いつも着てる白いワンピースにも、アイロンをかけてみる。ポシェットもしっかりと肩にかけたし、うさぎさんも忘れないようにしっかり抱きしめた。…首のチョーカーだけは少し重い気がするけど。

「リン、知らない人間には絶対についていくなよ。怖いことになる」
「はい!」
「鞄は肩から外さないようにな」
「わかりました!」
「それから、車道に飛び出したりしないようにするんだぞ」
「車道…?あ、広い道ですね!気をつけます!」
「………やっぱり家にずっといる気はないのか?出したくない」

ミシミシとドアノブが壊れそうなくらい強く握りしめたままの黒野さんに焦り、ひしっと足に抱きつく。こんな最初で全てを断念するわけにはいかない。

「優一郎さん、大丈夫です!だって、なにかあったらすぐ優一郎さんに電話しますから」
「………」
「それに、お買い物とかくらい一人でできるようにならないと…優一郎さんと結婚したあと、お役に立てないじゃないですか…」
「……はァ…俺にいたぶられるだけでいいのに…」
「…お願いします。初めてお外に出るの、楽しみにしてたんです」

ぎゅ、と縋り付く力を強くすれば、頭の上からぼそぼそと声が降ってきた。

「…出かける前にもう一回、名前を呼んでくれ」
「?……優一郎さん?」
「…いいな…すごく、いいな…」

…黒野さんは、私からの名前呼びがかなり気に入ったらしい。ちょっと引いてしまいそうになるけど、今後も使っていこう。

***

名残惜しそうに出勤していった黒野さんと別れて生まれて初めて、1人で建物だらけの世界を歩く。いつも窓越しにだけ見てきた、世界の中を。
硬い灰色の土。これが道路。たくさんの人が歩いていて、いろんな大きさの車なんかも走ってる。
立ち並ぶ大きな建物。今電車が止まったのは、あれが駅…ってところかな?初めて見た。
色んな音、色んな色、色んな匂い。
どんな音楽より賑やかで、どんな絵の具より鮮やかで…私は、こんな街に生まれていたんだと、生まれて初めてこの体で触れられた。初めて、知ることが出来た。
その全てが、こんなにも胸の奥が震えることだなんて思わなかった。

「…あ、…」

気づいたら私の涙が、抱きしめたままのうさぎさんの頭を濡らしていた。

「っ、う……」

悲しい涙ではないけど、外で泣いていたら変に思われるかもしれない。ぐしぐしと目を拭って、今日の目的地に早く向かうことにする。時間だって限られている今、一日にできる事は少ないのだから、泣いている場合じゃない。
きっと家を出れたら、この新鮮な景色だって毎日、幸せな気持ちで見ることができるようになるんだから。

「初日から、約束を破る訳にはいかないですからね…」

だから、今日はなによりも早く、銀行という場所に向かって確認しなければいけない。自分が養育金として、いくら研究所から貰っているのかを!

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