「ぴ、」
「…………」

うつらうつらと寝返りをうった先で息さえも聞こえないくらい静かに目を閉じている人、黒野お兄さんの寝顔に、もはや反射的に声が出そうになった口を慌てて両手で覆った。
だからか、起きはしなかったようだった。けれど、寝返りで動いた私の身体に反応したのか、勝手におなかまわりに回された腕に、無理やりひきよせられる。数日前のリハビリの最中に、目の前の人につけられた横腹の刺傷の痕に当たって、ちょっとだけ痛い。傷がまた開かないといいなあ…。

「(また勝手に横で寝てる……)」

いつの間に私のベッドに入り込んでるのかは知らないけど、体調が回復してしばらくして。朝起きると黒野お兄さんは、たまに、何故か、私の横で寝てるようになった。
最初の頃は飛び起きて悲鳴をあげてたけど、もう何ヶ月も続いているとさすがに慣れてしまった。うそ、本当は怖い。やっぱり声が出そうになる。

「(もう1年近くも毎日リハビリ…戦闘してるのに、警戒せずぐっすりの私もだめなのかもしれないけど)」

でも、起き抜けで私は悲鳴をあげてるのに、黒野お兄さんの機嫌が自分たちを見て急降下すると「仲がいいようで、何よりだ」「黒野くんが気に入ってくれて良かったよ」なんて言う白衣の大人たちの方が、私は期待ができないと思う。

「(指先がうにうにする…どこ、うさぎさん……うぇ!黒野お兄さんの向こう側に……!!)」

どうか、お兄さんが起きませんように…。
なにも手の中にない不安感に耐えられなくて、黒野さんの頭の向こうにいるらしい、見えているうさぎさんの耳に手を伸ばしたら、お腹にまわされていた手が動き、思い切り掴まれる。黒野さんの目は、いつのまにか開いていた。私がびっくりするより早く、掴んだ私の手のひらを、黒野さんの手の指がすり…となぞってきて、ぞぞ、と背筋が震えて、息が混じったような変な声が出た。

「は、あ…っ」
「…うさぎなんかより、俺の手を握ったらいいだろう」

指を絡ませるように握られ、ちゅ、と頬にキスされる。握れてはいる。たしかに、手を握れてはいるけど、握る先の人が何を考えているかわからなくて、全く安心できない。むしろ怒ったようなことを言っていたから、またなにをされるのか、そればかり考えて、緊張と恐怖のプレッシャーで、目がぐるぐるする。握るのはやっぱり、うさぎさんが良かった。

「え、と…あの…ごめん、なさい…?」
「…俺がお前を迎えに来た時は、あのうさぎは連れていかないからな」
「?…迎え?」
「俺のリハビリも、もうすぐ終わる。俺は、ここを出るし、会えなくなる」
「えっ…リハビリが、終わる……?!」

本当に?嘘じゃない?もう痛いことも怖いこともされなくてすむの?
今までの人生で味わったことがないような嬉しさが、胸の中でわきあがった。他のことなんか、もうどうでもいいくらいに。

「(あ、でも、まだ…)」
「…俺がいなくなるのが、嬉しいか?」
「(喜んじゃダメだ、私)う、嬉しいのはちがいます。黒野お兄さんの身体が良くなったのが嬉しいんですよっ!」

じっ……と本心を探るような目付きに、冷や汗が吹き出しそうなのを耐えて、握られた手を握り返して、最近していなかった、一番の笑顔を返す。この笑顔は本心だ。だってようやく、離れることができるんですから!

「寂しくなりますけど、おめでとうござ――」
「リン、」
「あ、はい!」
「俺と結婚しよう」
「は、……………………けっこん?????」
「大人になったらだが、まず俺がお前を養えるようになったら、お前を引き取りにくる」

いえ、来なくていいです。
頭の中にこの言葉のみが浮かぶが、意味のわからなさに身体がフリーズしたせいか、口に出ていかない。けっこん…………結婚………………?本当に何言ってるんだろうこの人。いや、本当に。

「俺はお前を、嬲っていたぶって、全て喰らい尽くしてやりたい。誰にもくれてはやらない。これは、愛しているからだ」

なんで私が、黒野お兄さんと大人になったら結婚しなきゃなの?私はまだ10にもならない子供なのに。私は、離れたくてたまらないのに。お兄さんは、私を傷つけて、いじめ倒したのに。それなのに、どうしてキスなんてするの。そういうのは、いつかできる、大事な人と私は――。

「リン。吹けば散るようなお前の一生を、俺によこせ」

next?
07
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