Dear.







「すみません夜久さん!用事があるので先に帰ります!!」


部活後、部室に向かう俺に掛けられた声。
それはよく聞こえるように大きく叫ばれ、けれど同時に、早々に帰路に着こうと走る彼女と共に遠避かっていった。




「……おかしい」


最近のなまえは、おかしい。
明らかにおかしい。

バレー部マネージャーであり、一つ下の後輩であり、そして俺の彼女でもあるなまえ。
いつも夜久さん夜久さんと俺にべったりで、部活の後も必ず一緒に帰っていたのに、最近はそれがない事が多い。
というか、ここのところ毎日だ。


「俺、なんかしたかなあ…」
「あ?」


溜め息と共に溢れ出た独り言を、隣にいた黒尾が目敏く拾い上げる。
一足先に着替え終わった黒尾はどかりと椅子に座ると、にやにやと俺を見上げた。


「何、お前ら喧嘩でもしたの?」
「喧嘩はしてねーよ」
「でも、なまえのやつ最近ひとりで先に帰っちまうよなー」
「……」
「部活中は普通だけどよ、帰りになると変っつーか」
「……、いや」


黒尾の言葉にほんの違和感を感じて、すぐその正体に気付く。
そうだ、普通なんかじゃない。
あれはいつからだったろうか。
明らかに、なまえは。


「夜久さん、避けられてますよねー」
「!!」


不意に後ろから落とされた声に、核心を突かれる。
内心どきりとしたのを隠して振り向けば、暢気に着替えているリエーフが俺を見下ろしていた。
つーかお前なんでまだ上裸なんだよ、さっさと服着ろよ。


「最近なまえさん、研磨さんとよく一緒にいますよね?トス上げてもらおうと思って研磨さんとこ行くと、なまえさんに追い返されるし」
「……」


リエーフの言葉に、全員の視線が一点で交わる。
一斉に視線を向けられた研磨は、少し周りを見渡してから居心地悪そうに携帯へ目を落とした。


「研磨、お前何か知ってんな?」
「…別に」
「けど言われてみりゃ、ここんとこ研磨とばっか一緒に居るよな、あいつ」
「気のせい」
「いや、気のせいではねーよ」
「研磨さん、なまえさんとなんかあったんスか?」
「……クロ。俺、先に帰る」


周囲の詰問に耐え切れなかったのか、研磨は手にしていた携帯をポケットに突っ込むと、逃げるように部室を出ていった。


「…そういえば、研磨も最近、俺より先に帰る事多いな」
「……」
「……」


研磨が閉じたドアを見詰めたまま、黒尾がそっと呟く。
まさか、と思ってしまった俺は、つい口を噤んでしまった。




「あ、そういえば俺、見ましたよ。この間、なまえさんと研磨さんが一緒に帰ってるところ」
「そういや俺も、朝たまに二人でなんかコソコソしてんの見ました!」
「は?」
「え」


沈黙を見計らったかのように割り込んできた芝山と犬岡が、更なる爆弾を落とした。
思わぬ刺客に俺達は揃って言葉を失うも、当の本人達は暢気な声色で続ける。


「あと、なんか最近あの二人、同じ匂いしますよね?」
「あー、分かる!なんか、甘い匂い。なんだろーな、あれ。香水とか?」
「な…!」


同じ匂い?同じ香水…!?
ちょっと待て、どういう事だ。
なんであいつらがそんな…いや、柔軟剤とか、シャンプーとか、そういう事か?
ん?そういえば、なまえの匂いって、なんか…何かあった気がするんだが、思い出せない。
やっぱり研磨と同じ匂いだったから、引っ掛かってるのか…?
つーかそもそも同じ匂いってなんだよ、男子の研磨と女子のなまえから同じ匂いなんかする訳ねーだろ。
パニックになる俺を知ってか知らずか、一年コンビは散々俺の心を襲撃したのち、平然と昨日見たテレビの話に戻っていった。


「……いやいやいや、まさかそんな」
「えっ、なんスか、修羅場ッスか!?」
「お前ちょっと黙れリエーフ」
「でも、有り得るんじゃね?」
「黒尾まで変なこと言うなよ…」
「いや、だってよ…あのなまえが夜久を避けるなんて相当の事だぞ?そんで、まるで代わりみたいに研磨の傍に居るなんて……」


