バイト帰りに立ち寄ったコンビニで見つけた可愛らしいピンク色で着飾るコーナーに目を奪われ、それと同時に頭を抱えたくなった。付き合って一年になる恋人がやたらとその話題をテンション高めに口にしていた気がする。
 数日後に控えた恋人の誕生日と共に。
 言い訳がましく聞こえるだろうが、決して忘れていた訳ではない。ただ自分の中で最重要視していたのは恋人の誕生日だった、というだけで。
 一応誕生日プレゼントは買ってあるし、わざわざ男の自分がそれを別口で買って渡す必要はない。が、あの物欲しそうな顔で遠回しに強請られていたのを思い出せば、買わないという選択肢を消さざるおえないだろう。
 つくづく自分は恋人に甘い。
 ため息を零しながら乳製品やデザート類が陳列された一角に足を進め、ぼんやりと好物のコーヒーゼリーを見つめる。振りをして、女の子達が入れ替わり立ち替わりするそのコーナーをひっそりと観察した。視野が広いってすごく便利。
 しかし、こういう目的で使うのはどうだろう。周りにツッコんでくれる人間などいる筈もなく、持ち主は貴重で有能な目をいささか間違った用途に使うのであった。
 さて、どうしたものか。黒色のマフラーに顔を埋めながら、暫し考える。
 今はまだ間に合うのだからデパートまで赴き、少し値の張るそれを買って渡そうか。でも、きっと、彼はどんなものでも喜んでくれる筈。
 だって、彼は言うのだ。

『どんな高価なものよりも、お前の心が欲しい。オレを愛するお前の心が』

 あまりにもきりっとした決め顔で気障ったらしい台詞を吐くものだから、腹を抱えて笑ってしまったのは記憶に新しい。おかげで臍を曲げた彼にどろっどろに甘い仕返しをされてしまった。あれは駄目だ。心臓に悪い。一部始終を思い出してしまって、人知れず顔を赤くした。
 取り繕うように一つ咳払いをし、傾き掛けた意識をああだこうだ相談しあいながら真剣に吟味する女の子達に戻す。群がっていた女の子達の波が引いたのを見計らい、コーナーに直行。既に可愛らしく丁寧にラッピングされたそれを一個引っ付かんで俯いたまま、レジにいる店員に突き出した。

「…これ、下さい」

 自分をちらちらと見る店員の不躾な視線に心が折れそうになったが、このちょっとした時間をやり過ごすだけでいい。そうすれば、彼の幸せそうに笑う顔が見れるだろうから。
 ああ、ほんとに。自分は彼のことが好きなんだ。
 マフラーで隠れた口元に小さな笑みを浮かべ、数秒後また取り繕うように咳払い一つ。終始不審者でも見るような店員の視線がびしばし突き刺さって痛かったが、無事に会計を終えることが出来た。しばらくこのコンビニでの買い物は出来そうにない。
 それでも良かった。コンビニが一店舗使えなくなるくらいどうって事ない。伊月は受け取ったレジ袋を肩から下げた鞄に大切にしまうと足早にコンビニを後にした。





 そして、数日後の2月13日。
 彼・森山由孝の誕生日。

 誰それの誕生日だからと言って、祝日になる筈もなく。結局、大多数の人間が平日と何ら変わりなく過ごす訳で。カレンダーに乗らない記念日なんてものは当人達が勝手気ままに作り出すものなのだから。
 誕生日もまた然り。あんなに特別に感じていたキラキラと輝きを放つ記念日が、いつの間にかただ年を取る為だけの日に変わっていく。特別な事などなかったかのように忘れていく。
 しかし、家族だとか大切な友人だとか、恋人だとか。自分の中で特別な枠組みに入る人の誕生日ならば話は別になってくる。少しでも祝いたい、喜んで貰いたいという気持ちがひょっこり顔を覗かせるのでないだろうか。特別な日にしてあげたい、そう思うのではないだろうか。

 森山という恋人がいる伊月とてそれは同じで。いつもの平日と何ら変わらず大学の講義とバイトを淡々こなしているように見えるが、どこか浮き足立っていた。
 いつも以上に時計に目を向けたり、意味もなく携帯をいじったり、ネタ帳を開いたり閉じたり、鞄を見ては百面相してみたり。大好きなダジャレを般若心経のように真顔で呟き続けたり。
 そわそわと落ち着きがなく、大学で出来た友人やバイト先の先輩や同僚に「大丈夫か?」と幾度も声を掛けられた。その度に伊月は大丈夫だと苦笑いを浮かべ、何やってんだろ…と自分の落ち着きの無さに深いため息を吐くのであった。



「っ森山さん!!」
「おかえり、伊月」

 扉を開けたら、5秒で森山に抱き締められた。

 先週末、誕生日にかこつけた飲み会に強制参加せねばならず、帰りが遅くなるかもしれないと森山から聞いていた。
 それでも、会いたい。
 どんなに時間が遅くなっても13日のうちに会いたい。
 伊月も森山も同じ気持ちだったらしく、伊月はバイトが、森山は飲み会が終わったら森山の住むアパートに直帰する約束をした。寝泊まりする仲なので、当然のように伊月の衣類や日用品など森山の部屋のクローゼットに置いてある。逆もまた然り。ちなみに合い鍵を交換しており、家主不在でも相手の部屋へ入ることも可能なのだ。

