「どうして……」
「約束しただろ。灰島の社員になってな。お前を養えるようになるまで2年かかったが…ようやく引き取れるようになった」

おいで、と革靴の足音を鳴らして1歩近づいてきた黒野お兄さんに反射的に背後の窓の方に後ずさった。…後ずさってしまった。黒野お兄さんの目がぎゅっと細まった。空気がわずかに熱を持つのを感じて、息を飲む。

「……リン。まさか今、俺に抵抗しようとしたのか?」
「ご、ごめんなさい…おどろいて……私を本当にお兄さんが迎えに来るなんて…」

本当に来るなんて、思ってなかった。むしろ来ないで欲しかった。だって、本当に迎えに来たのなら……。
恐る恐るその表情を伺えば、黒野お兄さんはふっと口の端をあげて、私との距離を完全に詰めて、目の前にしゃがみこんだ。
灰病じゃない方の手が私の顎をつかんで、自然と黒野お兄さんに身体を近づけられる。

「自分の婚約者を、俺が忘れると?」
「(こ、婚約…!?)わ、私まだ、子供なのに……」
「女にはいずれなる。成長は嫌だが、成長してもお前はどうせ弱いからいい…いや、俺が一生弱いままでいさせてやる」

ぱっと顎を離して、黒野お兄さんは私の身体を片腕で抱き上げた。急に浮き上がる感覚に、思わず黒野お兄さんの体にしがみついてしまう。
黒野お兄さんの目が、少しだけ満足そうにうごいた気がする。

「く、黒野お兄さ…」
「お兄さんはもうやめろ。名前を呼べ」
「え、あ、……黒野…さん?」
「…………まあ、外では今はそれでいい」

児相や外聞が煩わしいし…と、よくわからないけれど小さくぼやく声が聞こえ、ますます不安になった。そっと体を離そうとした瞬間、きつく抱きしめられる。きついどころか、息は詰まって、肋骨がみしみし言っている。

「かは、っ!?」
「…俺はお前を愛してやるが、抵抗は嫌いだ」
「く、ろの…さ…!!」
「だから今、俺についてこれないのなら、両手指を折って、ここに片足ずつ置いていくことになるかもしれないが…いいのか?」
「い、いや!痛いのはやだァ…!!」

2年前の、毎日終わらなかった身体の痛みが思い出されて、込み上げる涙も震えも止まらなくなる。この人は、あの頃と何も変わっていない。だからこの人なら、私が思い通りにならないなら、本当にやる。私の足を撫でる包帯の巻かれた手が怖くて、首を横に振って泣きわめいて黒野さんにしがみつく。

「ごめんなさい!言う事聞きますから…聞きますからッ!」
「なら、俺との生涯を誓えるな?」
「っ…は、はい…はい……誓います……誓いますからッ…だから、ひどいことしないで……!」
「いい子だ。これからもその調子で頼む」

私の足を撫でていた手が離れ、黒野さんの胸元に埋めていた顔を上げさせられる。しゃくりあげたまま、大人しく従うと熱を持った三日月に細められた目が見下ろしてくる。

「ひ、ぐ……っう……」
「…リン…その唆る顔、天才か?」

next?
09
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