夢は甘く、美しく
もう辞めてしまおうか。
そう考えたことがないわけじゃあなかった。
広くて清潔な厨房は、料理人の聖域。
三ツ星の輝く名高いリストランテで働くのは、幾千の料理人の夢。
私だって、ずっと同じ夢を見ていた。
だから必死で頼み込んで、雑用としてでも雇って貰えた時、とても嬉しかった。
路地裏の入り口から眺めていた鮮やかな食材の溢れた、華やかな夢の中に私も飛び込めたことに。
今は雑用でも、いつかきっと、夢を叶えられる。胸が踊ったの。
…だけど夢が現実に近づいた時、人は見ていた夢の甘さと、本当の現実の苦味を試されるのね。
ただ、自分の作る料理で人を幸せにしたい。
そうして自分も幸せになりたい。
だけど、そんな想いは綺麗事だというくらい現実は汚くて、苦しくて、涙を流すたびに滲んでいく度に、夢を手放してしまいたくなっていた。
でも私は、家族の問題さえ置き去りにして、自分の夢だけを追いかけて道を選んできた私は
この夢まで叶えずに投げ捨てて、逃げてしまうことなんてできなかった。
だから今は苦しくても、いつかは花が咲くように私の夢も息吹くはずだと思って、耐え忍んで、前向きを意識して、努力を重ねていたの。
諦めずに頑張っていれば、いつかだれか私の料理を認めてくれるって。
姉や継母の召使いにされていた灰被りの娘が幸せな夢を諦めなかったように、諦めさえしなければ人生はいつか輝くって。
……だけど、だけど、本当は気づいていた。あの不審者に言われなくたって。
でも認めたら折れてしまいそうだったから、目を背けて一心不乱に働いていたの。
清純な生き方をしてきたわけでもなければ、救い上げてくれる王子様のあてもない私は、ここでは灰被り姫のようには成功できないこと。
でも、ずっと自分の気づきさえだまして誰にも気づかれないように振舞ってきたつもりだったのに、どうしてあの不審者は。彼は。メローネという男は。
"この店にいるより君は、自分で店を開く方が似合ってる"
鍵をかけた私の心の扉の奥まで見透かして、簡単に踏み込んで、あんな言葉をくれたのだろう。
頭のおかしい相手。
きっと私とは生きてる世界が違う人。
信じるべきじゃないいやらしい人。
そもそも、ストーカーだなんて自己紹介してきた狂人の言葉を信じるなんて、全体的にそう、きっと馬鹿げてる。
悪魔に魂でも売り渡して熱に浮かされてるのかもしれない。絶対にまともじゃないわ、私。
だって彼の言葉ひとつで、夢だった世界の全てを今まさに捨てようとしてるなんて。
でも、どんなに変でも、誰も気づかなかった私の心に気づいて言葉をかけてくれた人を信じてみたいと望むのは、きっと普通のことでしょう?
ああ、神様。だからお願いします。
信じる者は救われるというのならば、どうか今の私にオーナーにこの言葉を伝える勇気をお与えください!
「オーナー…お話があります」
「…言ってみなさい、Ms.ラウラ」
「私…この店を出て、独立したいと思います」
to be continue…