これは、大切なもの。 私の、大切な、宝物。 だから、あなたに見せたかったの。 金曜日 「ねえ、ヒロト。玲名どこにいるか知らない?」 夕暮れ時。 リビングでぼんやりとテレビを見ていたヒロトに瞳子が声を掛けた。 玲名、という名詞にドキンと心臓が跳ねる。 「知らないよ」 「朝から出掛けてるみたいなのよね。もう、どこに行ったのかしら。あと着付けはあの子だけなのに」 ぶつぶつと言いながら瞳子は再度リビングを出て行った。 今日は近所の神社でお祭りがある日だ。毎年、女子たちには瞳子が浴衣を着せてあげている。今年も同じように着付けをしていたようだがどうやら玲名だけ見当たらないらしい。 (玲名、行かないのかな) 彼女もこのお祭りは楽しみにしていた筈だ。去年は留守番組におつかいを頼まれ、焼きそばやらリンゴ飴やら二人して両手一杯に買って帰ったものだ。文句を言っていた彼女だが、表情は楽しそうだった。 本当は今年も一緒に回ろうと誘おうと思っていた。つい三日前までは。 けれど、今の自分にはそれは出来そうにない。 (無理だよ・・・玲名を誘うなんて) あの少女の台詞が鮮明に蘇る。 二日前、月影ルナにこの街を案内した帰り道、彼女は尋ねてきた。 玲名の事が異性として好きか、と。 勿論、その時は直ぐには答えれなかった。何故なら彼女は大切な家族で、大切なチームメイトだったから。 けれど、昨日は一日中その答えを探していた。 リュウジとサッカーの練習をしている時も頭から離れず、ミスを何度もしてしまったほどだ。 そして求めた答えはストン、とヒロトの中に納まった。 (玲名が、好きなんだ) 家族やチームメイトでは無く、異性として。 そう分かった瞬間、玲名をどう誘えば良いのか分からなくなった。 「断られたら、嫌だしなあ」 そうポツリと呟くのと同時にリビングの扉が開き、振り向くと浴衣を着た杏がひょこりと頭を覗かせた。 「あれ、ヒロト。お祭り行かないの?」 「うーん、どうしようかな」 「せっかくだから行こうよー!玲名も行かないって昨日言ってたしつまんない」 「玲名は行かないの?」 杏はぷぅと頬を膨らませた。 「そうなの!この前までは行くって言ってたくせにさ。昨日コンビニから帰ってきた途端、行かないって言いだすんだもん」 「・・・そっか」 行く気が無いのならやっぱり誘っても無駄かな、とぼんやり考える。 すると玄関の方から、晴矢の声が聞こえてきた。 「あ、やばい。あいつ待たせてたんだ!」 「いってらっしゃい。俺は留守番しとくよ」 「じゃあ、お土産買ってくるね!いってきまーす」 その後も賑やかな声は玄関の方へと向かい、十分もしないうちにしーんと辺りは静まり返った。 (みんな、行ったのかな) ゴロン、とソファに寝転がる。小さくため息をつき、目を閉じた。 「玲名、どこに行ったんだろう・・・」 そう呟いた時、リビングのドアが開いた。ダイニングテーブルにがさり、と物を置く音が聞こえる。瞳子姉さんかな、と思いながら起き上るとそこに居たのは玲名だった。 「玲名・・・?」 玲名は肩をビクリと揺らした。誰も居ないと思ったのだろう。 こちらを振り向いたが、眉根をぎゅっと寄せた後にパッと顔を逸らされた。 (・・・あ、れ?) あからさまに避けられている、ような気がする。 「れ、玲名」 「・・・何だ」 そう答える彼女はこちらを向かない。 ドクドクと心臓が鳴る。 「あの、さ。今日は行かないの?」 「行かない」 「そ、そっか・・・」 それ以上会話は続かず、二人の間には気まずい雰囲気が漂う。 (俺、何もしてないよね・・・?) 彼女が嫌がる事を自分はしてしまったのだろうか。そう思い、ここ数日の事を思い返すが特に何も思い当たらない。この前の練習試合も彼女は特に変わった様子も無かったはずだ。その後、彼女と特に二人で話す事も無く、今日まで至っている。 (して、ない。うん、多分・・・でもどうしてこんな態度とるんだろ) ソファから立ち上がり、彼女に近づく。 そっと肩に手を掛けようとしたところで、気配を察した玲名は振り返った。 「・・・え?」 けれど、驚いたのはヒロトの方だった。 自身の肩に置かれた手をすぐさま振り払った玲名だったが、その顔は赤く染まっていた。 「え、玲名。顔、赤い・・・」 「うるさい」 「待ってよ、熱があるんじゃ」 「触るな!」 「あら、玲名。こんなところに居たの」 ピリピリとした雰囲気の中、現れたのは瞳子だった。 瞳子は二人を交互に見た後、ふぅ、と息を吐いた。 「二人とも、ちょっとおつかいを頼まれて頂戴」 「え、あ、でも玲名が、」 「私一人で大丈夫だ」 「二人、で、行って来て頂戴」 有無を言わせない瞳子の言葉にヒロトと玲名はグッと黙る。 「神社まで行って、たこ焼き五パック、焼きそば五パック、ついでにリンゴ飴も五本買って来て頂戴ね」 そう言うと彼女は財布をヒロトに押しつけ、にっこりと微笑んだ。 「二人でちゃんと買ってくるのよ」 こうしてヒロトと玲名は気まずい雰囲気のまま、結局、神社まで行くこととなった。 露店は絶えず向こうの道まで続いている。