 そんな訳で、自分の方が先に着くだろうと高を括っていた伊月は終始そわそわしっぱなしだったバイト終了後、従業員専用のロッカーで携帯を見つめ、絶句した。森山から『飲み会抜けたから早く帰れた』というようなメールが受信されていたのである。
 伊月は急いで身支度を整えると先輩や同僚への挨拶もそこそこに森山が住むアパートに向かった。大好きなバスケに費やした青春時代、監督の厳しいしごきに耐え、鍛えておいて良かったとこういう時に思う。
 おかげで今までで一番早く着いたかもしれない。
 息を整える間もなく伊月が呼び鈴を押せば、中からくぐもった森山の声が耳に入ってくる。その数十秒後、ガチャリと軽快な音が聞こえ、伊月は勢い任せに扉を開いた。中に入ると扉が締まりきらないうちに少しばかり酒とヤニの匂いがする森山に腕を引かれ、抱き締められたという訳だ。

「誕生日おめでとうございます」
「ありがとう。しっかし、オレって相当愛されてるな」

 嬉しげに小さく笑う森山の緩くなった腕の中で伊月は不思議そうに小首を傾げる。
 何か変なことでもしたのだろうか。それとも服装がおかしかっただろうか。
 不自然にならないように目線だけを動かし、足元から自分の服装をチェックする。けれど、これといっておかしいところはないように思う。
 すると森山の手が伊月の頭に伸びる。髪を撫でるように手櫛で整え始めたところで伊月は森山の言わんとしてる事が分かり、ぶわりと顔を真っ赤に染めて俯いた。

「走って来てくれるぐらい、オレに会いたかったんだろ?」
「待たせるのは悪いと思っただけです!べ、別にオレは………そりゃあ、会いたかった…です、けど…」

 伊月は恥ずかしさからだんだん言葉尻が小さくなって、森山の腕から逃れるように二、三歩後ずさる。しかし、森山がそう簡単に逃がしてくれる訳もなく、後を追って近づいて来た。
 アパートの玄関の広さなんて高がしれている。あっという間に伊月の背中はいつの間にか閉まっていた扉に触れ、追いかけて来た森山は伊月の顔の両側に囲うように腕を付いた。所謂、壁ドンだ。

「なんで逃げるの?」
「…って、」
「何?」
「だ、って、恥ずか、しい…」

 森山の扉に付いていない方の手が伊月の頬に触れる。するりと顔の輪郭に沿って辿り、顎を掴むと顔を上に向かせた。

「っ…」
「でもオレは、嬉しかった」

 伊月は潤む瞳を彷徨かせ、心臓の辺りをギュッと掴んだ。森山の親指の腹が優しく乾いた下唇を撫でれば、誘うようにそこを薄く開く。唇を這う親指を咎めるように軽めに啄んで、そっと目を向けると熱を帯びた瞳とかち合った。

「お前の一番がオレで嬉しい」
「森山さんは?」
「もちろんオレの一番はお前だよ、伊月」
「嬉しいです」

 伊月がとろけるような笑顔を浮かべれば、森山は辛抱たまらんといった様子で噛み付くように唇を塞いだ。予兆はあった。しかしながら、伊月にとっては想定外の触れ合いに驚いてしまい目を丸くする。
 うっすら開いていた隙間から入ってきた自分のものではない酒気を帯びた舌が快楽を呼び起こすように擦り合わさる。その度に伊月は理性を手放してしまうかと少しばかり悩む。だがしかし、ここは玄関だ。そういう行為をする場所ではないし、訪問して来た誰それに現場を見られでもしたら確実に死にたくなる。
 背筋に快楽とは別の震えが走った伊月は甘い空気なんて消し去って、森山の頭を勢い任せにガッと掴むとそのままベリッと引き剥がした。今度は森山が目を丸くする番だ。

「え、えっ?」
「森山さんは盛りのついた猫ですか!?そんなにキスしたいなら空き巣とどうぞ!キスだけに!空き巣と!キタコレ!」
「伊月以外とキスしたり、エッチいことする予定はないぞってそれダジャレ?」
「あー、お腹空きましたねー!」

 お邪魔します。言って、伊月は鞄や着ていたコート、マフラーを外しながら部屋にづかづかと押し入った。ついつい流されて、森山から与えられる行為を受け止めてしまう自分を叱責しながら。
 森山が無駄にカッコいいのがいけないんだ。
 最終的には森山に責任転換するのだけれど。そうしないとドキドキし過ぎて、心臓が壊れてしまいそうで。伊月はコートやマフラーを掛けたハンガーを元あった場所に戻しながら、赤く染まっているであろう頬の熱を手に分け与えるように押しあてた。

 伊月が手洗い・うがいを終えてリビングに戻れば、テーブルには既に二人分のほかほかの白米ときつねうどん、それから唐揚げとキュウリとレタスとカニカマの簡単なサラダが用意されていた。慌てた様子で謝罪すれば、「先に帰ったのはオレなんだからやって当然だろ」と何でもないことのように返された。そういう訳にはいかないと食い下がるが、「伊月に食べて貰えることがオレにとってのプレゼントだよ」なんて言われたら引き下がるほかない。
 しかもケーキは飲み会の席で貰って来たという。結局のところ、気持ちばかりが急いて買い物一つして来なかった自分には出る幕などなかったのだ。






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