誠凛わちゃわちゃ

 ある日の誠凛高校バスケ部部室。
 きつい部活も無事に終了し、「今日晩ご飯何かな?」「数学の課題どこだっけ?」なんて世間話をしながら着替えている最中の事である。伊月は先ほどから注がれる熱視線に耐えきれず、恐る恐るといった様子でそちらに顔を向けた。
 見れば、感情の読めない空色の瞳がじっと、それはもう穴が開くのではないかというほどじっとこちらを見つめていたのだ。何か用でもあるのだろうか。不思議に思った伊月は微苦笑を浮かべつつ、どうしたんだ?という意味合いを込めて首を傾げて見せる。それを見た空色の瞳の持ち主・黒子は勢いよく仰け反り、後ろにあったロッカーでガンと大きな音を立てながら頭を思いきり打ち付けた。

「黒子?!」
「天使の微苦笑が眩し過ぎて辛いです」

 仰け反った体制のまま、目頭を押さえながら呟く黒子。
 そんな黒子を見た日向を始めとする面々は哀れんでみたり、悔しがってみたり、心配してみたりと様々な表情を浮かべた。その様子にますます首を傾げたのはやはり伊月である。同輩も後輩も口にする天使という言葉がいつも引っ掛かっていた。
 大抵自分が発言、行動した際に囁かれる言葉で好意的な意味合いを乗せているように思う。悪い意味で使わている訳ではないし、否定しても否定しても言われてしまうからそのままにしていたがやっぱり気になる。伊月自身も同輩や後輩の真似をして使ってみたのだが、お前が言うなよみたいな雰囲気に黙殺されて以来使うことをはばかっていた。

 天使、天使…てん………。

「はっ…!天使の作った天津飯は何円ジェル?キタコレ!」
「きてねーよ!大体ナンエンジェルってなんだそれ!」

 伊月の駄洒落に脊髄反射でツッコむ日向。これだよこれ、一連の流れを生温かい目になりながらデジカメ、ハンディカム、各々の携帯の写真・動画機能、ホイスレコーダーに記録する黒子を始めとする面々。そんな中、三脚付きビデオカメラで後輩と同輩の様子を撮っていた木吉がはっとしながら口を開いた。

「もしかして、新しい単位か!?」
「何数えるたn「それです」

 火神が何やら言っていたようだが、黒子がかぶせ気味に言葉を紡いだおかげで口を閉口してしまう。黒子はちょっと不服そうな火神のことなど気にする事なく、試合中に見せるようなキリッとした表情を伊月に向ける。
 きょとんとした表情の伊月に一同はうっかり和み掛けたが、黒子の些かわざとらしい咳払いではっとし、居住まいを正す。その様子に一つ頷いた黒子は自分の考えを口にした。

「伊月先輩の溢れ出る天使具合を数値化してみるのはどうでしよう」
「天使具合の」
「数値化?」

 河原と福田が顔を見合わ、首を傾げた。

「はい、いわば点数といっていいでしょう。例えば、先ほどのきょとん伊月先輩に点数を付けるとしたら、53万天使(エンジェル)…というようにです」

 なるほどと感嘆の声を漏らす仲間達。ドヤ顔の黒子。戸惑う伊月は一人置いてけぼりを食らい、助けを求めるようにおろおろと辺りを見回す。
 と、伊月の視界の端に俯き、ぷるぷる震えている茶髪を捉える。降旗だ。
 置いてけぼりを食らっていたのは自分だけじゃなかった。伊月はどこかほっとした面持ちで降旗に声を掛けようとしたのだが、それよりも先に降旗本人が声を発した為、中途半端に上げられた伊月の手は宙をさまよってしまう。
 日向達も降旗の声に驚いたようでぽかんとしながら、別の意味で可哀想なほど震え出した後輩を見つめた。

「数値化なんて必要ないってどういうことなんだ?」
「あ、あああああ、あのっ!その…!」
「落ち着けフリ。ゆっくりでいいから、理由を話してみてくれないか?」
「はっ、はいっ!」

 さり気ないフォローだ。さすがは唯一の彼女持ち土田である。

「だって伊月先輩の天使具合ってカンストしてるじゃないですか。黒子には悪いけど、数値化しても意味ないかなって。それに俺にとって伊月先輩は女神だから…戦乙女だから!伊月先輩オレをヴァルハラに連れて行って下さいっ!!」

 降旗の声が部室に響き渡ったあと、しばらくの沈黙が続いた。そして、パチッパチッと目配せしながら誰ともなしにゆっくりと拍手を始め、それは部室全体へと広がっていく。
 ブラボー!、よく言った!、ウォンチュ!、ラバーメン(ゴム人間)って水戸部が言ってるー!
 自分の事のように喜びながら、河原と福田は降旗に飛び付き、肩を組んだ。火神はやったなと笑顔で親指を立て、黒子は賞賛と敬意の言葉を述べながら握手した。降旗を中心に先輩も後輩も関係なく、讃え合う。今や部室内は謎の感動に包まれている。

 ただ一人、伊月だけが訳が分からないよとでも言いたげな顔でみんなを見つめていた。同輩と後輩の様子に意識が遠くなる心地になりながらも頭の中で今まで言ってきたダジャレを呟き、なんとか意識を保つことに成功する。どことなく頭の中もすっきりとした気分だ。やっぱりダジャレは至高の存在である。素敵!抱いて!
 自分まで話を逸らしてはいけないとダジャレの素晴らしさをどう伝えるべきかという疑問に傾き掛けた思考を元に戻す。…至高の存在を思考する!キタコレ!なるほど、今日は絶好調のようだ。あとで日向辺りに聞いて貰おう。
 そうして伊月は一人、こうなったそもそも発端はを考え始めた。

