魔女の名前はなまえと言うらしい。吸血鬼が何度も呼んでいた。マサフェリーには魔女としか伝えられなかったが、本当はちゃんとした名前があるようだ。
真っ暗な山道を、ランタンひとつで走る。武器は何ひとつ持っていなかったが、魔女からもらったお守りだけは握りしめてきた。銀色のそれは、マサフェリーの手の中で、もう汗にまみれてぐっしょりだった。
魔女と交わした会話は少ない。関わった時間だって一瞬のようなものだ。だが、そんな短時間でもわかったことがある。彼女は、みんなが言うような悪い魔女ではない。突然訪ねてきた縁もゆかりもないマサフェリーのために、薬草を取りに山へ案内してくれた。吸血鬼から逃がしてくれた。彼女は、きっと今その吸血鬼といるんだろう。どうやらお互いに顔見知りのようだった。むしろ、吸血鬼のほうは彼女に好意を抱いていたようだ。あの時は必死で考えなかったが、思い返してみるとまさかの展開にマサフェリーは改めて驚く。吸血鬼と魔女の恋か。上手くいきそうな気もするが…
そこまで考えたところで、ふと辺りが静かなことに気づいた。夜だからといって、あまりに静かすぎる。梟の声や、風に木々が揺れる音、虫の鳴き声。何も聞こえない。おかしい。
「やあ、侵入者さん」
ざくりとすぐ目の前の土が鳴った。暗闇に目を凝らすと、男が一人立っている。
「誰だ」
冷静を装い、目の前の相手に話し掛ける。この山で出会うもので、まともなものなどありはしない。マサフェリーは小さい頃からそう教えられてきた。
「男に名前を教えるのは趣味じゃないんだけど」
気取ったような話し方だ。いけ好かない、とマサフェリーは思った。例え人間だったとしても、自分とは合わない部類の人間だ。
「俺はウォーレン。この辺に侵入して来るやつを排除してる」
「排除だと?」
物騒な言葉が聞こえた。ランタンを顔の高さまで上げて、相手を見る。どきりと心臓が鳴った。オレンジ色の髪に、端麗な顔立ち。闇に溶けそうな真っ黒なマントを纏い、口元には鋭く尖った牙。間違いない。
「お前も、吸血鬼か…」
後退りそうになるのを必死で堪える。
「も、ってことは、アイリーにはもう会ったってことかい?」
「アイリー…?俺が会ったのは、藍色の髪の少年のような吸血鬼だ」
「アイリーだね。よく生きて帰れたものだよ」
ウォーレンと名乗る吸血鬼は感心したように言う。
「アイリーは老若男女問わずに、邪魔者は排除するからね。よっぽど運がいいようだ」
「魔女に助けてもらったんだ」
「魔女…?」
ウォーレンは眉を顰める。手を顎に当てて、考えるような仕草。
「魔女ってのは、子猫ちゃんのことかな。ふんわりした髪の、小さなマーガレットみたいな女の子」
「恐らくそうだ。名前はなまえと言うらしい」
「へえ。名前まで知ってるのか」
「吸血鬼が言っていた」
よほど珍しいのか、ウォーレンは目を丸くしてマサフェリーを見た。いつの間にか目の前までやって来ている。
「それで、お前は俺を排除するつもりなのか」
「そうするつもりだったけど、少し興味が湧いたね。子猫ちゃんと一緒にいるところをアイリーに見られて、しかも殺されなかったなんて」
さり気なくぞっとすることを言われた気がする。やはり、あそこで殺されるはずだったのだ。魔女がいなければ。
「だから、魔女は今その吸血鬼と一緒にいるはずなんだ。俺を助けた代わりに。助けに行かなくては」
「え……」
ウォーレンは一瞬きょとん、とした。次の瞬間、お腹を抱えて笑い出した。うひゃひゃひゃ。見た目に反してがっかりする笑い方だ。何を笑ってるんだと怒ってみても、収まる気配がない。どうやらツボに入ってしまったらしい。
なんだかイラっとして、こんな奴放っておこうと彼を避けて歩き出した。
「まあ、待てよ」
後ろから声を掛けられる。振り返ると、漸く落ち着いたのか、目の縁に溜まった涙を指で拭いながら、ウォーレンがこちらを向いていた。
「連れてってやるよ、アイリーのところ」
何だと?
耳を疑う。
「子猫ちゃんを助けたいんだろ?俺が子猫ちゃんのところへ連れてってやろう。子猫ちゃんはアイリーと一緒にいる」
「そんな言葉、信じると思っているのか」
キッと睨むと、ウォーレンは肩をすくめる。そういう気取った態度がいけ好かないのだ。
「お前、手に星を持ってるだろう」
「何?」
「星だよ。銀色の、金属みたいなやつさ」
言われて気づいた。魔女にもらったお守りのことか。ゆっくりと手のひらを開いてそれを見る。
「それは、俺たち吸血鬼じゃ触ることができないんだ。子猫ちゃんにもらったんだろ?如何にもあの子らしい」
あの子らしいとはどういうことなのか。それにしても、吸血鬼が触ることのできないこの星とは何なのだろう。
「知りたいなら子猫ちゃんに聞くことだな。俺は男には興味ないんだ。教える筋合いもないね」
「お前のその態度はなんとかならんのか。同じ男として、いけ好かないのだ!」
「それはこっちのセリフだね。冷静気取りの坊や。お前とは全くウマが合わなさそうだ」
どうやら相性が悪いようだ。ウォーレンもマサフェリーも、お互いから顔を反らす。
どうしてこんな奴が、魔女の場所を教えようと思ったのだろうとマサフェリーは不思議に思う。
「そう思うなら、なぜ俺に魔女の居場所を教えるんだ」
ウォーレンはマサフェリーに背を向けた。黙ったままだ。何かあの吸血鬼に恨みがあるとか、そういった私的な理由なのだろうか。
ゆっくりとウォーレンが口を開いた。
「子猫ちゃんは、村では嫌われ者なんだろう」
「………そうだ。村中から災厄をもたらす呪われた魔女だと忌み嫌われている」
「なんでお前はそんな魔女と一緒にいたんだ?」
「父が大きな怪我をしたのだが、薬草がなかった。山に入るしかないと思ったのだ。魔女の元へ行ったのは、村一番の老婆が魔女に助けてもらえと言ったからだ」
「……そうか」
ウォーレンは息を吐くと、顔を上げて空を見上げた。何か考えているようだ。
「あの子は、本当は優しい子なんだ。悪い魔女のふりをしてる。可哀想なんだ…アイリーはあの子を助けたいんだよ。だけど、あの子は他人を信じることができないから…アイリーも誰かを愛することが初めてだしね…」
「どういう事だ?」
「お前はきっと今から殺されるだろう。でも、今俺に殺されてもおかしくないんだ。だから、あの子のために出来る限り働いてもらうよ」
「俺は死なない。だが、彼女は命の恩人だ。俺が出来ることはしよう」
そういうと、ウォーレンは振り返った。先程までとは表情が違う。優しい顔だ。
「あの子がどうしてお前を助けたのか、少しだけわかったよ」
まあ、元々あの子はお人好しなんだけど。そう言って笑ったウォーレンの顔は、なんだか嫌いじゃないとマサフェリーは思った。
「ついてこいよ。シャイニング城に入れてやる」


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