



+++



 そして、日曜日。
 誠凛高校バスケ部一同は秀徳高校の校門前まで来ていた。通例通りならば、秀徳の部員が校門から体育館までの道のりを案内してくれる手筈になっている。
 しばらく待っていると使いを頼まれたと思われる顔も名前も分からない部員の一人が姿を現した。伊月は彼が案内役として来てくれるのではないか、と少なからず期待していた自分に小さく溜め息を吐く。
 浮かれてる場合じゃないのに。
 彼、強豪秀徳で一年生ながらスタメンの座に座る一人、高尾とは恋仲ではある。が、コートに入れば好敵手なのだ。基本的なスペックが他よりも見劣りする自分が練習に集中しなくてどうする。
 伊月は肩に掛けたエナメルバックの幅広の紐を片手で握り締め、深呼吸一つ。秀徳部員の指示に従い、体育館に向かいながら気持ちをバスケへと切り替えた。
 ものの数分も歩けば年季の入った佇まいの体育館に辿り着き、靴からバッシュに履き替える。仲間と揃って室内に足を踏み入れ、視界一杯に飛び込んできたのは既に何十人もの秀徳の部員達が軽い練習ながら汗を流している姿。その姿は伊月含む誠凛部員達の闘志に火を付けるのに十分で。
 ステージの隅にまとめて荷物を置かせて貰い、そそくさとジャージを脱いで練習着に着替えた。気合いの入った挨拶をしてから各自ストレッチを始める。それが終わればサーキット、パス練、ドリブル練、シュート練。
 流れるように練習こなしていく最中、伊月は自分に向かって寄越される妙に熱を帯びた視線に気が付いた。Tシャツの袖口で汗を拭う振りをして、視線の先にいる人物に目を向ける。高尾だ。

「う、ぁ…」

 直後、先輩らしき人に思い切り頭を叩かれてすぐに視線は逸らされてしまったが。こんな、なんでもない小さなことで喜んでいる自分がいる。伊月は胸の奥からじんわりと広がる高揚感に頬を熱くした。
 それを紛らわすように放ったシュートはかっこ悪い放物線を描き、ゴールのリブにぶつかって明後日の方へ行ってしまった。

 合同練習らしく、誠凛と秀徳の両部員が入り混じったスリーメンをこなし、休憩に入る。伊月は仲間から少し離れたステージに下に座り込んだ。タオルを頭からすっぽり被り、スクイズボトル片手に緑間に突っかかる火神を見ては周りと同じタイミングで笑みを浮かべる。

「隣、いっすか?」

 そんな時だ。好きで好きで堪らない声が頭上から降ってきて、伊月はびくりと肩を揺らした。タオルの隙間から見えたのはやっぱり高尾で。嬉しさと照れとが綯い交ぜになって同時にせり上がり、上手く言葉が紡げない。結局、「どうぞ」という意味を込めて隣の空いたスペースをぽんぽんと叩くことしか出来なかった。
 それでも高尾は気を悪くすることなく、礼を言ってから伊月の隣に腰を下ろす。肩が触れそうで触れない微妙な距離。
 でも、手は簡単に届く。
 空いた方の指先で高尾の服の裾を摘まんだら、すぐにその手は捕まえられて指を絡ませあう。伊月は額を自分の膝にくっつけた。頬が熱い。目が潤む。ドキドキが止まらない。太ももに掛かる吐息が思いの外熱くて、慌てて緩む唇を引き結んだ。

「伊月さん」

 呼ばれて、返事の代わりに絡ませた指の腹で手の甲を撫でる。

「ねえ、伊月さん」

 とんっと肩がぶつかって、タオルを隔てた向こう側に彼の吐息を感じた。

「こっち、見て欲しいなー」

 なんて。
 高尾からの甘みを帯びたお願いに伊月の心は容易くぐらつく。伊月はしばらく思案してから、絡ませた指を解いてタオルの端をぺらりと捲った。
 察しのいい高尾は伊月からタオルの端を受け取り、自らの頭をそこに潜り込ませる。ゆっくりと目線を動かせば、すぐそばで灰色の瞳と視線が絡み合う。

「……近い」

 ぼそり、呟いた一言はただの感想に近くて。恥ずかしいからってさすがにこれはないと自分でも思う。案の定、笑い上戸の彼は「ぶふっ!すんすかそれ!」と吹き出した。伊月が気まずげに視線をうろちょろさせていると高尾は勢い任せに、けれど痛みなんてないほど優しくお互いの額同士をくっつけあって、唇に緩やかな弓を引く。

「でも超嬉しい」
「何が?」
「いや何ってこの状況が」

 確かに。伊月は心底納得したかのように頷いた。ただし心の中で、だが。そして、するりと口からついて出たのは、

「高尾って案外安っぽいんだな」

 という淡々としたなんとも可愛げのない言の葉だった。

「そこは初々しいとか可愛いとこあるねとか言いましょうよ、嘘でもいいから」
「オレ、嘘付けないんだ」
「もうそれ自体が嘘じゃん!」

 言って、何がおかしいのか分からないけれど、お互い顔を見合わせて笑い合う。

 と、ここで彼らの特徴的な能力の鳥の目、比喩的視点から周りを見てみよう。タオルを被って笑い合う二人から飛んで飛んで飛んで。体育館を一望してみると、なんということでしょう。誠凛、秀徳のバスケ少年達の視線は皆一様にステージ前の二人に注がれているではありませんか。
 淡いピンク色をしたオーラを纏う小鳥達ーーというには些か憚れる種類の勇猛果敢な猛禽類ではあるが気分と語彙的にーーを、ある者は眼鏡をかち割り、ある者は二度見し、ある者は顔を真っ赤し、ある者は砂糖をこれでもかと吐き出し見守っていた。
 次いで始まるお前ら仲良いなレベルの意思疎通の完璧なアイコンタクト。

 眼前の鳥からピンク色のオーラ出てんだけど。え、あいつら、そういう?おめでた系?お赤飯?お赤飯炊けばいいの?ライスシャワーを全力で叩き付ければいいの?

