「僕と踊ってくれませんか?」

 ぶわり。伊月は効果音が尽きそうなほど頬を真っ赤に染めて、金魚のように口をぱくつかせた。否定の言葉を言えるものなら言いたいけれど、たったあれだけの行動で王子に心臓を鷲掴みにされてしまい、そんな余裕を露ほども残されていない。
 周りの悲鳴を聞けば聞くほど申し訳ない気持ちなってくるが、王子の申し出を断れば、もっと酷い目に遭いそうな気もする。
 申し出を受けようにもダンスの教養は嗜み程度あれどそれは男役であって、女役ではない。八方塞がり伊月は王子と繋ぐ手に力を込めて、縋るような双眸を向けた。

(伝われ!オレのテレパシー…!)

 潤んだ双眸を向けられた王子と伊月が見つめ合うこと数秒。小さく頷いた王子は伊月を引き寄せると優しく抱き締めた。

「顔を伏せて、僕に寄りかかれ」

 囁くような小さな声に不思議に思いながらも赤く染まった顔を王子の肩口に埋めるように伏せ、緩く体重を掛ける。伊月が指示に従ったのが分かると、すぐに王子は近く控えていた従者を呼びつけた。

「玲央。父に自室に戻ると伝えてくれ」
「分かったわ。その子は?」
「気分が優れないらしい」
「手伝いましょうか?」
「いや、僕一人で充分だ」

 言い終わるや否や王子は背中と膝裏に腕を差し入れた所謂お姫様抱っこで伊月を抱きかかえ、そのままホールへと足を向ける。王子が居なくなったフロアからはあの絢爛豪華さに似つかわしくない大絶叫が響いていたが、伊月はそれどころではない。心臓はいつも以上に脈打ち、顔の熱は増すばかりだった。



+++



 伊月が連れてこられた先は従者の玲央という人に言っていたように、王子の自室だった。伊月の部屋よりも何倍も大きなそこは城の一室にしてはシンプルな作りをしているような気がする。他の部屋を見たことがないから確証はないのだけれど。
 細かな装飾が施された暖炉、いくつも並ぶ天井まで尽きそうなほどの高いガラス窓、月白色の遮光カーテンはきっと高級な布を使っているに違いない。他にもクローゼットやびっしりと本が詰め込まれた背の高い本棚は木の温もりを感じさせ、机も椅子も職人が端正込めて作っているのが一目で分かる逸品だ。
 そして、天蓋付きのキングサイズのベッドはとても寝心地が良さそうで。

(次元が違う)

 そっと王子の腕から下ろされる間、伊月は窮屈な仮面を外し、失礼な行動と分かりながらも物珍しげに部屋の隅々まで視線を巡らした。

「そんなに珍しいかい?」
「どれもこれもオ……いや、あー、ワタ、シ?…には手が届きそうにないなって」
「ここでは無理に取り繕う必要はないよ。いつも通りで構わない」

 仮面を外しつつ紡ぎ出された王子の言葉に灰色の双眸を二、三度瞬かせた伊月はややあって、「やっぱりバレるよな」と微苦笑を浮かべる。王子自身が気にしていないようだし、恐れ多い気はするがお言葉に甘えて、いつも通りの一人称と言葉使いで話すことにした。

「気持ち悪いよな、こんなの」

 月明かりが差し込む窓辺に歩みを進めながら、自嘲の笑みを浮かべる伊月。舞踏会の余りの絢爛豪華さに忘れ掛けていたが、自分は女装した――正確には女装させられた――男で。本来なら王子とこうして、話をしていい人間ではないのだ。
 同意を求めるように投げかけた双眸を捉えた王子は一拍置いてから、伊月の隣まで近付くとそっと頬を両手で挟み込み。印象的なヘテロクロミアを目蓋で覆い隠せば、ゆっくりと唇同士を重ね合わせた。

「僕は不快感を持つ人間に、口付けなどしない」

 伊月は信じられないものを見るかのような目で王子を見つめる。

「オレが男って、分かってるんだよな?」
「女性とは骨格からして違うんだ。触れた時点で君の性別は理解しているよ」
「なら、なんで……」
「将来の伴侶の不安を取り除くのも、婚約者足る者の役目ではないのか?」

 不思議そうに小首を傾げる王子の姿に、伊月は気が遠くなる心地を味わった。なぜだか分からないが王子と話しているとまるで、自分が的外れなことを言っているような気になってくるから不思議だ。
 だがしかし、ここで引き下がってはいけないと伊月は王子に食い下がった。

「いいか、オレは王子と婚約出来ない」
「なぜだい?」
「オレは王子の子を産めないんだぞ。世継ぎはどうするんだ?それでなくとも男が婚約者だなんて周りが認めないさ」
「そんなもの、理由にはならないな」
「はあ?!」
「君が子を産めなくとも、世継ぎはどうとでもなる。それに僕に掛かれば、反対派の意見を覆すことなど容易い。他には?」

 聞かれ、伊月は眉根を寄せ、ぐっと押し黙る。異次元の人間を相手にしているみたいで若干心が折れそうだ。これでは熱心に王子を見つめていた女性達に申し訳が立たない。なんとしてでも断らなければ、と必死になって思考を巡らしている最中。伊月はあの女性達のおかげで最も注視すべき理由に思い至り、人知れず握り拳を作った。
 これなら、イケる…!

