例えば巷で話題の恋愛ドラマとか、泣けると評判の恋愛小説とか、漫画とか、とにかくそういう類のものには全く興味がなかった。世間の恋愛事情が載っている雑誌もまた。
自分には一生無縁だと思っていたからだ。
それは、ヒロトから告白され、恋人同士になってからも変わらなかった。
そう、変わらなかったのだ。つい、最近までは。



03




「ちょっと相談があるんだけど」

風呂上がりにちょうどばったり出くわした布美子からそう持ち掛けられた。にっこりと弧を描く唇はグロスを塗っているようでツヤツヤとしている。手招きするその指先もまたツヤツヤとマニキュアが塗られ、まるで果実のようだと思った。

「どうした」
「ほら、今度さ。誕生日でしょ?ってかそんなとこ突っ立てないで私の部屋に入ってよ」

布美子の部屋にはいつも彼女が身に纏う香水の香りが充満している。女子らしい小物やレイアウトは先日の砂糖菓子のような彼女たちを彷彿とさせた。

「誕生日会、だろう。リュウジに聞いた」
「そうそう。あ、そこのベッドに座って良いわよ。それでね。ちょうど誕生日の、この金曜日がみんな都合が良いらしいんだけど、主役の都合はいかがかしら?」

そう言われ指差されたカレンダーにはピンク色のペンで「玲名BD」と書かれていた。

「大丈夫だ」
「良かった。じゃあこの日ね!・・・あ、でも誕生日ならヒロトとデートの予定でも立ててるんじゃないの?」
「いや・・・大丈夫だ」
「ふーん、そう?じゃあこの日に誕生日会するってヒロトに伝えてて」
「・・・わかった」

話は終わったと思い、立ち上がろうとしたところで「ところでさ、」と切り出された。

「やっぱり、ヒロトと何かあったでしょ?」

心臓がドクンと音を立てる。見抜かれたように的確な質問だった。

「何も・・・無いが」
「ウソ」

布美子の目は真剣で、まるでその目に射抜かれるようだ。
ポーカーフェイスには自信があった。あの日、ヒロトの高校へ行った後も以前と変わらぬよう過ごしてきたつもりだったのに。

「一体何年一緒にいると思ってんの。わかるわよ」
「・・・」
「ほら、言ってみなさい。あんたより私の方が恋愛経験値は高いと思うわよ?」

ギシリとベットが音を立てる。玲名の隣に腰かけた布美子は、膝の上に揃え握られていた玲名の手をそっと包んだ。
玲名は目をそっと閉じ、ぎゅっと唇を噛みしめる。
そしてぽつり、ぽつりと話始めた。二、三週間前からヒロトからの連絡が急激に減ったことや、ヒロトの高校へ行ったこと。そこで見た光景。自分が・・・ヒロトの恋人として不釣り合いなのではないか感じ始めたことも。

「可愛げのないことは、自分が一番良くわかっているんだ。こんなの、私の性分にあってないことも。でも、考えれば考えるほどどうしたら良いのかわからない。こんな状況、初めて、だから」
「そんなことがあってたの。それは不安にもなるわね・・・でも、あのヒロトが玲名以外の女に靡くようなことは無いと思うけど」
「・・・雑誌で読んだ。男が、急に態度を変える時は、他に女が出来た証拠だと」
「ちょ、ちょっと!それは飛躍し過ぎよ!そういう雑誌、鵜呑みにしちゃダメ。というか・・・あんたがそんな雑誌見るなんて・・・」

布美子が驚くのも無理は無い。玲名は今までそういった類のものに全く興味を示さなかったのだから。
ふ、と玲名は自重気味に笑った。

「可笑しいだろう?私がこんな事に悩むなんて」

両親に見放された時の痛みとも父さんに裏切られた時の痛みとも違う痛みは、ただただ苦しいだけだった。

「ねえ。それ、ヒロトに直接聞いてみたらどう?ずっとこのままなんて玲名がつらいだけよ」
「そう、だな」
「大丈夫よ。ヒロト、本当にあんたのこと好きだから。それはジェネシスの私たちが一番良く知ってるわ」
「・・・ありがとう」

そろそろ部屋に戻る、と告げ、玲名は布美子の部屋を後にした。
自室に戻ると、暗闇の中、チカチカと携帯電話が光っている。見ると、ヒロトからの着信履歴があった。時間はちょうど20分前。
再度掛け直すか、このまま知らない振りをするか、玲名は形の良い眉を顰める。
そして、意を決したようにリダイヤルボタンを押した。

『あ、玲名?久しぶり!ごめん、最近忙しくてメールも出来なくて』
「いや。・・・今、大丈夫か?」
『うん、大丈夫だよ』

言いたいことは、聞きたいことはたくさんあるのに、言葉がうまく出てこない。
私のこと、まだ好きか、など、どうして聞けてようか。
電話越しで、もし、望まない言葉が返ってきてしまったら。
それならばいっそうのこと、直接会って、聞いてみよう。
数秒の無言ののち、ヒロトの『玲名?聞こえてる?』と呼ぶ声がした。
その声にピクリと肩を揺らせ、けれど深呼吸するようにゆっくり息を整える。

「来週の金曜日に私の誕生日会をすると布美子たちが言っていたのだがその日は帰ってこれるか・・・?」
『平日かあ・・・うーん、練習で遅くにはなるだろうけど、多分大丈夫だよ』
「そうか」

その答えにほっと内心で息を吐いた。

「それと、今週末の日曜日、会えるか?」
『え?日曜日?ああ、その日は・・・いや、ごめん。練習が入ってるんだ』
「練習が入っているのか。ならば仕方無いな」
『ごめんね、玲名』
「いや、頑張れ、よ」
『うん、ありがとう』

じゃあ、おやすみ、と言って切った後、ポスン、とベッドに倒れこんだ。
出来たら早めに、決着をつけたいと思っていたのだが。
練習ならば仕方がない。
そっと目を閉じると、睡魔が襲ってきた。

玲名はヒロトに告白された時の夢を見た。
耳まで真っ赤に染め、「好きだ」と告白してくるヒロトが無性に可愛くて、苦手だと思っていた彼が自分に好意を抱いていたなんてこれっぽちも思っていなくて。
素直に幸せだ、と思った。
その時の自分は本当に幸せそうだった。
夢の中の玲名は、幸福感に包まれていた。



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