試験は無事に終え、門限に間に合うように、急いで帰った。
でも、試験前に出会った男の子のことが気がかりでたまらない。もう少し、なにか言い方はあったかもしれない。
あんなもったいぶって、気を引く言い方をするような子だっただろうか、私は。
最初の私はどうだったか、思い出せない。

「…せっかく、名前を聞いてくれたのに」

普通に名乗れば良かった。はじめましてなのに、不躾だって思われたかもしれない。妙に積極的で変な子だって思われたかもしれない。
本当の私はそんなに積極的じゃ…無かった、はず。
でも名乗って仲良くなっても、合格できなかったら会えなくなる。余計、また夢が叶わなかったことが寂しくなって、きっとつらくて立ち直れなくなる。

「……ごめんね、火鱗くん」

ほんとうに次があったら、今度はちゃんとお友達になりたいな。

***

出勤したくなくなるような気分が下がる寒い日々も少なくなってきた頃、リンが嬉しそうに笑うことが多くなった。何故かと聞いたら、春が待ち遠しいからと言われた。それは、きっと引越しできるのが楽しみなのだろう。ああも可愛いと、つい乱暴をしたくなる。と同時に、カゴに入れてしまってしまいたいほど心底大事にもしたくなる。この相反した感情は、リンにしか覚えない。
だがこれこそが俺の愛し方なんだと、リンは伴う痛みも暴力も全て受け入れてくれている。だから、俺を愛し返して、添い遂げると決めてくれたのだろう。だから、今日も定時に上がりたい。心からそう望んでいる。少しでも早く帰ってリンと時間を過ごしたい。今日はいじめて泣かせるより、抱きしめた時のはにかんだ笑顔を見たい。

「(だから余計な仕事は絶対になしだ)」

なにがなんでも面倒そうな事案は受けないし、終業間際に新しい仕事はしない。嫌な上司からの長くなりそうな呼び出しも絶対に許さない。
悪態を心で吐き出しながら、今日もリンが朝から俺のために詰めていた弁当を食べ切ると、電話が鳴った。番号は名前の表示がないが、社内からの番号だった。どこの部署だと思いつつ、通話ボタンを押して耳に当てた。

「はい、黒野」
『やあ』
「社長…!?」
『黒野くん…君、廃棄の被検体の子を引き取って監視していたよね』
「…はい、そうですが」
『彼女を消防官にならせるなんて、どういうつもりなのかな?』
「はい…………………………………… は?」

全く聞き覚えがない話に、思わず間の抜けた声が出た。
消防官?リンが?何の話だ?

『来年度の灰島の推薦施設枠からの訓練校への入学者に彼女の名前があったよ。許可を出したのかい?』
「待ってください。訓練校に入るといった話は聞いていません。なにかの間違いでは……」
『正式な書類で届いてるよ。彼女の身柄は消防庁の管轄になるね……まあ、研究所でのことについて騒がなければ構わないけども』
「………………」

どういうことだ?
電話が切れても、頭が着いてこない。
リンが消防官の訓練校に?よりによってそんな強くなりに行くような穢らわしい場所に?
いや、違う。それどころではない。
リンは、俺と一生一緒にいると誓ったのに。
俺を大好きだと、愛していると、離れたくないと言っていたのに。

ぱきり、と手の中で携帯が半分になった。
そうだ。リン本人を問いたださないとならない。
早退しよう。何かの間違いだと言ってくれるだろう?

next?
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