なあ、と先の言葉を濁す黒尾。
はっきりと言われなくても、それが何を示しているかは理解出来た。


「えっ!?なまえさん、マジで浮気ッスか!?」
「ちょっ、リエーフ、はっきり言ってやるなよ!」
「……」


こいつは思考と口が直結してるのが最大の欠点だな。
レシーブ練で叩き直してやらねーと。
若干の現実逃避に陥りながら、なんとか冷静な自我を保つ。
なんとしても、その仮説から思考を剥がしたかった。


「で、でも、相手は研磨だぞ?」
「だからこそだろ。あいつら元々仲良いし、趣味も合うし。何より研磨があんな楽しそうに話すの、なまえが初めてだぜ」
「研磨さん、夜久さんよりタッパありますしね!」
「マジで黙れよリエーフ」


黒尾とリエーフに捲し立てられ、俺は更にパニックに陥る。
どうにか落ち着こうとしてリエーフの腕を捻り上げるくらいには、俺もおかしくなってしまったようだ。
それを見かねたのか、黒尾が頼れそうな外野に助けを求めた。


「なあ、海はどう思う?」
「ん?」
「なまえと研磨。と夜久」
「なんで俺がついでみてーになってんだよ…」
「うーん…俺はそんなに気にしなくていいと思うけど」
「えー!でもなまえさん完全に夜久さん避けてますよ!」
「なまえちゃんのことだから、何か理由があるんだろ」
「理由ってなんだよ…」


俺を避けて研磨と一緒に居る理由って、なんだよ?
俺には言えないことなのか?
もしかして、本当に研磨と……?


「なまえちゃんも研磨もそんな子じゃないのは、お前らが一番分かってるだろ?」
「そりゃ、まーな」
「確かにそうだけど…」
「なら、信じてやればいいじゃないか」


海は最後にそれだけ言うと、パンパンと手を叩いて帰宅準備を急かす。
そして部室から全員を追い出し鍵を閉めると、俺の相談を強制終了させてさっさと帰ってしまった。


「……信じてやればいい、ってか…」


そんな事は、分かってるつもりなんだけどな。
結局、疑惑は消えるどころか肥大化して解決しないままに、俺はとぼとぼと帰路に着いた。








信じてやれ……とは言うものの、その後数日が経ってもなまえの様子はおかしいままで、研磨との距離も近いままで。
俺との距離は、更に広がる一方だった。


「はー、もうマジでなんなんだよ…」
「やっぱアレか、浮気か」
「だからそういう事言うのやめろって」


休憩中、黒尾と並んで遠巻きに眺める先には、相変わらずなまえと研磨がいた。
たまにリエーフやら山本やらがちょっかいかけに行くものの、すぐ研磨に追い返されているようだ。


「そんな気になるなら、もういっそ直接聞いてみれば?」
「直接って…なんて聞けばいいんだよ…」
「お前研磨と浮気してんのか?とか」
「直球すぎて言える訳ねーだろ」


なんでいきなり疑惑の核心から突くんだよ。
そんなど真ん中な質問して、はいそうですとか言われたらもう俺立ち直れない。


「夜久ってアレだよな、意外と奥手っつーか、意気地ねえっつーか?」
「いや、彼女に浮気してんのかなんて聞けねーだろ普通」
「じゃあどうすんだよ。ずっとこのままで居る気か?」
「そんなつもりはねーけど…」


確かに、俺は意気地無しかもしれない。
けど、いつも傍にいたなまえが俺と距離を置くなんて初めてで、正直かなり戸惑っているのだ。
どんな時も、嬉しそうな顔して犬みたいに俺にくっついていたなまえ。
思えば、俺はそんななまえに甘えていたのかもしれない。
なまえは俺から離れたりしないと、根拠もなくそう思い込んでいたのかもしれない。
手元を離れそうになってからやっと気付いた俺は、意を決して立ち上がった。




「……なまえ、ちょっといいか」


体育館の隅に座り込んで話すなまえと研磨のところへと足を運ぶ。
そしてなまえに声を掛ければ、二人が同時に此方を見上げた。
その顔は、二人とも普段とあまり変わらない。
なまえは人懐っこい微笑みを湛えているし、研磨は気力なさそうな無表情のままだ。
その様子に眉をしかめそうになるのを堪え、話がしたいとなまえを外に連れ出した。




