※ファンタジー、王子×下町商人の息子
※伊月が女装してます。





「俊、お願いがあるんだけど。私の代わりにお城の舞踏会に行って来てくれる?」

 城から届いた招待状を突き付け、いい笑顔でお願い(という名の命令)をしてくる目の前の姉に、少年――伊月俊は顔を盛大に引きつらせた。
 この時期の舞踏会といえば、『国の宝』と言われている王子の生誕祭のことで。更に今年は十と六になる王子の婚約者選びも兼ねているらしく、年若い未婚の女性宛に城から舞踏会の招待状が届けられ、城下町の女性達は皆一様に色めき立っていた。
 当然のごとく姉にも届いた訳だが、既に婚約者が存在する為、招待状は無用といえよう。

「それならオレじゃなくて、舞に行かせればいいだろう」

 大事な妹を売るようで心苦しかったが、体裁は男である自分が行くよりずっといい。何よりも姉からの強制的なお願いを回避する為なのだ。致し方あるまい。
 しかし、姉は伊月の言葉を聞くなり、呆れ顔で溜め息を吐いた。

「舞にも届いてるに決まってるじゃない」

 確かに妹は十と三。年若い未婚の女性に該当するのだから、届いてもおかしくはない。むしろ届いて当然なのだ。
 当然なのだが、王子とはいえ見ず知らずの男が可愛い妹の婚約者になるかもしれないと思うと、なんだか切ない。兄心というのは、案外複雑に出来ていたりする。
 姉や妹の結婚を考え、陰鬱とし始めた弟の姿を目の当たりにした姉は「しょうがない子ね」と一つ苦笑を零し、伊月の頭をぐりぐりと撫で回す。

「心配しなくても舞は行かないわ。あの子が婚約なんてまだ早過ぎるのよ」
「そっか。うん、舞には早いよな」
「でもさすがに二人共行かないっていうのはマズいから。俊、あなたが行くのよ」

 にっこり。効果音が付きそうなほどの綺麗な笑顔で姉にお願いされた伊月は、蚊の鳴くような弱々しい返事をした後、今までにないほどがっくりと肩を落とした。

(…のが、一週間前なんだよな)

 伊月は一人揺られる馬車の中、一週間前の姉とのやり取りを思い返し、小さく溜め息を吐いた。舞踏会に行けと言われた時点で、薄々はそうなるだろうと思っていたから覚悟はしていたのだ。けれどやはり、実際に着るとなると話は別になってくる。
 嬉々として眼前に出された撫子色のドレスにたじろぐも、最後にもう一度、と説得を試みるが敢え無く撃沈。伊月は姉と妹の手によって、あれよあれよと言う間にただの美少女に変貌を遂げていた。
 比較的薄い体毛の除去から始まり、顔は元がいいからと薄化粧で仕上げ、胸には詰め物。くびれを作る為にコルセットで締め上げられ、念には念をと女性ものの下着、ストッキングとガーターベルトを身に付けた時が一番のピークだった。
 何が悲しくてこんな姿を姉と妹に見られなければならないのか。伊月は「お婿に行けない…」とさめざめと泣いた。
 それでも姉と妹は手を休めること無く、伊月に着付けていく。襟元から胸元に掛けてのフリルと大輪の深紅の薔薇が印象的な撫子色の可愛らしいパーティードレスを身に纏い、黒髪ストレートを結い上げて作ったカツラを被った頭には胸元の薔薇と同色の羽根をあしらったヘッドドレス。手には総レースの手袋をはめて、首元はフリルたっぷりのレースのチョーカーでカバー。
 そうした過程を経て、ちょっと肩幅の広い女の子な自分が完成した。完成してしまった。姉と妹は「可愛い!」「これならイケる」「人混みに紛れば問題ない」と大絶賛してくれたが全くもって嬉しくない。
 徐々に降下する気持ちに比例して俯いていく顔をなんとか上げて窓の方に目を向ければ、薄ぼんやりと映るのは見たこともない自分の姿。姉がおめかしした姿に似たそれは所詮、紛いものでしかなくて。

