シャイニング城は、町外れの道を真っ直ぐ進んだ先にある村の外れにあった。外れも外れだが、村の外れと言っても、村自体が山が丸々一つ分すべて敷地になるほどの広大な広さだ。殆どの村人は山の麓に小さな集落を作り、細々と暮らしていた。山には木々が生い茂り、動植物に溢れていた。木の実や薬草等、日常生活に必要なものは何でも手に入れることはできた。しかし、山の奥深くへ足へ踏み入れる者は誰一人としていなかった。
理由は二つある。一つは、噂のシャイニング城だ。もう数百年は過ぎただろうか、村人たちの中には、もうあの城へ立ち入ったことのある者はいない。城主は当時としては珍しい心の広いお方で、以前は毎晩のように繰り広げられたパーティーに、時折村人達も招かれては呑めよ忘れよの大騒ぎをしたと言う。だが、城主が亡くなってから、城の門は閉ざされ、不穏な噂が立つようになった。シャイニング城には、吸血鬼が住んでいると言う噂だ。最初は村人も笑っていたが、面白半分で城へ向かって行ったものは、殆ど帰ってこなかった。帰って来た者も、吸血鬼を見たと言っては、そのまま寝たきりになってしまったそうだ。そんな噂が、数百年の時を経て、教訓のようにこの村に生き続けている。シャイニング城に近付いてはいけない、と。
そしてもう一つ、村人が山に近付かない理由がある。シャイニング城へ行く道すがら、村の集落から少し離れた山の中に、魔女の家があるからだ。魔女が現れたのは、吸血鬼が現れ始めた頃だった。村人たちは、魔女が吸血鬼を連れてきたのだと言い、忌み嫌った。魔女なんて殺してしまえ、と何度となく家に火を放ったが、次の日にはいつも通り魔女の家はそこにあった。今では気味悪がって、魔女の家に近づく者はいない。魔女の姿を見た者は呪われると言われ、村人たちは魔女がそこに本当に住んでいるのかどうかもわからなかったが、流行病や干ばつ等が起こる前、魔女の家の煙突から必ずもくもくと黒煙が上がるのだった。その黒煙を見ると、村人たちはまた魔女の呪いだと震え上がるのだった。
ある日のことだ。村長が、農作業中に腕を酷く切ってしまった。村人たちは心配し、何かと世話を焼こうとしたが、こんなときに薬草が底を尽きてしまっていた。傷を塞ぐものがなく、切り口からはまだゆらゆらと血が流れ続けていた。薬草を早く手に入れなければならないのだが、薬売りは週に一度しか村を訪れない。次に来るまで、あと三日もある。かと言って町まで出て行くにも、この村は田舎過ぎた。町へ出るには、まる一日はかかるだろう。帰ってくることを考えれば、恐ろしく時間がかかってしまう。村人たちたは悩んだ。そして、誰かが言った。山へ薬草を取りに行こうと。
「何を言ってるんだ、吸血鬼に喰われたいのか」
「馬鹿なことは言っちゃいけない。私たちの先祖の代から言われてるんだよ。あの城へは近づいちゃいけないって」
みな口々に反対したが、一人の若者だけは違った。村長の息子だ。
「俺が行こう。城へは近付かない。薬草だけ取ってすぐに帰って来る」
若者は、凛とした声で言った。その堂々とした姿に頷きそうになるが、それでも危ないと反対する。
「しかし、このままでは父上の命に関わるのだ」
そう彼が言うと、村人たちは何も言えなくなってしまった。みな頭では分かっているのだ。山へ薬草を取りに行くのが、本当は一番良い方法であることを。
若者は、すぐに支度を始めた。薬草を取るだけだ、準備など要らないようなものだが、あの山に入るにはそれなりの覚悟が必要だ。念のためと彼は猟銃を持った。その時、村一番の年寄りが彼の前に進み出た。一体いくつなのかも分からないほどだが、彼女は年齢を感じさせぬ態度で彼に言った。
「魔女の家へ行きなさい。きっと魔女が助けてくれるだろう」
彼は驚いた。この村にとって、あの魔女の家は呪われた存在だった。まさか魔女の家へ行けと言われるとは思わなかったのである。にわかに信じがたいが、年上の意見は尊重すべきだ。不安を抱きながらも、彼は魔女の家へ向かった。
魔女の家は、いつもと同じように村の中外れにあった。だが、目にした瞬間、驚きと戸惑いで彼は足を止めた。煙突から、黒い煙が上がっていたのだ。
「何か不吉なことが起こるということか…」