 確か、天使の数値化がどうのこうの言っていた気がする。そこに降旗が異を唱え、戦乙女にヴァルハラへ連れて行ってとかそういう流れだった。この辺くらいから置いてけぼりになり始めたから、もっと前。
 もっと前といえば、天使という言葉が出て来た辺り。丁度黒子がロッカーで頭を打った時である。どうして黒子は頭を打つような状況になったのだろうか。自分が彼の視線に耐えられなくて、何事か聞こうとしたからだ。あ、原因は多分これだな。

「どんちゃん騒ぎしてるところ悪いが、ちょっといいか」
「ああ、問題ねーよ。止め時が分からなくて困ってたからな」
「ありがとう日向」
「お、とうとう伊月がヴァルハラに連れてってくれるのか?」
「頼む、木吉は少し黙っててくれ」

 いつになく真剣な伊月にどんちゃん騒ぎをしていたみんなはそれを止め、なんだなんだと伊月の方に顔を向ける。やっと静かになった部室内の空気を揺らすように伊月が口を開いた。

「黒子はオレに、用事があるんじゃないのか?」

 パスの連携についてだろうか。それとも、数学で分からないところがあるから教えて欲しいとか学生らしい先輩後輩の交流的な話だろうか。少しはわくわくしながら、しかしそれはおくびにも出さず、伊月は黒子を見やる。当の黒子は集中する視線をものともせずに真っ直ぐに伊月を見返しながら答えた。

「用事…というか、お願いがあります」
「なんだ?」
「ボクの耳元でちんすこうと囁いて欲しいんです」

「ん?」

「ボクの、耳元で、“ちんすこう”と、囁いて、欲しいんです。ダメですか?」

 黒子の言ってることがちょっと理解出来なくて、伊月は思わず目頭を揉んだ。

「あっれ、おかしいな。オレの鷲の目、調子悪いのかな?」
「何言ってんのー伊月。今日も絶好調だったじゃん!」
「黒飴食べたら調子良くなるかもなー」

 伊月に目は関係ねーよという日向の的確なツッコミが飛び交う前に小金井が勢いよく肩を組み、木吉が黒飴を空いてる方の手にのせる。しばらくの間、あーとかうーとか意味のない音をもらしていた伊月だったが、可愛い後輩である黒子に2号とそっくりな瞳で見つめられては断る事など出来る筈もなく。小さく息を吐いた伊月は小金井をさり気なく引き剥がすと、黒子の方に歩み寄った。
 伊月が黒子の側まで寄る間に部室内はまたシンと静まり返る。やりにくい。非常にやりにくい状況の中、伊月は黒子の耳元に唇を寄せ、静かに呟いた。

「ちんすこう」

 ぽつり。呟かれた途端、黒子は珍しく顔をぶわりという効果音がつきそうなほど真っ赤に染めたかと思ったら、いつになく慌てた様子で火神の後ろに隠れてしまう。黒子の珍しい変化を間近で見ていた伊月も目を真ん丸にして驚いていた。
 新たなネタ…基、話題を投下され、主に日向と小金井がやいのやいの言う為に伊月の後方でアップを始める。それを母親のようにハラハラと見守る水戸部。土田は伊月のフォローにまわり、木吉は黒飴を食べた。
 降旗、河原、福田の三人は伊月と黒子を交互に見やり、当の黒子は火神ともしょもしょ内緒話をしている。話が終わると火神は伊月に向き直り、言いにくそうに口を開いた。

「あの黒子が、伊月センパイから耳を犯されたって言ってんだけど………です」
「 」

 完全な濡れ衣である。

「ちょっと待て!あれは黒子からお願いされてっ、日向もコガも噂話するおばさんみたいな目でこっち見んな!」
「あらやだ、最近の子は野蛮ね!」
「日向の奥様、目があったら孕んじゃうわよ!隠して隠して!って水戸部の奥様が言ってる!」
「水戸部、そんなに首振らなくても大丈夫だから。言ってないのはちゃんと分かってるよ」
「そんな事より花札やらないか?」
「お前ら助ける気全くないだろう?!」

 伊月がツッコミを処理仕切れなくて、爆発する寸前。部室の扉からノック音が聞こえ、一斉に扉の方に目を向ける。代表して日向が返事をすれば、聞き馴染んだ可愛らしい声が扉の向こうから聞こえきた。

「下校時間とっくの昔に過ぎてるわよ!さっさと帰らないと明日の練習メニュー、倍になっちゃうかも」

 鶴の一声ならぬ監督の一声は絶大で伊月を愛でたりからかったり愛でたりしていた日向達はそれもすぐに止め、大慌てで録画と録音をしっぱなしだった機材の撤収と帰り支度を始める。伊月でさえ、否定と説得という名のツッコミを止めて帰り支度優先だ。それだけ練習メニューが倍になるのは阻止したいらしい。そして、終わった人から順に部室から出て、校門に向かって走り出した。
 日向達が帰り支度をしている間に校門まで来ていた監督・相田は部活で疲れているのにも関わらず走ってくる部員達を見て、小さく笑みを浮かべるのであった。

「いいよなー、男の子って」





 手にはボイスレコーダーが握られており、その録音された音源がもとで六校合同合宿中に涙無くしては語れない愛と友情の物語が繰り広げられたのはまた別の話。






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