「オレなのに…、オレがいない」

 不思議な気分だった。



+++



 そうこうしているうちに城に着いたらしい。いつの間にか馬車は止まり、顔を向けていた方とは逆の扉が開いていた。
 伊月はコルセットの締め付け具合に圧迫感と不快感を覚えながら馬車から下り立ち、履き慣れないヒールの高い靴で庭まで聞こえてくる陽気な声を道標に城の出入り口を目指す。品定めするような不躾な視線を寄越す門番の兵士に嫌々ながらも小さく会釈して、開け放たれた扉を潜った。
 一歩、ホールに足を踏み入れればそこは、商人の家に生まれた伊月には無縁の夢のような世界が広がっていて。唖然としたまま立ち尽くしている間に目が痛くなるほどの眩しい人の波は盛んに動き続け、伊月が気付いた時にはフロアの前に立っていた。
 そう長くはない距離を歩いただけなのにもう既に疲弊していて、中に入るのは遠慮したい気持ちで一杯だ。そう思いながら出来るだけ端の方に寄る伊月の脇を、獲物を狩らんばかりの猛然とした双眸の着飾った女性達が中へ我先に押し入って行く。

「猛者だな…」

 改めて女性の恐ろしさを目の当たりし、顔色を悪くする一方の伊月は胸の前で震える両手を祈るように組んだ。何事もなく帰りたい。今更ながら心細くなってしまって、バレるかもしれないという不安だけが大きく膨らんでいくのが分かる。
 けれど、誰も助けてはくれない。しっかりしなければ。涙で滲みそうになる視界を気合いで引き締め、俯き加減だった顔を少し上げた時。

「お嬢様、招待状をお持ちですか?」

 突然声を掛けられ、心臓が跳ねる心地がした。

「っ!…ぁ、」

 見れば、そこにいたのは人好きするような笑みを貼り付けた城の給士らしき男。伊月は慌てて懐から取り出した招待状を給仕の男に差し出し、伺うような視線を送る。
 給仕の男は伊月に一言断りを入れてから招待状に目を通し始めた。招待状が本物かどうか、確認しているようだ。
 招待状は本物でもここにいるのは伊月俊であって、姉の綾ではない。
 少しばかりの罪悪感に苛まれながら待っているとそう掛からず確認作業は終わり、招待状の代わりに目元を覆うような形の丁寧で細かい装飾が施された純白の仮面を渡してくる給仕の男。訳が分からず、仮面と目の前の男の間で視線を泳がせれば笑みを深められ、やはり一言断りを入れてから仮面を伊月に装着した。

(付けろ、ってことだったのか)

 伊月が会釈すれば、給仕の男は「今宵は存分にお楽しみ下さい」と言って、次の仕事へそそくさと言ってしまう。一人残された伊月はこのまま帰るという選択肢をしょうがなしに捨て去り、意を決してフロアへと足を踏み入れたのだった。

「すごい……」

 伊月は目の前の光景に息を呑む。
 足元の紅色の絨毯を覆い隠してしまうほどの人で溢れかえったフロア。天井を見上げれば、その高さに驚き。そこから吊り下げられた煌びやかなシャンデリアの精巧さに感嘆した。
 酔いの回り始めた貴族達は手に持っていたワイングラスを軽快に鳴らし合い、話し声や笑い声が寸分の狂いのない素晴らしいオーケストラの演奏を掻き消している。演奏に合わせて踊っていたバレリーナ達は馬鹿らしいとダンスステージから軽やかに飛び降り、そこかしこにいる美丈夫に愛想を振りまき始め。道化師はにんまりとした顔のまま、鮮やかなドレスの海の中をくるくるくるくる泳ぎ回っていた。
 誰もがこの絢爛豪華な時間に酔いしれていて、伊月を気にする者などいない。それを肌で感じ取り、伊月は少しずつだが落ち着きを取り戻し始める。気持ちに余裕が出来たことで持ち前の視野の広さも復活しているようだった。
 伊月は先程とは打って変わった様子でひしめき合う人の間を誰一人としてぶつかることなく縫って歩き、後方のバルコニー近くの窓辺まで移動する。誰の目にも留まらぬその場所でようやく小さな息を吐き出した直後、フロアのあちこちでいくつもの黄色い声が上がった。

(なんだ?)

