黒野お兄さんは、やっぱりあの時、能力を使いすぎて灰病で倒れたらしい。今は私のいる治療室の向かいの部屋で治療を受けていると、白衣の大人の一人が教えてくれた。

「(そんなに酷いのに、あんな風にいじめるのに能力を使うなんて…おかしな人です)」

なんでそんなことするんだろう。でも、きっとこれが自業自得ってことだ。
私だって、出会ってまだ数ヶ月なのに酷い目にばかり合わされた。

「……気にやむことなんかないです、私」

ぎゅう、とぬいぐるみを握って、目の前で黒野お兄さんが私に手を伸ばしながら、つらそうに倒れた姿を忘れたくて首を振る。
あんな時だって、あの人は久しぶりに見つけた私をいじめようとしただけなのだから。きっと、それ以上でも、それ以下でもないのだから。だから、私があの手を掴めなかったことを悔やんであげる必要なんかない。わかってるんです。私はちゃんと、わかってる。

「……(でも…あのままもし死んじゃったら、すこしだけ…ほんのちょっぴり、可哀想かもしれない)」

いっそ、お兄さんが倒れる姿なんて見なかったら、こんな口の中がにがにがした気持ちにならなかったかもしれないのに。
「リン」なんて、まるでずっと探していたみたいに、私の名前を呼んでくれなかったら、きっとこんなに気にしなくてよかったのに。

「…でも、私にできることなんて…」

きっとなにもない。
そう、一人口にしきる前に、わたしの部屋の扉が開いた。開けた人は白衣の大人で、その手には包帯が握られていた。

「リンちゃん、身体の調子は良さそうだね」
「は、はい…」
「ちょうどよかった。向かいの部屋のお兄さんを助けてあげてくれないか?」
「えっ…!」
「大丈夫。今は彼には麻酔で眠ってもらってるから、君は彼の包帯をこの新しい包帯に変えてくれたらいい」
「で、でも私…もう、黒野お兄さんがこわくて…」

近づきたくない本心が口から溢れた途端、両肩をいきなり掴まれた。

「だめじゃないか、今更わがままを言ったら。君は彼のリハビリ…手伝いをするのが仕事だろう?包帯くらい変えてあげないと!」
「あ、ぅ、けど、」
「そんな風に仕事を放り出すようじゃ、立派な大人になれないよ」
「……、はい…ごめんなさい」

ここにいる価値がない私の気持ちなんて、ここの大人にはなんの意味もなかったのを少し忘れていた。

***

やわらかい。
左腕に触る感触に、反射的にがっと瞼を開けて飛び起きた。
隣から「ひゃっ!?」と短い悲鳴が聞こえる。この耳触りのいい悲鳴は、よく知っている。

「リン…?」
「す、すみません!お、起こしてしまいましたか…?!」

怯えた目をして伺ってくる姿は間違いなく、ここしばらく、いたぶりたくてもいたぶれなかったリンだった。久しぶりにもかかわらず、相変わらず自分より遥かに強い俺に対して、ぶるぶると震える弱くて小さな姿が、本当に愛しい。

「…久しぶりに会ってみればそんなに唆る顔をして、何をしていたんだ?」
「あ、その、黒野お兄さんの包帯を…」
「包帯?」
「こ、交換してて…それで…っ」

問い詰めるたび、不安と緊張に歪んだ瞳に涙を溜めていく表情から目を逸らすのは惜しいが、手元に視線をやれば、確かに包帯が新しいものになっている。

「…お前がやったのか?」
「い、いやだったらごめんなさい!わ、たし…あの、部屋にもう、帰ります…から、」

もうひどいことをしないで、とリンは言い逃げるように部屋から走り去った。
その横顔は心底俺に恐怖していて、ふっくらした唇は俺のためだけに青ざめている。
あの体は、俺のつけた傷で埋められていて――。

「あァ……リン。やっぱりお前が欲しいなァ」


next?
06
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