/ / /

「わっ、アイちゃん!待て待て待て」
「水谷、遊んでねーで準備しろよー」
「いや、遊んでねーって!アイちゃんが離してくれないの!わたたたた!!」


ここ最近、モモカンの飼い犬アイちゃんが良く朝練についてくる。もう長い付き合いだし顔も覚えられている。人見知りもせずに誰にでも懐くアイちゃんだけど、何故か俺には一際懐いている気がする。それ自体は嬉しいことなんだけどちょっと最近困ったことが。


「はは、水谷まーたアイちゃんのキス魔に捕まってるね」
「栄口、笑ってないで助けてっ」


そう、アイちゃんに突然それも思い切り飛びかかられるとバランスを崩しやすい。そしてそのまま上に乗っかられて顔をべろべろ舐められるのだ。初めの何回かはモモカンや他の部員たちが助けてくれたものの最近はみんな笑うだけで手のひとつも貸してはくれない。

可愛いし懐いてくれるのは嬉しいんだけど、俺はここに野球しにきてるんだアイちゃん…!

何とか罪悪感に蓋をしながらアイちゃんを監督の元へ連れていく。『水谷くん、ごめんね』なんて言いながらモモカンはちっとも俺の方を見ちゃいない。皆して俺の扱い酷くない?とほろり涙がこぼれそうなのを我慢してグラウンドへ戻る。
大丈夫、あと1時間後には俺の大好きなあの子が登校してるはず。


***


「おはよー!水谷くん!」
「!おはよー!名前!」


朝練を終えて教室に入れば真っ先に挨拶をくれるあの子。優しくて明るくて笑顔が可愛い俺の自慢の彼女。存在自体が癒しでキツくて辛い練習だって彼女がいれば全てヘッチャラに思えてしまうのだ。今だって朝練を終えて疲れていたのに彼女の声で一瞬で吹き飛んでいった。

カバンを自分の机に置いて名前の机の元へと駆け寄る。誰か分からないけど名前の前の席を借りて座って向かい合うと名前の視線が俺の首元あたりを凝視していた。


「ん?どうしたの名前」
「水谷くん…それ…」


俺の首元を指差す名前。何かついているのかと思って首元を払うも特に虫等がいた感じも無し。じゃあなんだ?と首を傾げていると丁度阿部が俺たちの横を通りがかった。

その際とんでもない一言が飛び出した。


「水谷、キスマークついてんぞ」
「は?!へ?!」


思い当たることなんて何も無いけど思わず首元を両手で隠してしまった。その行動が名前に良からぬ疑惑を与える。

キスマーク…ッ?!一体なんの事だ…?!
身体の関係なんて名前ですらまだなのに…!
もしかして阿部が嘘をついてる?いや、名前も同じとこ指さしてたしキスマークじゃないにせよ何かはあるんだ。くそー!自分で確認出来ないのがもどかしい!



「あのね、名前!多分キスマークじゃなくて、虫刺され虫刺され!」
「……なんでそんなに慌ててるの?」
「えっ」
「水谷くん、本当に……」


さっきまであんなに笑ってたのに名前の顔がみるみる曇っていく。あぁ…そんな悲しい顔させたくないのに…
どうしたものかと悶々としていると、花井からトドメのひと声が掛かった。