 そちらを見れば、いくつもの熱のこもった視線が一点に集中していて。それを真っ直ぐに伝っていくと王座から降り立つ鮮やかな赤にぶつかった。

「こちらに来て下さらないかしら」
「わたしも王子と一曲踊ってみたいわ」
「私達じゃ無理よ。どうせ、貴族のご令嬢と踊るんだわ」

 近くいた女性達の会話から察するにあの赤は王子で、今から一曲踊るらしい。伊月も女性の一人が言うように王子のダンスの相手は貴族のご令嬢とやらだと推測する。だから、自分には露ほども関係ないだろうと高を括り、静観することに決めた。
 だが、人が壁の役割を果たしてよく見えず、一体何が起こっているのか見当が付かない。代わりに誰も彼もが王子の一挙一動を見逃すまいと亀のように首を伸ばす姿だけは事細かに見えたが。
 突然その姿を観察していた伊月は、天啓を受けたようなハッとした顔をする。

(亀の甲羅は固くて噛めん!キタコレ!)

 いいダジャレが浮かんだだけだった。
 ここに来て始めて柔和な笑みを浮かべた伊月だったが、ネタを書き記す為の冊子が手元にないと今更ながら気付き、瞬時に顔を曇らせる。なかなかの傑作だったが、仕方がない。帰ってから書き記そう。
 王子のことなどすっぽ抜け、愛するダジャレに切々と思いを募らせ始めた頃。近くいた女性達の喜色の混じった悲鳴のおかげで伊月は嫌でも現実に引き戻された。

「こちらに来たわ!」
「もしかして、わたしかしら?!」
「アンタな訳ないでしょ!私よ…!」

 女性達は王子が自分の前に現れるのを待っているようだが、伊月は違う。姉の強制的なお願いで代わりに来ただけで、王子とお近づきになりたい訳ではないのだ。
 伊月は女性達の影に紛れ込むように身を隠し、王子が去るのを待った。生憎とこちらは俯瞰で物が見れる為、直接対象物を見なくても視野の範囲内ならどこにいるかぐらい把握するのは容易い。

(あっ…)

 視線が交わった、気がした。
 色めき立つ女性達の頭上でほんの一瞬だけれど。確かに…。

「王子、と…」
「僕と、なんだい?」

 引き寄せられるようにそちらを見れば、いつの間にか鮮やかな真紅の髪を持つ眉目秀麗な少年が伊月の目の前に立っていた。仮面から覗く赤と橙のヘテロクロミアがとても印象的な、伊月と同じくらいの少年。
 金や銀の装飾が散りばめられた赤い軍服のような上着にぴったりとした白い長ズボンとブーツ、右肩に掛けられた同色のマントなんて触らなくても、手触りの良さが分かるほどの逸品だ。身に着けているものはどれもこれも普段、伊月が着ている服よりも遥かに高価で質の良いもののような気がしてならない。
 それを見事に着こなしているのだから、選ばれた美形なんだなと妙に納得した。

「あ、誕生日おめでとうございます」
「ありがとう。それで?」
「え?」
「それで、僕と?」

 頭上で視線が交わりました。
 なんて言える訳がない。伊月は灰色の双眸を彷徨わせながら、困ったようにあーとかうーとか意味のない母音を口にする。そんな伊月の様子に何やら合点がいったらしい王子は右手を取るとそこに口付けを落とし、口元に弓を引いた。






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