今すぐにでも私に食いついてきそうな顔をした黒野さんに気付かないふりをして、「先にお風呂とご飯にしましょう?明日はお休みなんですから」と、あたためたお風呂場の方になんとか言いくるめて押し込んだのが、だいたい5時間前。(因みに、これはカラスの行水みたいに早かった。今まで知る中で1番早かったと思う。)ゆっくりテーブルセットをしている最中に後ろに立たれていた時は、心臓が止まるかと思った。
それから、ちょいちょい触ってこようとする黒野さんを「食べたあとじゃないと私、長くお付き合いできませんよ?ご存知でしょう?」となだめながら髪を乾かしてあげた。
その後にテーブルについて、いつもより多めの品数を並べて、いつも通り対面で二人きりの食事をした。お箸は動かしながらも、黒野さんはチリチリと焼けつくような熱視線で私ばかり見てくるから、愛する人に向けるような幸せそうな笑顔の維持が大変だった。あとは、プレゼントを渡すのが先か。後か。「いい加減、お前が食べたい」さすがに後にしないとダメですね。と、察したあたりが約3時間前のこと。
そして今はーー。

「は、ふ…」
「…最近、もつようになったな」
「ん…おそと、歩いてるからですかね…」

こんな運動のための体力作りをしているわけではないけれど、という真意をひた隠しにし、「こうしてお付き合いできる体力が、できたのかも」とベッド端に座って水を飲みながら休憩をしている黒野さんにシーツの上を四つん這いで近づいて、さっきまで好きにされていた汗ばんだ体を擦り寄せる。今更、目的のために捨てる覚悟がいるような恥も外聞も、私には最初からどうせないのだから。この役を全力でやり切るだけ。

「たしかに人並みに体力はあってもらわないと、楽しめないからな」
「んふふ…でも、私もお水…ほしいです」

欲しがれば、黒野さんは水を一口含んで、そのまま私の顎を掴んで唇を重ねてきた。それを目を閉じて、すっかりリップが落ちた唇を薄く開けて受け入れて飲み干す。…私、汚れてるなあ。

「ん…む……けほっ」
「上手に飲めたな。えらいぞ」
「ありがとうございます…優一郎さん」

そのまま黒野さんの首に腕を回し、上目遣いで少し不安そうな顔を作って見上げてみせる。
仕掛けるなら、今しかない。

「どうした…何かいいたげだが」
「あの、優一郎さん…私の貴方への気持ちは、やっぱりまだ信じてもらえませんか?」
「…」
「…変なこと言ってごめんなさい。サプライズがどうしてもしたかった、ってわけじゃないんです。でも、これは相手を本当に信じて愛している恋人同士でしかできないことだから…やってみたかったんです」

結婚を前提にするなら、尚更。
何十年も一緒なのだから、余計。
興奮させすぎたせいで夢中で貪られ、外し忘れてあるチョーカーを撫でた。

「…リン、俺は」
「なんて、高望みですよね…あ、プレゼント!続きをする前に渡しておきますね」

まだ、まだだ。まだ何も言わせない。
もっと引いて、引いて、愛を存分に振りまいて惹きつけるの。
何か言いかけた黒野さんから気付かぬふりをして離れて、反対側のベッド下に手を伸ばした。
箱を掴んだ瞬間、思い切り後ろ髪を引っ張られ、引き戻された。ぶちぶち、と何本か抜ける音と痛みに、短い悲鳴を上げた。
涙を滲ませながら箱を抱きしめ、仰向けにシーツに転がった。思わず閉じた瞳をうっすら開けると、上から覗きこむ黒野さんの顔。
真っ直ぐに見下ろしてくる夜の月のように静かな瞳に、息を呑んだ。

「ゆう、いちろう…さ、」
「…リン、」

手が首に伸びてくる。
締めるような気配も、殺したいという怒りも、感じない。ただ、強い緊張感に息を呑んだ。
かちゃりという音と共に、首に巻かれた重さが、するりと外れていく。
ああ、本当、に?私が、勝ったのですか?

「…信じるのがお前の愛なら、俺は、俺だけがそれを欲しい」
「…はい、優一郎さん」
「だから、絶対に嘘にするな。俺はずっと前からお前だけしかいらないんだ」
「嬉しい…ああ、こんなに嬉しいことはありません!」

これは、本心。
だって、本当に息をするのが軽くて、感極まって涙が止まらないから。
私は、勝ったのだと。この国でも有数の最狂の人を、私は出し抜けたのだと。
そっと、震える手で箱を差し出した。
完全に、その心を射止めるために。

「お誕生日、おめでとうございます…優一郎さん!」

next?
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