「ここは……」
マサフェリーの目に飛び込んできたのは、一面の薬草畑だった。畑と言ったのは、まるで誰かが育てているかのようによく伸びていたからだ。これほどまでに豊かに育った薬草を見たことはなかった。
「驚いたか」
魔女が鼻で笑う。
「この山では、こんなもの普通だ。どんな薬草も、木の実も、なんだって取り放題だぞ」
尤も、山に入る勇気があればだが、と魔女は笑う。その微笑みに、ぞくりと背中が粟立った。こんな年中薄暗く曇った気味の悪い山に、一人で入っているのか、この女は。恐ろしい。
ほら、と鎌を差し出される。ぎょっとしたが、薬草を刈り取るためだと気付いて恥ずかしくなった。こんな娘に、何をびくびくしているのだ。
「薬草の刈り方は知っているな?」
「根元から切るのではないのか」
「そうだ。だが、切るときに根元ぎりぎりを斬り落とせ。根には猛毒があるからな」
鎌を手に取ると、ひとつお手本にと薬草を刈り取る。魔女の手に乗った薬草は、なんだか禍々しいものに見えた。
「そう、手を茎に添えてーーー」
その時だった。隣にしゃがみ込んでいた魔女が、弾かれたように立ち上がった。何事かと顔を上げようとしたが、もの凄い力で上から押さえつけられる。
「そのまま伏せていろ」
信じられない力だ。さっきまで薬草を刈り取っていた魔女からは想像もできない力だった。不信感と言い様のない恐怖が襲ってきたが、魔女の言う通りその場に伏せる。少しだけ顔を上げて魔女を仰ぎ見た。すると、先程までは感じなかったのに、目を開けていられないほどの風が吹き始めたことに気付く。刈り取ったばかりの薬草が、風に乗って舞い上がっていく。その薬草をぼんやりと目で追いかける。
「あれは……」
薬草は空高くまで舞い上がると、ぴたりと止まった。何かおかしいと思った時には、もう現れていた。黒く長いマントを羽織り、背筋が冷たくなるような髪をなびかせて、薬草を手にして空中に佇んでいる。ああ、あれが。
「吸血鬼……」
ぞっとするほど美しい顔立ち。何百年も、何千年も生きると聞くが、そう信じてしまいそうなほど人間離れしていた。人間のようで、人間でない。そう感じた瞬間、本能的な恐怖に襲われた。怖い。あいつは、ヒトじゃない。
いつのまにか風は止んでいた。恐怖のあまり、身体が動かせないままだった。それでも、と首を少しだけ動かし、魔女を見上げる。黒いローブの向こうの表情は見えなかったが、片手をローブの胸元にいれていた。何かあれば、すぐに攻撃しようというのだろう。それを見て、ほんの少しだけ安心する。魔女は黙ったままだった。
「久しぶりだね、なまえ」
透き通るような声が降ってきた。驚いて思わず顔を上げてしまう。吸血鬼が、しゃべっている。
「君がこの山にお客さんを連れてくるのなんて、何百年も生きてきて初めて見たよ」
くすりと吸血鬼が笑う。
「薬草が欲しいなら、ボクに言ってくれればいいのに」
「お前のものじゃない。この山はみんなのものだ」
初めて魔女が口を開いた。とても警戒した声だ。
「ボクが望めばボクのものだよ。なまえもね」
「うるさい、黙れ!私はお前のものじゃない!」
「その魔女みたいな話し方やめたら?お客さんがいるから魔女のふりしてるの?いつもみたいに話してよ」
その瞬間、ゴウと風が強く吹いた。思わず目を瞑る。目を開けた時、吸血鬼は魔女の目の前にいた。
「かわいいなまえ。友達が欲しいんだね」
吸血鬼は目を細めて笑う。恐ろしさに、身体が動かなかった。魔女も、縫い付けられたようにその場から離れない。
「いいよ。薬草はあげる。でもなまえはここにいて」
「………嫌」
「なまえのそのわがままなところも好きだけどね」
魔女に合わされていた視線がするりと動いた。目が合った。合ってしまった。髪と同じ色の水晶のように透明な瞳に、射抜かれる。
「この男が、どうなってもいいの?」
「………村長の息子だよ」
魔女の言葉を聞いた瞬間、吸血鬼の顔色が変わった。これはまずい。本能だろうか、その瞬間動かなかった体が自由になった。勢いよくその場から離れる。耳元でジュッと音がした気がした。
「………っマサフェリー!」
魔女の焦った声が聞こえた。
息を整えながら、吸血鬼を見ると手が自分に向けられるているのに気付く。先程まで伏せていた場所に、真っ黒い焦げ跡。本気で殺すつもりだったのか。背筋が寒くなる。
「マサフェリー、逃げて!」
魔女の声で我に帰る。弾かれたように来た道を走り出した。
「お守りを…!」
怖くて後ろを振り返らなかった。ただ、背後から聞こえた魔女の声で、はっと思い出した。魔女からもらった、星型の金属を握りしめる。そこから先は、無我夢中で走った。
気付いた時には、魔女の家の前だった。肩で息をしている。握りしめていたお守りは、手の中で汗で濡れていた。魔女の姿は、どこにもなかった。


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