恐ろしい。だが、煙が出ているということは中に誰かいるということだ。意を決して、彼はドアをノックした。すると、ゆっくりとドアが開い開いた。ぎょっとしたが、気を持ち直し中を覗く。
「誰?」
油断をしていたつもりはなかった。だが、一瞬のうちに襟首を掴まれ、そのまま部屋の中に引き摺り込まれた。突然のことに声が出なかったが、引き摺り込まれたと気付いた瞬間にその手を振り払う。
「何をする!」
猟銃を構える。
「それはこっちの台詞だ」
目の前にいた人物が溜息をつきながらつぶやいた。頭から、真っ黒な布を被っている。背は彼よりも低く、女性のようだった。銃口を向けても、怯む様子も見せなかった。
「人の家に入ってすぐに銃を向けるなんて、どういう教育を受けてるんだろうね。この村の連中は、いまだにそんな野蛮な生活を続けてるのかい」
声が高い。まだ若い女性の声のようだ。彼女(だろう)は銃口を掴むと、そのままぐにゃりと上へ向けた。銃を、素手でだ。
「な…」
「魔女の家へようこそ、マサフェリー」
「なぜ俺の名前を…?!」
くるりと踵を返して、彼女は部屋の奥へ進んでいった。改めて部屋を見渡すと、まるで魔女の家という雰囲気はない。ごく普通の、民家だった。ダイニングテーブルと思しきものもある。その近くの椅子に座ると、彼にも座るよう促した。
「結構だ。さすがは魔女だな、名前まで分かるとは」
「村長の息子の名前も知らない村民がいると思うのかい」
「…………」
一応は、彼女もこの村の住人だ。彼のことを知っていてもおかしくはない。
「それでマサフェリー、この呪われた魔女の家に何の御用かな」
ぱさ、と被っていた布を脱ぐ。どうやらフードになっていたらしい。真っ黒な布の下で、マサフェリーよりも若い少女があどけない顔に不敵な笑みを湛えていた。
「大方、シャイニング城へ行きたいんだろう」
「違う。俺はただ薬草が欲しいだけだ」
「薬草ならあるよ。ただ、魔女の薬草でもいいならね」
そう言って彼女は足元の瓶をテーブルに置いた。中には、薬草がぎっしりと詰まっている。彼女は魔女の薬草でもいいならと言ったが、信用はできなかった。
「今すぐ欲しいのかい」
「ああ。とにかく早く欲しい。突然訪ねて申し訳ないが、山へ一人で行くのは心許ないのだ。手を貸してはくれぬか」
なるべく丁寧にお願いする。すると、魔女は大きな目をさらに大きくした。驚いた表情だ。
「私に頭を下げる人間がいるなんてね。いいだろう、準備しよう」
魔女は瓶を足元に戻すと、また別の瓶を取り出した。中には、キラキラと光る探検が入っている。それを取り出して、マサフェリーに渡すと、猟銃を降ろすように指示される。
「猟銃なんか吸血鬼に効きやしないよ。もしもの時はその剣で心臓を一突きにするんだ」
半信半疑ではあったが、丸腰ではないので大人しく猟銃は置いた。どちらにせよこれはもう使えないのだ。村へ戻ったら、鍛冶屋へ修理に出さなくては。
魔女は黒い服にたくさんのものを詰めていった。内側にたくさんポケットがあるのだろう。見るからに重そうだ。
「さあ、準備はできたよ。行こうか」
荷物という荷物をすべて服にしまい込んだ彼女は、歩くたびにカチャカチャ音がした。危険な山の中を、こんなに目立つ音を立てて歩くなんて真っ平御免だ。そう思ったが、魔女の家を出た途端、音は止み、彼女は身軽そうなローブ一枚になった。思わず目を擦る。
「マサフェリー、これを持っていなさい」
風に舞うローブに手を突っ込むと、彼女は銀色の塊をマサフェリーの手に載せた。小さな星の形をした金属のようだ。見た目に反して重い。
「吸血鬼はそれが嫌いだ。まあ、大蒜程じゃないけどね」
なんてな。と笑う魔女に、冗談だったのか?と悩む。魔女の考えていることはよくわからない。受け取ったそれをポケットへしまう。
「そう言えば、お前の名前を聞いていなかった。なんと呼べば良いのだ」
ふと顔を上げて尋ねると、またさっきと同じ驚いた顔をしていた。魔女のくせに表情豊かだ。
「……魔女だ。魔女と呼んでくれればいい」
魔女はそう言って、山へ向かって歩き出した。


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