貴方に飲まれて





「うわ、どしたのそれ」

玄関の戸を開けた瞬間、思わず呆けてしまった。
だって、そこに立つ浜野が、全身水浸しだったから。


「いやー、帰ってる途中でいきなり雨降ってきてさあ。んで、なまえの家が近かったから」


へらへら笑いながら、浜野は自分の後ろを指差す。
見ると、少し前までは気配すら無かった雨が、大量に降り注いでいた。


「うわー、すごい降ってきたねえ。とりあえず入んなよ」
「サンキュー」


浜野を玄関に迎え、タオルを持ってくると、ありがとなあ、と軽い声が返ってきた。
腕や髪を拭く浜野をよくよく見ると、タオル一枚じゃどうにもならないくらいに服が濡れているのに気付いた。


「あんた、めっちゃ濡れてるじゃん。着替えていったら?」
「え?」
「お兄ちゃんの服なら入るよね。あ、下着は新品ないんだけど」
「お兄ちゃんて、え、いいの?勝手に着ちゃって」
「うん、まあ大丈夫でしょ。あ、靴も乾かさなきゃね。上がってよ」

新たにバスタオルを渡して促すと、浜野はなんだか嬉しそうに、ありがとなー、と笑った。






「浜野、今部活帰り?」


お茶を沸かしながら、ソファに座る浜野に話し掛ける。
んー、と投げやりに応えた浜野は、部屋中をきょろきょろ見回していた。


「ちゅーか、他の家族は?お兄さんとか、お母さんとか」
「今居ないよ。うち両親共働きだし、お兄ちゃんは多分友達の家かなあ。大体皆、8時過ぎないと帰ってこないんだー」


ふーん、と目を止めた浜野の視線を無意識に追うと、先にはリビングに掛けた時計。
銀色の針は、7時を指す手前だった。
ううん、皆あと一時間は帰ってこないなあ。


「じゃあ、いつも一人で家に居んの?」
「うん、まあね」


淹れたお茶をふたつ、テーブルに置いて、浜野の隣に腰掛ける。
濡れた服を乾かすために入れた暖房の風が、生温く頬を撫でた。


「あたしは何にもないけど、友達は皆部活とか塾とかあるからさ、放課後は暇なのよ。だからすぐ帰ってきちゃうんだよね」
「ふーん…」


湯飲みを両手で支えて、冷ますように息を吹き掛ける。
ずずっと音を立てて飲んでいると、浜野があっと大きな声を出した。
突然の大声にびっくりして、思わず湯飲みを落としそうになる。


「っなに、どうしたの?」
「良い事思い付いた、なまえ、サッカー部のマネージャーやればいいじゃん!」
「…は?」


俺頭良いーとか言いながら満足げに笑う浜野。
何それ、なんでそうなるのと問えば、彼はさも名案であるかのように答えた。


「だって、マネージャーやれば、放課後も暇じゃなくなるじゃん」
「まあそうだけど」
「ちゅーか、そしたら俺ももっとやる気出るし」
「はあ?」


なんか意味解らない事言い出した。
なんであたしがマネージャーやるとあんたのやる気が上がるのよ。
そう言うと、浜野はいつものへらへらした調子で返した。


「だって、俺、なまえの事好きだし」
「……え?」


なんか今、さらっと凄いこと言われた気がする。


「えっと…それ、どういう意味?」
「どういう意味って、そのまんまじゃん。俺、好きなの、なまえが」
「…す、きって、え」
「ん?解んねえの?」


首を傾げた浜野は、そのまま戸惑うあたしの顔を覗き込んで、肩を寄せて…




ちゅ。

キスを、した。




「…え」
「解った?」


微笑む浜野。固まるあたし。
一瞬触れただけの唇が、やけに熱い。
なんだ、これ。なんで。
ああ、不覚にも、どきどきしてる。
今まで、浜野の事を友達以上に見たことなんて、なかったのに。
存在しない筈のあたしの恋心に、流されてしまう。
気付けば、訳も解らずに首を振って、頷いていた。


「よしっ、じゃあ明日から、なまえはサッカー部のマネージャー、な?」


破裂しそうな位にどくどく音を鳴らす心臓。
それを抑えつけるのに精一杯で、やはりあたしは訳も解らずに頷いていた。






貴方に飲まれて

(あたしが浜野に恋するのは、)
(案外近い未来かもしれない。)