苦あれば苦あり。






それからあとのことはよく覚えていない。いつの間にか自宅に着いていた。頭の中を埋め尽くすのは赤髪の男が見せた妖艶な笑み。それを振り払うかのようにデイダラは首を左右に大きく振った。

アパートの脇の自転車置場に自転車を置いたとき、ズボンのポケットが震えた。どうやら着信のようである。そういえば飛段が電話するだとか言ってたっけ。

「もしもしオイラデイダラ」
『よっデイダラちゃーん!バイトおっつかれー!って何かテンション低くね?そんなに忙しかったのかよォ!』
「うっせーな。今日はちょっといろいろあったんだ、うん」
『いろいろって何だァ?変なクレームでもつけられたかァ?』
「いやクレームじゃなくて、」

通学鞄であるリュックを肩にかけながらアパートの階段を上がっていたデイダラ。が、彼の足も声もそこまできていきなり止まる。

飛段にもし今日あったことを相談したらどうなるだろうか。答えは明白、ばか騒ぎするに決まってる。

『何だよじゃあ。何があったんだよ』
「えっと何もないぞ!うん!」
『はァ?さっきいろいろあったって言ってたじゃねえか!』
「オイラそんなこと言ったか?知らないぜ!」
『デイダラちゃんよォふざけんのもいい加減に、』
「あっオイラこれから飯だから電話切るな、うん。んじゃまた明日学校で!」
『ちょっ待』

一方的に電話を切りそのまま電源を落としたあと、携帯を閉じた。わざわざかけてきてくれたのにこんなことをしてしまい少し罪悪感を感じるが、デイダラは今一人で考えたいのである。

重い足取りで目的地であるアパートの一室にやっとこさ辿り着く。鍵を取り出そうとしたら勢いよくドアは開かれた。

「うっわ!びっくりしたぞ!お姉帰ってきてたのかよ」
「何その言い方。帰ってきてちゃ悪いっての?」
「別にそうじゃねーけど」
「どうだか。まあおかえり」
「ただいま、うん」

出迎えてくれたのはデイダラの姉である。ちょうど肩くらいまである黒髪や小柄な体系はデイダラとは似てもにつかないが、その蒼い瞳だけは瓜二つだった。

「手洗いしたらとっとと夕飯食べちゃいなよー」
「んー」

さほど広くないアパートで唯一のプライベートスペースである自室にデイダラは入ると、そこら辺に鞄を放り投げ部屋着へと着替え始める。

「あっそれとデイ、」
「ぬあ!ノック無しで開けんじゃねえっていつも言ってんだろ!!!うん!」
「うっさいなー。あんたの裸なんて見飽きてるから大丈夫」
「そういう問題じゃねえ!」
「わかりましたわかりました閉めますよ。あとで話したいことあるから早く着替えといで」
「話したいこと?」
「…あんたの進路のこと」

姉はそれだけ言うとドアを閉めた。嗚呼そうだ。それも今ある悩みの一つだった。

「オイラ今日厄日かも…」

スエットに腕を通すと、デイダラはまた溜め息をついた。








「だからさっきから同じこと何回も言わせんな!うん!オイラは就職して働くぞ!」
「就職なんて許さないよ」
「何でだよ!高校出りゃいいって言ったのはお姉だろっ」
「あんたが進みたい道を進ませて、時には正してあげるのが私の役目なの」
「意味、わかんねえ、うん」

夕飯を食べ終わったデイダラは、さっきから姉とずっと同じ会話を繰り返していた。就職か進学か、先程角都に相談していたことである。

「デイ。あんた美術で進みたいって思ってんでしょ?」
「そんなこと、ねえ」
「嘘言うな」
「嘘じゃねえよ。オイラ別にそこまで美術にこだわりない」
「昔っからずっと粘土や絵が好きだったくせによく言うわ」

確かに昔から美術はずっと好きだし、今もその気持ちは健在で、嫌いだなんて言ったら嘘になる。出来ることなら美術の大学に進みたい。自分の芸術をもっと磨きたい。けれどそんな願望だけで動ける程デイダラはもう子供ではなかった。

「とにかくオイラは就職する。これ以上お姉だけに負担かけさせらんねえよ、うん」
「あんただってバイトして自分のこと自分でしてくれたじゃない」
「バイトで稼げる金なんて限られてんだろ」
「あのさ、デイダラ」

普段デイ、デイと繰り返す姉が、久方ぶりに自分の本名を口にした。少し驚いて姉を見ると、そこにはいつもと違う真摯な表情をした姉がいた。蒼い瞳は澄んでいて、自分の物とは比べ物にならないくらい輝いて見えた。

「私はデイダラが本当に進みたい道に進んでほしい。あんたが渋々就いた職で稼いだお金なんか嬉しくも何ともない」
「そんなこと言ったって、」
「美術、好きなんでしょ?」
「………」
「私は、デイダラの作品好きだけどな」
「………」

楽しそうに笑う姉に何ともいえない感情が沸きあがってくるのがわかった。自然と目尻が熱くなる。それを悟られまいと顔を背けると、姉はゆっくりと立ち上がる。もう遅いからこの話はまた今度ね、と言って姉は自室へと入っていった。



どうすればいいんだろう

赤髪の男の笑みと姉の笑みが、交互に脳裏に浮かんでは消え、また浮かんだ。









やっぱり今日は厄日だ(でも最悪ってわけじゃない)









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