「王子はオレのこと、好きじゃないだろ」

 伊月の勝ち誇った顔をじっと見つめていた王子はすっと双眸を眇める。王子の纏う空気が急激に冷えるのを肌で感じ取り、顔を青ざめさせた伊月は距離を取ろうと一歩後ろに踏み出すがしかし。頬にあった筈の片手が腰をがっちりと掴み、引き寄せられてしまえば伊月の少ない逃げ場などなくなったも同然であった。
 顔も逸らそうとしたのだが、もう片方の手で顎を掴まれてそれも出来ない。せめてもの抵抗として、胸を押してはいるが効果は薄いような気がする。
 そんな伊月を観察するように眺めていた王子はより体を密着させると、顔を近付け始める。その行動に驚いた伊月は待ったを掛けるが、それで動きを止める筈もなく。
 とっさに目を瞑った伊月の唇に、王子のそれが重なった。
 ちゅっ、ちゅっとリップ音を響かせ、弾力のある薄い唇を堪能するように何度も触れだけの口付けを繰り返す。嫌がる素振りを見せなくなった伊月に気を良くした王子は上唇を舐め上げ、下唇を優しく啄んだ。

「んぅ……っ、ふぁ…んんっ」

 やわやわとした刺激にたまらず緩やかに開いた唇に舌を差し入れ、ゆっくりと口内へ侵入していく。潜り込んだ舌が唾液を拭き取るように上顎をねっとり舐め回す。その度に伊月は肩を軽く跳ねさせ、縋るみたいに王子の服に爪を立てた。

「、っん!んぁ、んむ……ン…」

 伊月に呼吸をさせる為に解放された唇は再び、角度を変えることで隙間もないほど王子のそれに覆われる。舌同士を絡め合わせ、彼の唾液を塗り込められる心地を味わいながら、背筋を這うぞくりとした感覚に体を小さく震わせた。
 いつの間にか伊月は王子の舌に自らそれを摺り合わせ、口付けに溺れていたのだ。
 気持ちいい、もっとして欲しいと思ってしまう自分に恥じる気持ちありながら。ちゅっとリップ音を残し、離れていく舌を追い掛けてしまいたくなる気持ちもあった。
 熱に浮かされた体を持て余す伊月は潤む瞳を固く閉じ、目の前の自分よりいくらかしっかりした体に擦り寄って、肩口に額を埋める。こうでもしないと自ら王子の唇を追い掛けてしまい兼ねないからだ。

「これで分かったかい?」
「言葉にして貰わないと分からない」

 背中を撫でる手を感受しながら、優しく諭すような声音に耳を傾ける。確かにここまでされて分からないほど無知でも鈍感でもないが、やはり言葉が欲しかった。
 こんなの所詮はただの強がりだ。
 けれど王子は呆れることなく、自分の思いを口にした。

「僕の本能が君を求めている」
「もっとシンプルに言えないのか?」
「性欲を掻き立てられた」
「そうじゃない」

 子供が駄々を捏ねるみたいで、王子に呆れられたと思った。現に小さく溜息を吐いたのが伊月の耳にも届いていたから。

(口付け一つで簡単に靡いて、振り回して、オレって最低だな…)

 人知れず唇を噛んでいれば、静まり返った部屋に王子の淡々とした声音がぽつりと落とされる。不思議に思い、顔を上げれば、優しく微笑む王子と目があった。

「言うのは簡単だが、迷いのある君を今、言葉で縛ることなど僕には出来ない。お互い舞踏会の雰囲気に流されているだけかもしれない。そうだろう?」

 確かに。伊月は頷いた。

「だから、僕が君を迎えに行くその時までに気持ちの整理を付けるんだ。いいね?」
「…期限は?」
「一週間だ」
「分かった。王子はいいのか?」
「君を一目見た瞬間から娶る覚悟は出来ている」
「そっか」

 伊月はもう一つ頷いて真っ直ぐに王子を見つめれば、背中にあった腕の拘束が弱まった。一歩、また一歩と後退り、王子との距離が遠くなる。名残を惜しむように指同士を絡ませ合うが、伊月は眉をハの字にして微苦笑を零すだけで足を止めようとはしない。
 絡ませ合った指は爪の先すらそう簡単には触れ合うことの出来ない距離になり、とうとう伊月は王子に背を向けて駆け出した。音を立てて部屋から飛び出し、ドレスの裾を持って、まるで踊っているかのように人の間をすり抜けていく。
 無我夢中で走って、家に着く頃には伊月もドレスも泥だらけになっていた。



+++



 それから一週間。伊月は熟考した。
 来る日も来る日も頭の中を占領し、終いには夢にまで出て来て伊月を驚かせた。それくらい、王子のことばかり考えている。
 やはり男である自分が王子の婚約者になるのはおこがましいと思う反面、自分以外の誰かと婚約して欲しくない気持ちでせめぎ合っていた。いまだ答えは出ておらず、王子への申し訳なさで一杯で。生まれて初めて「朝日が上りませんように」なんて馬鹿なお願いまでしたほどだ。
 家族も泥だらけで舞踏会から帰って来た日からよく考え事をしている伊月の姿を目の当たりにし、お城で嫌なことでもあったのでは…と気を揉んだのは一度や二度ではなかった。
 今日もまた、家族をやきもきさせている自覚がありながらも自室に籠もって熟考していると外から馬の嘶きが聞こえてきて。不思議そうに首を傾げていると、階下から聞こえてくる自分を呼ぶ姉と妹の声。溜め息を一つ吐き、重い腰を上げて階下に行けば、目を奪われる鮮やかな赤。
 伊月の姿を見るや否や、印象的な赤と橙のヘテロクロミアが緩く弧を描いた。伊月もまた、彼の姿を視界に収めると先程まで悩んでいたのが嘘のように一つの答えに辿り着く。堪らない気持ちになった伊月は家族の前だというのに彼に向かって走り出し、勢い任せに抱き付いた。
 彼は伊月をひとしきり抱き締めると一旦体を離し、瞬きを忘れて呆然とする伊月の家族に向き直る。

「僕は赤司征十郎。彼、伊月俊の婚約者となる男です」






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