酔いどれ彼女





「あー、楽しかった!」


家へ帰るなり、着替えもせずにぼふん、とベッドに倒れ込むなまえ。
勢いで捲れたフォーマルドレスのスカートを直してやりながら、自分のネクタイを緩めた。


「楽しかったねえ、一郎太!」
「そうだな……にしても、飲み過ぎだぞ、なまえ」
「えー?そんな事ないよおぉ」


普段なら帰って直ぐに着替えてハンガーに掛けるなまえが、服がくしゃくしゃになるのもお構い無しにごろごろと布団に絡まって幸せそうなのは、きっとアルコールのせいだろう。
ビールにワインに焼酎、ウイスキー、カクテル、ハイボール…メニューに載っている酒という酒を片っ端から制覇って。
幾らお前が大酒豪ってのが周知だとしても、人の結婚式の二次会でハメ外しすぎだ。


「うふふ、どれもおいしかったです」
「それは良かった」
「てかさー、夏未ちゃん、すっごく綺麗だったよね!」
「そうだな」
「これからは円堂夏未になるんだなー、ちょっとさみしい…ああでも円堂君になら任せてあげてもいいかな」
「お前は一体何様なんだ」
「そういや夏未ちゃんいまだに円堂君って呼んでるよねー、守くんって言ってあげればいいのに」
「………」


俺の言葉を総無視で、ひたすら一人で喋り続けるなまえ。
取り敢えず放置する事にして、スーツを部屋着に着替えた。






「やっぱえんどーのねこみみはかわいいわあぁぁ」
「……(何の話だ)」


かれこれ10分は放っているが、相変わらず口は途絶える事無く、何やら意味の解らない熱弁をしている。
仰向けに転んで、腕を振り回して、意味の解らない事を脈絡無く話すなまえは、普段からは考えられない傍若無人さだ。
なまえは普段は、どちらかと言うと酔わないタイプなのだが、テンションが最大まで上がると、一気にタチの悪いよっぱらいになる。


「…今日は、無理かな」


帰ってきたら大事な話をしようと思っていたのだが、これだけ酔ってしまってると、何言っても聞かないだろうな。
諦めて明日にでも話すか、と考えていると、突然腕を引っ張られた。


「うわっ」


ぼすんっ、
バランスを崩して、倒れた先は布団の上。


「なまえ?危ないだろ」
「えへへー、いっちろーたぁ」


腕を引かれたせいで、なまえの腹の上に落ちてしまった。
多少なりと痛かったろうに、しかし当の本人は気にせずへらへらと俺の右腕を抱き締めている。


「一郎太、きてー」
「…はいはい」


甘えた声で腕を広げるなまえの隣に並んで、ぎゅっと抱き締めてやる。
よしよし、と頭を撫でると、猫みたいに俺の胸に頬を擦り付けて、嬉しそうに笑った。


「えへへ…一郎太、すき」
「俺も好きだよ」
「だぁいすき、愛してる!」
「はいはい」


ひたすら好き好きと言い続けるなまえ。
普段はこんなに言わないのに、やはり酒の力だろうか。


「一郎太がね、すきなのー」
「はいはい」
「もー、ちゃんときいてー!」
「聞いてるよ」


むすっとしたなまえの額に口付けると、なまえは一瞬嬉しそうな顔をして、直ぐに真剣な目をした。
なまえ、と名前を呼ぶと、起き上がり、俺の上に被さる。


「……なまえ?」
「好き、大好き、一郎太が好き」


真剣に言い放つなまえから、目を逸らせない。
さっきまで酔いどれだったのに、なんだこの変わり様は。
すき、だいすき、と言いながら、なまえは俺に口付ける。
唇を押し付けて、半ば無理矢理に舌を捩じ込んできた。
珍しく、荒く乱雑な、獣みたいなキス。
息も儘ならない程に求め合って、やっと離れた唇は、名残惜しく水音を立てた。