「どうしたんですか、夜久さん?」


俺よりも背の低いなまえが、下から覗き込むように俺を見上げる。
彼女と向き合って視線を交えると、普段と変わらない犬っころみたいな笑顔が上目遣いに首を傾げていた。
前よりも僅かに遠い気がするのは、気のせいだと思いたい。


「……お前、最近俺の事避けてるよな?」
「えっ!?」
「帰りも先に帰っちまうし、俺より研磨と一緒に居る方が多くなっただろ」
「や、えっと…それは……」


俺の質問にあからさまに狼狽えるなまえを見て、悟ってしまった。
少なくとも、なまえは俺に何か隠している事がある。
何か、なんて聞きたくはない。が、聞かないことには始まらない。
寧ろ始める前に終わってしまいそうだった。


「なあ、なまえ…俺、お前に何かした
か…?それとも、」
「あのっ!」


俺の震える声が、なまえの叫ぶような大声に掻き消される。
驚いて口を閉じると、なまえは暫し俯いてから、顔を上げると同時に早口に喋り出した。


「あ、明日の部活が終わったら、部室で待っててください!その時に全部話しますから!!」
「は?おい、待てよなまえ!」


一息に言うや否や、なまえは俺の言葉も聞かず、駆け足で体育館の中へと戻っていく。
――ああ、本当に、終わったかもしれない。
残された俺は、様子を見に来た黒尾に声をかけられるまで、ただその場に立ち尽くしていた。








「じゃ、夜久、鍵頼むわ」
「おう。お疲れ」
「お疲れさん、がんばれよー」


翌日、部活が終わると、他の部員達は気を利かせてくれたのか、早々に帰宅していった。
最後に黒尾が部室を出れば、室内には俺一人になった。
携帯でなまえに連絡を入れる。
今日、全部話すって言ってたけど、何を言われるんだろうか。
なまえの態度の事?研磨との事?やっぱり、別れ話をされるのか?
悪い方向にしか向かない思考を紛らすように携帯のアプリを弄るも、集中できずに普段しないようなミスで何度もゲームオーバーを繰り返す。
それに苛つく余裕も無いまま続けている内に、控えめに部室のドアがノックされた。


「えっと…お、お待たせしました」


慌ててドアを開ければ、珍しくおどおどとしたなまえが入ってきた。
後ろ手にドアを閉めて、そのまま落ち着きなくきょろきょろと視線を泳がせている。
そして何かを話そうと口を開いて、閉じる。それを何度か繰り返していた。

……こんななまえは、初めて見たな。
普段は明るくて笑顔を絶やさない彼女が、俺に対してこんなにも表情を強張らせて緊張した様子を見せるなんて、思ってもみなかった。
それほどまで、俺は嫌われたのか?
それほどまでに、なまえは、俺よりも研磨の方が……






「夜久さん!お誕生日おめでとうございます!!」
「……え?」


俯いていた俺の耳に、なまえの明るい声が刺さる。
……え?誕生日…?
一瞬の間を置いて顔を上げれば、そこには先程までの様子とは打って変わって、いつものような笑顔を浮かべたなまえがいた。
訳が分からなくてぽかんと眺めていると、なまえは俺の手を掴んで、自分の持っていたものを俺に持たせた。


「これは…?」
「開けてみてください!」


視線を下げれば、俺の手には20cm程の紙箱。
言われるままに部室内の机に置いてそれを開けてみると、ふわりと甘い香りが鼻を擽った。


「……これ、ケーキ?」
「はい!ケーキです!」


箱の中には、小さめのホールケーキが入っていた。
全体を生クリームで白く塗られ、円を書いて苺が飾られている。
苺の輪の中には少し歪なチョコプレートが乗っていて、"夜久さん HAPPY BIRTHDAY"の丸文字が並んでいた。
視線をケーキから戻せば、手作りなんです、と照れ臭そうに笑うなまえ。
そういえば、今日は8月8日だったか。
誕生日なんて、自分でもすっかり忘れてた。


「付き合ってから初めての夜久さんの誕生日だから、なにかプレゼントしたかったんです。でも、何にすれば喜んでくれるか分からなくて……」
「それで、ケーキ作ったの?」
「はい!」
「…もしかして、最近帰んの早かったのって…」
「ケーキ作る特訓してました!」
「……マジかよ…」


