彼女はまだ気づいていないのだろう。
その痛みの意味を。
どうか気づいて。
手遅れになる前に。私がこの地を去る前に。
早く、早く―――・・・



火曜日



「おはよう」

リビングに降りると瞳子がクーラーボックスにドリンクを並べ入れているところだった。

「おはよう、玲名。身体はどう?」
「大丈夫だ、ただの生理痛だから」
「二日目はキツいものね」

時刻は既に十一時近く、おひさま園の子どもたちは練習試合をするために朝から河川敷のグラウンドへ向かっていた。

「これ、今から河川敷に持って行くんだけど玲名はどうする?」
「一緒に行く」
「大丈夫?」
「ああ。薬も飲んだし」

そして玲名も試合に参加するつもりだったのだが、月に一回訪れる女子特有の痛みに断念した。
本来なら一緒に行ってそのまま見学をしようと思っていたのだが、朝方に酷い痛みが訪れ、気づけばこんな時間になってしまった。

「今日も暑いわね」

外へ出ると日は既に高く、アスファルトがじりじりと焼かれているようだ。
車に乗り込み、助手席からぼんやりと流れていく風景を眺めていた玲名に瞳子が「そう言えば」と声を掛けた。

「リュウジの話、聞いた?」
「リュウジの・・・?」
「昨日、河川敷で練習してたら現れた女の子の話。聞いて無い?」
「聞いた。それをヒロトが鼻の下を伸ばして見ていたという話だろう」

昨日、夕食も終わりヒロトがちょうどお風呂に入っていた時の事だ。
リビングに入ると、リュウジを中心に何やらきゃーきゃーと杏や布美子たちの黄色い声が飛んでいた。

「それでその子がすっごい可愛い子でさ。ヒロト、その子の姿が見えなくなるまでずーっと見てたんだよ!しかも"前に会ったことあるかな?"って聞いててさ!これ、もしかしたら運命の出会いなんじゃないかって俺は思ったんだ!」

興奮気味に語るリュウジを横目に見ながら冷蔵庫を開け、お茶を取りだす。
それをコップに並々ついだところで後ろを振り向くと、リュウジたちがじっとこちらを見ていた。

「・・・何だ」
「玲名、今の話聞いてたでしょ?良いの?!」
「そうだよ。その子もヒロトのこと好きかもしれないよ!」
「このままだとヒロト、その子とくっついちゃうんじゃないの?」

何故、自分にそんなことを言ってくるのかさっぱり分からない。ヒロトに想い人が出来ようと、恋人が出来ようと、私には関係の無い事だ。

「良いも悪いも、私には関係が無い」

お茶を飲みほしコップをゆすいだ後、周りの視線を無視してリビングを後にした。
玲名にとってそんなことよりも昼間に来た生理のせいで先ほどからズキズキと下腹が痛みだした事の方が問題だった。
明日は久しぶりの練習試合なのに。

「これは大人しく止めておくか・・・」

階段をあがると廊下でじっと佇むヒロトの後ろ姿が見えた。明日の事を言っておこうと声を掛けようとしたのだが、先ほどの話がふっと蘇り、思わず彼の後頭部を叩いてしまった。

(振り返った時のヒロトの顔がまぬけだったな)

昨日の出来事を回想していると気づけばグラウンドに到着していた。

「重くない?持っていける?」
「大丈夫だ、姉さん」
「じゃあ、また後でね」

瞳子は別の用事あるらしく、玲名を下ろすと車を発進させた。
さて、と玲名はクーラーボックスを肩に掛ける。グラウンドを見下ろせば白熱する試合が繰り広げられていた。
階段を下りると、木陰のところに誰かが座っていた。試合を観戦しているようだがおひさま園の子どもでは無いようだ。
玲名は周りを見渡したが大きな木陰はその場所にしかなく仕方なくそちらへと足を向けた

麦わら帽子を被った少女の顔は影が落ち、暗くて良く見えない。
玲名が近づくと少女は麦わら帽子のつばを上へとずらし、彼女を見上げにっこり微笑んだ。

「こんにちは」
「・・・こんにちは」

この子がリュウジの言っていた女の子だろう。
白いワンピースが印象的だったと彼は言っていたが今日は黒いワンピースだった。
彼女の微笑み方が誰かと似ているような気がする。記憶を探ってみるがぼんやりとしてよく思い出せない。
玲名はクーラーボックスを地面に置くと、得点版へと目を向けた。