「は、っ…なまえ、どうしたんだ?さっきから変だぞ、お前」
「……っ」


彼女の顎から伝う唾液を拭ってやると、なまえはどさりとのし掛かるように抱き付いてきた。


「どうしたんだ、なまえ?」
「………た…」
「え?」


小声で呟かれる其れを聞き取ろうと、耳を寄せる。
と、なまえは顔を上げて、叫ぶように言った。




「……っ羨ましかったの!」
「…え?」


羨ましい、とは、何の事だろうか。
問う前に、彼女は俺の目を真っ直ぐ見詰めて、口を開いた。


「夏未ちゃんがね、羨ましかったのよ。その……結婚式、がさ…」
「……なまえ、それって…」


静かな声で話してくれたなまえは、至極恥ずかしそうに俺の首筋に顔を埋めた。


「……私も、一郎太と、あんな風になりたいな…って」


小さく、でもはっきりと聞こえたなまえの声は、とても可愛くて。
丁度目の前にある左耳に口付けて、なまえの体と一緒に上体を起こした。


「…それってさ、俺と、結婚したいって思ってくれてる…って事?」
「う…」


そう訊くと、また恥ずかしそうに視線を泳がせる。


「ごっごめんね、変なこと言って…こういうの、うざいよね!べべべ別にそういう重たい意味じゃなくて、た…たた、単なる女の子のただの憧れっていうか…」


慌てて噛み噛みの弁明を始めたなまえ。可愛いなと思いながら、頭を撫でる。
うう、と唸って口の止まったなまえに口付けると、ちょっと待ってて、とベッドから降りた。


「え……一郎太…?」


不安そうななまえの声を背に、クローゼットを開ける。
そんな顔すんなよ、何処にも行かないから、と、引き出しに隠しておいた紙袋を取り出した。


「いち…?」


紙袋から更に、小さな箱を出してなまえの元に戻る。




「なまえ、これを受け取ってくれないか」
「え…」


目を見開いたなまえに差し出した、黒い小さな箱。
中身の察しが付いたのか、なまえは既に涙目になっていた。
俺とその箱とを交互に見やる彼女の目を真っ直ぐに見て、箱の蓋を開いた。




「俺と、結婚してください」
「……っ!!」


本格的に泣き出してしまったなまえを、慌てて引き寄せて背中をさする。
涙声でしゃくり上げる彼女を落ち着かせようと、ぎゅっと抱き締めた。


「…いち、ろ…たぁぁ…っほんとに?ひっく…わたっ、わたしが、いったから…じゃ、ない?」
「当たり前だろ。ちゃんと指輪だって用意してるんだから」
「う…うん…」
「実はな…始めから、今日言おうって決めてたんだ」
「え…?」
「円堂達に影響されて…っていうのも、確かに無くはないけどさ。でも、前から考えてたんだぜ。もう同棲して5年になるし、経済的にも養ってやれる自信もある」


少し落ち着いてきたなまえの背中を撫でながら、ゆっくりと話す。
解りやすいように、俺の気持ちが上手く伝わるように、と、言葉を選びながら。


「こんなに、なまえを愛してるんだ。だから、もっと一緒に居たいし、もっと近くなりたい」
「…いち…」
「俺が、必ず幸せにするから。夏未よりも、幸せな花嫁にしてやるから」




だから、俺と結婚してください。

もう一度告げると、潤んだ瞳からまた涙が溢れる。
目元を拭うなまえの左手を取って、箱の中から出した指輪を、そっと、薬指に嵌めた。


「返事を、聞かせて頂けますか?」
「……ばか…」


俯くなまえの顔を覗き込むと、頬を真っ赤に染めて、笑った。


「ぜったい、幸せに、してくださいね」
「…ああ。勿論だ」


微笑んだ彼女は、とても可愛くて、愛しい。
必ず大切にするから、と、強く抱き締めて、口付けを落とした。






酔いどれ彼女

(きっと、世界一幸せにしてみせるから)