誰かが俺の名前を呼んでいる。誰だろう?早く行かなくちゃ。だけどそんな思いとは裏腹に、意識はなかなか覚醒してくれない。
どうやら自分が思っているよりも「犬として生きていかなければならない」可能性が響いているらしい。俺さまどんだけメンタル弱ぇーのよ。…なんて、自嘲する気すら起こらない。
「ゼロス」
ぽんぽん。ぽんぽん。
布越しから伝わるあたたかな感触。
名前を呼ばれて。身体を揺すられて。それからまた――あたたかい感触。
例えこのまま犬になったとしても、この感覚だけは絶対に忘れたくない。
「…ゼロス?」
頭は少しずつ覚醒しているのだが、身体が起きたくないと言っている。
ごめん、クレアちゃん。俺さままだ起きられそうにねぇ…。
と、心の中で謝罪したその時、あたたかい感触が頭へと移動した。
窓の隙間からこぼれる柔らかな陽光と相まってなんだか段々眠たく…ん?窓?
うっすら目を開けると、にっこりと微笑むクレアちゃん。と、真っ白な天井が見えた。
「おはよう、ゼロス。随分うなされてたみたいだけど…だいじょぶ?」
「…?」
辺りを見回す。…窓。椅子。テーブル。その上に飾られているのは小さな花。ぱちぱちと目を瞬かせているクレアちゃん。ここは…部屋だ。犬小屋じゃない。視線を落とせば、真っ白なシーツの海。
…あ…。
「…どしたの?」
「手…」
「手?」
「も…」
「も?…ても?」
「ても」ってなんだろう…?首を傾げるクレアちゃんをよそに、自分の頬をつねってみた。…痛い。夢じゃない。…夢じゃない。夢じゃない!
「元に戻ったああ!!」
「にゃ!?」
「犬じゃない!犬じゃない!人間に戻ってる!」
「…ぜ、ゼロス?」
「でひゃひゃ!やっぱりクレアちゃんはあったかいな〜!俺さましあわせ!」
クレアちゃんを腕の中に閉じ込めて、彼女の肩口に顔を埋めた。あたたかくて優しいクレアちゃんの匂い。
…あー、しあわせ…。
すると、されるがままだったクレアちゃんが身体を反転させて俺を見上げた。頬を赤く染め上げて、大きな瞳がせわしなく動き回って。それから、照れ臭そうに微笑んだ。
* * *「これからノイシュに朝ご飯をあげるんだけど…よかったらゼロスも一緒に行かない?」
「なんか…やたら豪華な朝飯だな…」
「リーガルさんが腕によりをかけて作ってくれたんだよ。おいしそうだよねぇ〜」
「…ごめん。今日はパス」
「そか…。起きたばっかりなのに誘っちゃってごめんね。ゼロスも、冷めないうちに朝ご飯食べてきてね!」
リーガルのおっさんお手製の朝ご飯とやら(夢の中で俺が食べたものとそっくりだ)を手に、扉へと向かうクレアちゃん。
なあ、と呼び止めればクレアちゃんはくるりと振り返る。
「ん?」
「…いや。やっぱりなんでもねぇ」
「そう?」
「…アイツに、よろしくな」
「…うん!分かったよ!それじゃあまた後でね」
僕がいて、君がいて。犬によろしくって、なんだそれ。何をよろしくするんだよ。
「…?」
やんわりと鼻を掠めたのは、草原の匂い。窓の隙間からはアイツの鳴き声が聞こえてきた。
まさか、な…。
2012.04.06.
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