あー、やばい。
俺、とんでもない勘違いをしてたんじゃないのか。


「じゃあ、研磨は?最近よく一緒に居るし、一緒に帰ったり朝からコソコソしてたってのは?」
「あ、研磨くんには、ケーキの味見をお願いしてたんです」
「…味見?」
「夜久さんに不味いケーキなんか渡せないじゃないですか!研磨くん甘いの好きだから、朝と部活終わった後に試作の味見してもらってたんです」
「…じゃあ、なんで部活中まで俺の事避けてたんだ?」
「あ、それは…夜久さんが、"甘い匂いがするな"って、言うから……」
「甘い匂い…?」


そうだ。引っ掛かっていたのはこれだ。
そういえばいつだったか、そんな事を言った。
あの時は、単純にシャンプーとか石鹸の香りだと思ったんだが……あの匂いは砂糖の甘さだったのか。
で、研磨にケーキやってたから、二人が同じ匂い、か。


「お菓子の匂いでバレたくなくて距離を取るようにしてたら、いつの間にか避けてるみたいになっちゃって…ごめんなさい」
「…なんだ、そういう事かよ…」


大きく息を吐いて、思わず踞って頭を抱える。
そうか、やっぱ俺の勘違いだったのか。
そうだよな、なまえも研磨も、そんな事するような奴じゃないもんな。
うわ、考えれば考えるほど、俺らサイテーだったわマジで。


「あの、黙っててごめんなさい、夜久さん…」
「いや、俺の方こそごめん…俺、一瞬でも、なまえの事…」


俺の前に同じようにしゃがみ込んだなまえに、疑ってた、と述べると、なまえは小さく首を傾げた。


「……なまえが、研磨と浮気してんじゃねーかって、疑ってた…」
「え?」
「勝手に疑って、勝手に妬いて、勝手に不安になって…マジでバカみてー」


顔を見るのが気まずくて腕で顔を隠す。
あー、情けねーな、俺。
また自己嫌悪のループに落ちかけた時、突然何かにぶつかられた衝撃が走る。
咄嗟に対応できずにバランスを崩し尻餅をついてから、なまえが抱き付いてきたんだと分かった。


「なまえ?」
「夜久さん…本当に、ヤキモチ妬いてくれたんですか?」
「え?あ、いや、その」
「違うんですか?」
「う……まあ、そう、だよ…」


恥ずかしくて、なまえの顔を押しやって自分の肩に埋める。
すると、肩からくすくす笑う声が上がった。


「何笑ってんだよ…」
「ふふ、ごめんなさい。夜久さんも、私の事ちゃんと好きでいてくれたんだなーって思ったら、嬉しくて」
「何だよそれ…」


顔を上げたなまえの頬を撫でると、またくすくすと嬉しそうに笑う。
その笑顔にすっかり不安も卑屈も取り除かれてしまった俺は、腰に抱き着いたなまえに倣って、なまえの細い腰に腕を回した。


「だって、私ばっかり好きみたいで、寂しかったんですもん…夜久さん優しいけど、好きとか言わない人だし、あんまりキスとかしてくれないし、なんか子供扱いされてるみたいで」
「子供扱いしてる訳ではないけど…」
「分かってますよ。でも、妹みたいに接するから、本当に私のこと、女の子として好きなのかなって不安になっちゃうんです」


だから、ヤキモチ妬いてくれて嬉しいです。
そう言ったなまえは、いつも俺にだけ見せる一番可愛い笑顔で笑った。




「ごめんな、なまえ。ありがとう」
「えへへ…私こそ、不安にさせてごめんなさい。夜久さんのこと、ずっと大好きですよ」
「……俺も、なまえが好きだよ。愛してる」
「!」


驚いて、一瞬で顔を真っ赤に染めるなまえの唇にキスを落とす。
更に赤みを増したなまえは、恥ずかしそうに目を泳がせて、今度は自分から俺の肩口に顔を埋めた。


「…わ、私も、愛してます」
「知ってる」
「……誕生日、おめでとうございます」
「ありがとう」
「来年も、一緒にお祝いさせてください」
「……ん」


背中に回されたなまえの腕に力がこもる。
それに応えるように、俺もなまえの体を強く抱き締めた。

来年も、再来年も。
俺の誕生日も、お前の誕生日も。
ずっとお前と一緒に過ごせたらいいと思うよ。










Dear.


Happy birthday!!20150808