「ご飯粒は粘っこいからシャワーにならないんじゃないか?」
「お前は黙ってろ木吉」

 とうとう話題が小鳥達もびっくりな超飛躍を見せ始めた時、体育館を揺らすほどの轟音が鳴り響いた。
 飛んでいた鳥が羽を休めるために止まり木に降り立ったところで、ここからはまた伊月の観点から話を進めるとしよう。

 伊月はぱちくりと瞬きをして、広がる視界からの情報を処理しようと試みる。高尾と笑いあっていた直後、すぐ近くで轟音が響くのと同時に抱き込まれながら横になった。何かから守られるように。
 ああ、そうか。押し倒されたのか。
 その事実に至った伊月はぶわりと顔を真っ赤して、高尾の下で出来るだけ小さくなれるように体を丸めた。当の高尾はといえば、伊月を守るかように強く抱き込み、近付いてくる影を睨み付けながら威嚇するかのごとく声を荒げる。

「おま、伊月さんにあたったらどうするつもりだったんだよ!マジふざけんな!」
「僕はただ、鬱陶しいハエがいたので追い払っただけです。高尾君にあてたとしても、伊月先輩にあてる訳がありません」
「分かってたことだけどオレの扱いびっくりするほど雑いな!ひっでぇ!!」

 どうやら高尾と話しているのは黒子らしい。ついでにあの轟音を鳴らしたのも。大方、イグナイトでバスケットボールをステージの壁にぶちあてたんだろう。
 黒子に人様の学校の壁に穴でも開けてしまったらどうするんだと注意したいのに、恥ずかしさのメーターが振り切れた伊月はそれどころではない。二人の世界に入ってしまってうっかり忘れていたがここは秀徳高校の体育館。しかも合同練習中。
 今更ながら突き刺さる生温かい視線に気が付いて、ますます体を小さくさせた。

「あー…その、なんだ?伊月と高尾って、つまり、えーっと、そういう仲な訳?」

 ギャラリーを代表して、誠凛の主将日向が眼鏡を高速で上げ下げしながら未だに言い合う高尾と黒子に向かって投げかける。

「あ、はい。一ヶ月前ぐらいから付き合ってま」

 高尾は黒子との言い合いを止めて、驚くほどあっさりと肯定の言葉を吐いた。が、最後の一文字を言い終わる前に伊月の手で口元を覆われて目を丸くする。

「まだ言わないって言ったじゃん……ハッ、言わない岩無い、キタコレ」

 真っ赤な顔で唇を尖らせたのもつかの間、思い付いたダジャレを口にして満足そうに微笑む伊月。それを目と鼻の先で見てしまった高尾は頬をピンク色に染めたと思った時にはむぎゅむぎゅと伊月を抱き締めていた。

「伊月さんかっわいー!」
「ちょっ、高尾!みんな見てるからっ」
「もういいじゃないすかー。存分に見せつけましょ、ね?」
「可愛く言ってもダメだからな」
「うはっ!オレのこと可愛いとか思っててくれたんすか!?嬉しいなー!」
「だーかーらー!」

 むぎゅむぎゅすりすりいちゃいちゃべたべた。そんな効果音が聞こえてきそうなほど高尾は伊月に容赦なく密着する。それを間近で見ていた黒子はギリィと心底悔しげに歯軋りをし、日向を始めとするギャラリー達は砂糖をこれでもかと吐き出した。
 そして、バッカプルのいちゃいちゃに終止符を打ったのは休憩終了を告げに来た両校の監督で。日向、大坪の両主将から事の次第を聞かされた監督達は伊月と高尾を引っ剥がし、二人に外周20周を命じた。
 逆らったら午後からの練習でバスケットボールに一切触れられなくなると察知した二人はそれはそれは仲むつまじく外周に向かう。外周後、確実にあれやこれやと聞かれるのだろう予想がついて憂鬱だ。
 しかし、頭を冷やすには丁度いいと高尾の先導で二人は走り出す。その頃には伊月の顔の赤みもとれ、いつも通りの涼しげな表情に戻っていた。


「伊月さん」

 約半分を走り終えたところで、高尾は主もろに伊月を呼んだ。

「…なんだよ」
「好きです」

 世間話の延長線ようにポンと出て来た愛を訴える言葉。伊月は緩やかに口角を上げて、隣を走る高尾を呼んだ。

「高尾」
「なんすか?」
「愛してる」

 先程の高尾のようにさらりと紡がれた伊月の愛の言葉を聞いた彼は足を止めて、顔を真っ赤にしながら口をハクハクと閉口させる。意趣返しが成功した伊月はしてやったりと笑みを浮かべるのだった。






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