人の波もまた絶えず、少しでも離れたらはぐれてしまいそうだ。 「れい、な。えっとまずは、たこ焼きから行こうか」 「・・・ああ」 そう玲名が返事をすると二人はまた無言で歩き始めた。 道中ずっとこんな感じで、何か話題を、と思いつき声を掛けるが返ってくる返事は一言、二言で話は続かない。 (本当は俺、何かしたのかもしれない) チラリと玲名を見るが彼女はただ、無表情で前を見ていた。 周りのざわざわとした音が耳に良く響く。楽しそうに笑う声、行き交う人たちの笑顔、誰もがこの祭りを楽しんでいるようだった。 それなのに、どうしてこんな気まずい雰囲気で俺たちは歩いているんだろうか。 (聞こうかな、ちゃんと・・・) 好きだ、と気づいたその次の日にまさかこんな事になるとは夢にも思っていなかった。このままは嫌だ。彼女に拒絶されるのはもっと嫌だけれど。 「ねえ、玲名」 意を決して隣を向く。 けれど、隣に玲名の姿は無かった。 「・・・え、玲名?」 後ろを見ても、やはり玲名の姿は無い。急に立ち止まったせいで前から歩く人たちにドン、とぶつかった。 「玲名・・・!」 賢い彼女の事だ。はぐれたとわかれば一度おひさま園に戻るなり、分かりやすい場所に行くなりするだろう。けれどその時は、はぐれたらこのまま二度と彼女に会えないような、そんな不安感に駆られた。 (居ない・・・) 赤い鳥居の前でヒロトは大きな溜め息をついた。さすがにこの人数の多さだ。闇雲に走り回っても見付かるわけがない。 一度おひさま園に戻ろうかとした時だった。 「ヒロト君」 凛とした、声が聞こえた。その声はこの喧騒の中でもしっかりと耳に届いた。 「き、み・・・」 「こんばんは」 声のした方へ顔を向けると、にこりと微笑む月影ルナがそこに立っていた。彼女は黒地に朱色の彼岸花が描かれた浴衣を着ている。 そこでまた既視感を感じた。 (この浴衣、どこかで・・・) 今まで以上にそれははっきりとしている。これは既視感などではない。 (そうだ・・・) これは去年、玲名が着ていたものだ。しかも市販されてるものではなく、瞳子が母親から譲り受けた手作りのものだった。 浴衣をじっと見ていたヒロトは視線をゆっくりとあげて月影ルナの顔を見る。まるで作られたような笑顔に初めてゾクリ、と悪寒が走った。 「君は、一体、誰なの?」 その言葉は彼女の耳に届いたのだろう。首を小さく傾げて「さあ?」と彼女は答えた。 周りには沢山の人が居るというのに、まるで自分と彼女だけがこの空間に切り取られたような、そんな不思議な感覚がする。 「・・・誰だと、思う?」 そう問いながら、彼女は一歩ずつヒロトに近づいてきた。思わず、後ずさりをする。 その時だ。 「ヒロト!」 鳥居の向こうから玲名の声が聞こえた。玲名の姿を捉え、ヒロトはホッと内心で息を吐く。 しかし玲名は月影ルナの存在に気づくと眉根を寄せ、一歩足を引いた。 「・・・邪魔して悪かったな」 そう言って玲名は走り去ってしまう。人混みに紛れてしまった彼女は直ぐに見失った。 「追いかけなくて良いの・・・?」 困ったように笑う彼女はスッと玲名が走っていた方向に顔を向けた。 月影ルナの事も気になるが、それ以上に玲名を追う方が優先だ。彼女を一瞥し、ヒロトもまた、人込みの中へと消えて行った。 数十分探し回ったがやはり玲名は見つけきれなかった。もうおひさま園に帰ったかもしれない。そう思い、おひさま園まで全速で走って帰ると、瞳子が玄関先で仁王立ちで待っていた。 彼女はヒロトを見てはあ、と大きな溜め息をついた。 「ごめん、姉さん。おつかいを、」 「良いわよ、別に。それより、さっき凄い形相で帰ってきた玲名の方を何とかして頂戴」 「玲名、やっぱり帰ってきてたんだ・・・」 靴箱を見ると、玲名のパンプスが乱雑に置かれている。 「喧嘩でもしたの?行く前もなんだか良くない雰囲気だったけど」 「分からない・・・俺は特に心当たりは無いんだけど・・・」 「そう。じゃあ玲名の心境の変化かしらね。まあとりあえず早く仲直りしてね」 「・・・うん」 出来るものなら、早くそうしたい。重い足取りで玲名の部屋まで向かった。 意を決し、トントン、とノックををする。 「れ、玲名。居る?」 中から反応は無い。けれど、彼女が居る事は確かだ。 ヒロトは上げていた手をゆっくり下ろした。 「玲名。あのさ、彼女とは別に何も無いから誤解しないで、」 そこまで言って、ふと、気付いた。 どうして玲名は怒っているんだろう?どうして顔を赤くしたのだろう?急に態度が変わったのはどうして? 瞳子姉さんが言っていた"玲名の心境の変化"。もし、自惚れなんかじゃ無かったら・・・ 「ねえ!玲名!俺さ、玲名の事、好きなんだ。だから、誤解、されたくない」 中で小さく物音がした。彼女が顔を出すかもしれないと淡い期待を抱いたが、結局目の前の扉が開かれる事は無かった。 ヒロトは小さくため息をついて、その場を後にした。 君は、誰、ですって。 私は貴方たちのこと、良く知ってるのに。 少し色あせた彼岸花を撫でながら、彼女はそっと微笑んだ。 11.07.17 |