「水谷、お前それアイちゃんじゃねーの?」
「!?」


ばっ!と俺と名前が花井の方へ顔を同時に向けた。二人に睨まれた花井は目を大きく見開いたあと名前の顔を見て『しまった!』と冷や汗を垂らす。

野球部員はアイちゃんって言われたら100%モモカンの飼い犬を思い浮かべるけど、名前は今絶対犬を思い浮かべていない…

恐る恐る名前の方へ視線を向けると、目に涙をいっぱい溜めていて今にもこぼれそうだった。

これはマズイ。早く弁明しなくては…そう思ったのも束の間。名前は何も言わずに教室から出ていってしまった。


「わ、わりぃ水谷。俺変なこと言っちまった…」
「いーよ!てか、変なこと言い出したの阿部だからね?!」


顔がサッと青くなっている花井を宥めながら俺は一目散に名前を追い掛けた。花井と違って阿部は『何も間違ったこと言ってねーぞ』
なんて言ってるけど。後で覚えておけよ

教室を飛び出して走り去っていく名前の後を追い掛けた。登校時間帯なだけあって廊下に人が多い。ぶつからないように、名前を見失わないように追い掛ける。


「名前!待って、訳を聞いて!」
「やだやだ!言い訳なんて聞きたくない!浮気者!」
「違うんだってば!」




段々と人が少なくなってきた。人がいなければあとはこちらのもの。いくら凡人ったって俺だって野球部だからな、足にはそれなりに自信がある。泉ほど速くは無いけど。


「ッ…捕まえた、っ!」
「嫌だよ…離して浮気者の水谷くん…」
「待って、話を聞いて欲しいんだ…っ、」


名前の手を掴んでそのまま両手を壁に縫いつけるように繋いだ。
ポロポロと涙を流す名前の顔を見て、誤解だとはいえ心が傷む。どうしてこんな流さなくていい涙を流させてしまったのか…


「あのね、アイちゃんっていうのは…」


朝のHRも始まってしまう。手短に済ませようと単刀直入に伝えようとしたその時───


「ワンワンワンッ!」
「へ…なに…?」
「どわっ!!」


背中に思い切り何かがぶつかってきた。…いや、何かなんて言われなくても分かってる…この衝撃は…


「あ…アイちゃん!痛いってば!!」
「…アイちゃん…?」
「そうだよ名前。アイちゃんって…この子の事だったんだよ」


まさかの突然のアイちゃん本人(本犬?)の登場により、名前にやっと訳を話すことができた。…説明しなくても分かってもらえるくらいのスキンシップを受けながら。


「わ!!アイちゃん、居た!!」
「うが…かん…とく…」
「水谷くん、本当にごめんなさい!アイちゃんってばちょっと目を離した隙に校舎の中に入ってしまって…」


アイちゃんは後からやってきたモモカンに連れられて校舎を後にした。少し乱れた制服を直していると隣に居た名前の頭が深く深く俯いていた。


「ごめんなさい、水谷くん。私の早とちりで…」
「いやいや、俺も言葉足らずなところあったし不安にさせちゃってごめん…」
「訳も聞かずに飛び出しちゃった私が悪いよ…」
「誤解だったとはいえ名前を泣かせちゃって俺も悪かったよ…名前だけが悪いなんてことないから、顔上げて?」


そう言うと、名前はゆっくり顔を上げた。再び目には涙が溜まっていて瞬きしたタイミングで零れ落ちてしまった。その涙に吸い寄せられるように、そっと瞼にキスをする。

突然の事に驚いて固まっている名前がとっても可愛くて思わず笑い声がこぼれてしまった。


「あははっ、名前顔真っ赤だよ」
「だだ、だって水谷くんが、突然…っ」
「突然じゃなかったらもっとしていいの?」
「っ……」


冗談半分期待半分で軽口を叩いたつもりだったけど、名前が思わず黙ってしまって変な緊張が俺にも伝わってしまう。
…あれ、本当にしちゃっていいのかな?
頬に手を添えるとビクッとしている名前が可愛い。あー、授業サボって名前とずっと一緒にいたいなー。そんなことを思いながら顔を近づけると、ポソッと名前が小さな口を動かして呟く。


「わがままだけど…わたしだけにキスして。他の子にも他のワンちゃんにも、しないでね」


鼻と鼻がくっつきそうな至近距離で恥ずかしそうにこちらを見つめながらそんな可愛い事をこんなタイミングで言ってくるなんて。

果たして、俺の理性は保ってくれるのか?



わたしだけにキスして



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -