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「はぁ…」

 先にお風呂に入らせて貰い、すぐさま髪を乾かした。乾かし終わったあと、ドライヤーのプラグをコンセントから抜きながら伊月はふかーいため息を吐く。森山の誕生日だというのに伊月が出来たことといえば、率先してやった食事の後片付けとプレゼントを渡したことぐらいだ。それも部屋着用にしかならなそうな安物の青色のパーカーである。
 ダジャレだってイマイチだし、全くもっていいところが見当たらない。
 フローリングに引かれたホットカーペットに寝転がり、またため息を吐いた。目線は自然と鞄に移り、あーとかうーとか無意味な音ばかり発しながらコロコロコロコロとホットカーペットの上を転がって。

「上がったなら言って下さいよ」

 伊月が体を小さく丸めていると、にまにまとした笑みを浮かべた森山がキッチンから水の入ったコップを持ってこちらに近づいて来る。伊月の傍らに座った森山はテーブルにコップを置くと伊月の体を自分の方に向かせ、への字曲がった唇に触れるだけのキスをした。

「んっ…なんです?」
「伊月が可愛過ぎて顔面崩壊しそう」
「なら、イケメンが台無しになるまで心置きなく顔面崩壊して下さい。心配しなくても、死ぬまで面倒見るつもりですから」
「さり気なくプロポーズしてくれるなんて感激!伊月くん男らしい、トゥンク!」
「はいはーい、髪乾かしましょーね」

 起き上がった伊月は再びプラグをコンセントに差し込み、森山の髪に適温になった温風をあてる。タオルで水気を飛ばしながら最初は襟足、そこから旋毛まで移動し、次は両方のこめかみ、最後に前髪の順番で乾かしていく。全て乾きったのを確かめてから、今度は軽く冷風をあてた。
 ドライヤーの電源を止めて手櫛で髪を整えてやり、伊月は満足げに一つ頷く。
 再びコンセントからプラグを抜いた伊月はドライヤーを片付ける為、立ち上がろうと腰を浮かせる。しかし、森山が抱き付いてきてそれも叶わないどころか押し倒されてしまった。伊月は状況が全く飲み込めないまま、肩口に額を擦り付けてぎゅうぎゅうと抱き締めてくる森山を見つめる。
 とりあえず呼吸に合わせて背中をぽんぽんあやすように叩いてみた。

「伊月」
「はい?」
「いーづーきー」
「なんですか、森山さん」

 伊月が優しい声音で空気を震わせれば、隙間なんてなくなるほど強く抱き寄せられる。伊月は手を動かすのを止めて、自らも森山の背中に回していた手に力を込めた。
 くっつけあった全ての場所から森山の体温を感じて、心音が重なり合って、とても心地良い。安心する。
 伊月は目を眇めて、体の力を抜くようにほっと息を吐いた。

「…それ、誘ってんの?」
「は?」
「吐息。色っぽくて、ムラッとした」
「あー…じゃあ、シます?」
「いや、うわああぁああぁぁあああ……シた…いや、いやいや!あとで、後程!」

 結局スるんじゃないか。苦笑を零せば、肩口にあった森山の表情がムッとしたものに変わり、いそいそと体をずらして顔同士を向き合わる。そして、伊月の唇に可愛らしいリップ音を立てながら森山のそれが押し当てられた。

「伊月はオレとスるの、嫌か?」
「嫌なら最初から聞きません」

 今度は伊月からお返しとばかりに唇同士を重ねる。

「さっきは嫌がってたろ」
「さっき?」
「玄関で」
「あれは!んっ、場所が、その…人目につきやすいじゃないですか!」
「伊月の基準が分からないな」

 会話の合間にもちゅっ、ちゅっと戯れるようなキスを交わす。徐々に上がっていく熱に浮かされ始め、伊月の目元はとろりとした甘みを帯び、頬は桃色に染まっていく。それを見た森山は顔を出しかけた情欲をぎゅっと目を瞑ることで抑えこみ、伊月と額同士をくっつけた。

「そんな事より聞いて欲しい話があるんだが、いいか?」

 一体なんの話だろうか。不思議に思った伊月だったが、目の前の森山の表情がさっきとは比べものにならないほど真剣な色を帯びていたのだ。伊月は知らず知らずのうちにくっと息を詰め、じっと森山の様子を窺う。森山は伊月と視線を絡ませあったまま、ゆっくりと口を開いた。

「今日一日過ごして思ったよ。どんなところでもどんな時間でも、どんなに特別な日だとしても、伊月が側に居てくれなきゃ意味がないってな。きっと伊月だけが、オレの世界を色鮮やかに見せてくれるんだ」
「…森山さん」
「だから、自分の出来る範囲で祝ってくれるだけでいい。オレは伊月がこうして一緒にいてくれるだけですごく嬉しくて、幸せなんだ。前にも言っただろ?“どんな高価なものよりも、お前の心が欲しい。オレを愛するお前の心が”…って」

 ああ、ほんとに。

「かっこいいなぁ…」
「なんだ?惚れ直したか?」
「はい、惚れ直しました。おかげであなた無しじゃ生きていけそうにないです。ちゃんと責任取って下さいね、…由孝さん」

 悪戯が成功した時みたいな笑みを浮かべた伊月は目を丸くして惚けている森山にキスをひとつ。それで気を取り直したのか、今度は森山が伊月の薄く開いた唇にそっと舌先を潜り込ませた。
 森山の舌が口内をゆっくりと丁寧に辿る度に背筋をゾクゾクとした快感が駆け上がる。舌先同士が密に触れ合い、今の自分達のように抱き締めあう。その度に伊月は深く合わさった唇の隙間から情欲を含んだ甘えたような喘ぎを漏らした。

「っは……俊、」
「…ぁ……よし、たかさっ…んむっ」

 息継ぎの合間に離れた唇は、二人を繋ぐ銀糸が切れる間もなく再び深く重なり合う。伊月の腕は森山の首へと回り、森山の手は片方は頭へ、片方は腰へと回された。
 絡ませあった足が行為を匂わせるかのごとく意味を持って擦り合わされた時である。急に聞こえてきたピピピっという軽快な電子音によって、濃密な雰囲気になり始めていた部屋の空気が雲散してしまった。

「ちょっと、ちょっと待ってて!」
「はあ」

 森山は伊月を名残惜しいげに解放し、頬にキスを落とすと急いで寝室に行ってしまった。携帯のアラームまでセットして、森山は何をする気なのだろうか。一人残された伊月は小首を傾げながら起き上がり、今し方森山が入っていった寝室を不思議そうに見つめる。なんとなしに顎を伝うどちらのものか分からない唾液を服の袖で拭い、乱れた髪を手櫛で整えた。
 その時である。森山が後ろ手に何か持って、寝室から戻って来たのだ。森山は困惑する伊月の前まで来ると片膝立ちになり、コホンと咳払い一つ。
 何が、始まるのだろうか。
 伊月は胡座から正座に座り方を変え、森山が口を開くのを待った。

「ハッピーバレンタイン。オレの運命の人である俊に永遠の愛を込めて、このバラを送ろう」

 目の前に現れた一本の黒赤色の薔薇の花束が伊月の視界を奪う。嬉しさと驚きでなかなか上手く言葉が紡ぎ出せない。恐る恐る森山から受け取って、悠然と花開く花弁に鼻を寄せれば、肺一杯に薔薇の甘い香りを吸い込んだ。

「いい香り…」
「そうだろ、パパメイアンって品種らしい。大輪で香りが強いのが特徴みたいだ」
「へえ」
「それから黒赤色の薔薇には“決して滅びることのない愛”という意味も込められていて、一本の薔薇の花束には“一目惚れ”という意味の他にも“あなたしかいない”という意味もあるらしいぞ」
「よく調べましたね」
「ああ、高校時代は死ぬほどモテたかったからな」

 理由が森山らしくて、伊月は小さく声をあげて笑った。照れ隠しなのか、森山から咎めるように額を軽く小突かれる。だが、そう簡単にこの笑みは消せそうにない。
 しかし、伊月の思考は自分の鞄の中に入っているものへと集中していた。こんなに素敵なものを貰ったあとにあんなコンビニでぱぱっと買った安物なんて渡せない、そう思った。思った、けれど。伊月は自分を鼓舞するように再び薔薇の香りを大きく吸い込むと、ぽつんと壁にもたれかかった鞄に手を伸ばした。
 大丈夫、勇気は貰えたから。

「オレも渡したいものがあって…その、安物ですけどこれ貰って下さい!」

 伊月は勢いに任せ、可愛らしくラッピングされたピンク色の小箱・バレンタインチョコレートを森山の目の前に突き出した。先程キスした時よりも頬が熱く感じるし、心臓だってこれでもかとバクバク鳴っている。そして何より、森山の顔が見れない。
 しばらくの沈黙のあと、急に伊月の手の中が軽くなった。次いでガサガサゴソゴソという音が耳に入ってくる。きっと森山が受け取ってくれたのだろうと思う。しかし、実際に見るまでは本当のところは分からない。伊月が恐る恐るといった風にそちらを向けば、ハート型の一口大のチョコレートを口に咥えた森山と目があった。
 伊月があっ、と思った時には伸びてきた手によって後頭部を掴まれ、森山の方に引き寄せられて。先程から何度も味わった自分ものではない舌がチョコレート連れて、口内に侵入してきたのである。
 チョコレートを舌で包み込みように絡めあえば、それは二人の熱ですぐに溶けて無くなってしまう。酸欠でくたくたになった伊月が解放されるころにはチョコレートなんて最初から無かったかのように、森山によってチョコレートが溶け出した甘い口内を舌ごと綺麗に舐めつくされたのだった。

「ん…、え?」

 森山に寄りかかってキスの余韻に浸っていると、急に伊月の体が宙に浮いたのである。咄嗟に森山の首にしがみつき、背中と膝裏に感じる鍛えられた腕の逞しさに口角がひくついた。一筋の冷や汗を流しながら自分の体に目を向ければ、どこかで見たかのような見事な横抱き。
 もしかして、これは、属にいうお姫様抱っこ。

「よ、由孝さん…?」

 呼べば、とても雄臭い顔した森山が口元に笑みを浮かべている。
 確かに森山に喜んで欲しくて、笑顔になって欲しくてすごく恥ずかしい思いをしながら購入した。しかし、行為中に見せるような笑顔を引き出すなんて想定外だ。

「有言実行する男って、モテると思わないか?」
「ぅあ、あっ!モテる男のモデル顔は保てない!キタコレ!」
「どっかの黄色い駄犬じゃあるまいし」
「あ、そんな、んゃ、あっ、あーっ」

 寝室に連れて行かれた伊月のささやかな抵抗も虚しく、森山の手によってチョコレートのように甘く溶かされ、足腰立たなくなるまで食らい尽くされたのだった。






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