(1−0か・・・)

どうやらヒロトがキャプテンを務めるチームが勝っているようだ。
それを察したように、少女が口を開いた。

「ヒロト君がシュートを決めたの」

玲名は声のする方へ目線だけ動かす。少女は相変わらずにっこりと笑っていたがその顔が曇った。

「なんだか顔色が良くないわ。隣、座って」
「・・・すまない」

彼女の隣に腰を下ろす。
そんなに顔色が悪いのだろうか、と玲名は額に手を当てた。実は再度ズキズキと下腹が痛み始め、頭まで痛くなりそうだった。

「きつかったら私に寄りかかって」

不安そうに彼女が玲名を見つめる。

「ありがとう」
「いいえ。えっと・・・玲名さん」
「・・・どうして、名前を」
「ヒロト君に聞いたの」

そう言うと彼女はグラウンドに顔を向けた。つられて玲名も彼女の目線の先を追う。

「ヒロト君、とても優しいのね」
「あいつは馬鹿正直なだけだろう」
「正直なのは良い事だわ。私は好きよ、そう言う人」

ストレートに「好き」だと言葉を紡いだ彼女の、クスクスと笑う声がとても可愛らしい。清楚で可憐という言葉は彼女のような女子のためにあるのかもしれない。
玲名は彼女の名前を呼ぼうとしたのが、まだ知らないことに気付いた。

「そう言えば、お前の名前・・・」
「あ、私は、」

ピッピ――――!

まるで見計らったかのようなタイミングで試合終了のホイッスルが鳴った。
徐々に皆がこちらへと向かってくる。

「玲名!来てたの!」

一番に走って来たのは杏だった。クーラーボックスからドリンクを取りだして手渡す。

「お疲れ様」
「負けちゃったー悔しいっ」
「ヒロトの一点がなあー」

負けたチームも試合を精一杯楽しんだようで皆は笑いあいながら話をしていた。
玲名は次々と集まってくるメンバーに渡していく。
配り終える頃にふと隣を見ると少女が居なかった。

(どこに・・・)

くるりと周りを見渡す。
すると彼女はヒロトと楽しそうに会話をしているところだった。会話の内容は聞き取れないが二人で楽しそうに笑っている。
ヒロトと彼女をぼんやりと見ていた玲名は急に身体がズキズキと痛み始めた。

(・・・生理痛が酷いな)

そう思いながら下腹を摩るが痛む箇所が曖昧な気がした。





「今日の試合、とても楽しかった。ありがとう」

試合も終わりさてこれからどうしようかという話になった時だ。
お時儀をして帰っていこうとする彼女に「待って」と声を掛けたのはヒロトだった。

「今日は家まで送るよ」
「大丈夫、まだ明るいもの」
「でも・・・」
「じゃあ、途中までお願いしても良い?」

周りはそわそわしながらその行く末を固唾をのんで見守る。
何人かはチラチラと玲名の様子を伺っていた。しかし玲名は特に気にする事も無く空になったクーラーボックスを手に取っているところだった。

「あ、玲名さん」

少女が玲名を呼ぶと、その声に玲名は後ろを振り返る。

「ちゃんと名前を言って無かったわね」

そう言って少女はにこりと微笑んだ。

「月影ルナ、と言うの。宜しくね」
「・・・宜しく」
「また、おしゃべり出来たら嬉しい」

じゃあね、と小さく手を振るとヒロトと並んで歩いて行く。
ヒロトとルナの後ろ姿を見ていると、またズキズキと痛み始めた。

(何なんだ、これは)

生理痛では無いように思えてきた。
では、この痛みは一体何なんだろう。

(玲名、今の話聞いてたでしょ?良いの?!)
(そうだよ。その子もヒロトのこと好きかもしれないよ!)
(このままだとヒロト、その子とくっついちゃうんじゃないの?)

ふと、昨日のリュウジたちの言葉が頭の中で再生された。

(・・・?)

けれど何故その言葉たちが思い起こされたのか玲名にはまだ分からなかった。





11.07.11



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