第六十五訓 傘の置き忘れには注意、盗難にも注意
いつもより気分が良い目覚めを迎えた。
だが外は、昨日のデケー月はなんだったのか、暗い雲から雨が滴り落ちている。
「じゃァ俺は少し出るがな…おめーはここにいろよォ?」
「うん…」
「…」
ちゅっ
「!っ…ん」
ようやくもう一度手中に収めたはずの朔夜の今すぐにでも俺の前から消え去りそうな笑顔に、思わず顎を掴み、唇を重ねた。
その柔らかくて甘ったるい感触に、確かに俺の手の中にいると確認できる。
「…(俺から逃げられるわけもねェか…どうかしてらァ)」
そう思い朔夜の唇を最後に舐めてから離し、頭を撫でて部屋を出た。
...だが、今日はさっさと戻るか。
あの女はなにするかわかんねェ。
***
「...(晋助、卿がこの国を壊すと言っていた理由は...うぅん...それでも小生は...その生き方についていけない...)」
晋助が出ていった扉を見て、柱に凭れかかって座り込み、震える指で自分の唇に触れる。
重なった唇から感じた、激情を混ぜた深すぎる愛情と、冷え切った絶望のような感情を思い出し、目を伏せてまた零れ落ちそうな涙を耐えた。
「(晋助...そんな生き方は晋助が苦しいだけだよ...)」
そして、ぎゅっと心臓の上で両手を握った時だった。
「失礼しますよ」
「!」
スッ
部屋に男女の二人組が入ってきた。
男の方は、なんというか...黒目が以上に大きいという以外特徴は無いが、変態っぽそうだった。
そして小生よりも若そうな女の子の方は、目立つだろう金髪で、ピンクの腹見せミニスカの着物を着ていた。
「お初お目にかかります」
「...晋助の、部下さんかい?」
姿勢を少しただして問いかければ、急に女の子につめよられた。
「!アンタ、晋助様のこと呼び捨てに...」
「また子さん、この方は良いんですよ」
「なんでッスか!」
「彼女が、『茨姫』さんだからです」
「おや...」
「!『茨姫』!?(この細くてなよそうな女が!?)」
「結構、その名も忘れられてないもんだね...」
いつの間にかつけられて、辺りを一人歩きした異名だというのに...
言われていた当時を思いだし、ため息を吐きだす。
そんな小生を見ながら男は続けた。
「――かつて攘夷戦争の折、高杉殿達と共にただ一人女の身で参加し
普段は、細かい志士達の生活のサポートをしたり、軍医のような事をしていたそうです。
しかし、一度戦場に立てば、圧倒的な知識と判断力、そして強固な意志と若い娘とは思えぬ冷静さで屈強な男達を指揮し、華の上を舞う蝶のように戦場を駆けた参謀...」
「...」
違う...小生はそんな凄い奴じゃない。
「その容姿は、傾国の美姫の如きと謳われ、憂いと強い光を帯びた銀灰の目で見つめた男達を
敵味方、さらに種族すら問わず惹きつけて魅了し、惑わしたといわれる『戦場の茨姫』、吉田朔夜ですよ」
「!吉田、朔夜...!(晋助様の心を、奪っている女!!)」
「...そんな噂ほど大層な人間じゃないよ。勝手に周りがそう言ってただけ...それに小生はその二つ名が嫌いだしね」
小生は、己の弱さと無力さを抱いた、弱い人間でしかなかった。
得たモノが無かった、自ら戦争に飛び込んだ事を後悔してるとはけして言わない...
でも、失ったモノは、得たものよりも小生にとってはずっと多かった。
「(それに...)」
"「今日は30人だってよ...」
「そっか...」
「...明日は、何人だろうな...」
「......死人の数を数えたらいけないよ...これは戦だからね...しょうがないんだ(明日は、誰がいなくなる...?)」"
今日生きている仲間や自分が、明日には死ぬかもしれない戦場の恐怖
"「流石だな朔夜さん!あの作戦大成功だったぜ!」
「お前の頭がありゃ天人にも絶対勝てるぜ!」
「え、う、うん。頑張るよ...」"
仲間からの称賛の言葉や、過剰なまでの期待
"「朔夜のせいじゃねーよ...」
「今回は仕方なかったよな...まさか地形が変わってるなんておもわないし...」
「死んだ奴らだってわかってくれるって...な?」
「っ...(地形が豪雨で、地図と変わってた...でも小生のせいだ...小生がもっとちゃんと調べとけば...)」"
そしてミスをしてしまった時の、失望を隠せていない声で慰める、周りの言葉
"「知ってるぜ。お前参謀なんて言われてるけどよォ、ほんとは志士達の娼婦なんだろ?」
「!?何を...!」
「清楚そうにして、さぞ夜は可愛がられてんだろうな?じゃなきゃ女なんか戦場にわざわざ連れてこねェよなァ?」
「小生をそれ以上侮辱するなよッ...!!(違う、小生は女である前に一人の志士だ!)」"
敵は勿論、長引く戦争で被害を受けている村からあびせられる中傷
"「あれが茨姫だァ!!」
「殺すには惜しいなァ...捕えて飼い殺すか」"
増えるばかりの憎しみと殺意、女ならと常に誰よりも狙われる緊張感
日々、臆病な小生の未熟な心中に積まれ続けて、ひたすらに重なっていくだけの重たくなり続ける感情に押しつぶされそうで
毎日のように、誰にも見られない場所で一人、泣いて吐いてを繰り返していた。
けれど指揮をとる人間が、敵味方の前で弱い部分を見せるわけにはいかなかった。
だから、まるで恐れを知らず、何も気にしていなよう強く凛として飄々とした風にふるまって...
そうしたら、いつの間にかついていた二つ名
「(嫌な名だが...仕方ない)」
「...どうかしましたか吉田朔夜さん?」
「!いや...なんでもないよ...ところで、そういう君たちは鬼兵隊幹部の、武市変平太と、来島また子ちゃんだよね?」
「「!!」」
意識を浮上させて、二人ににこりと笑い、そう問えば二人は驚いたような表情をした
「知っていたんですね」
「多少は知ってるよ...何も知らないで忍び込むほど無謀になった覚えはないからね」
ほんとは知っているのも、忍び込んだのも全部たまたまで、小太郎を捜して入った船が鬼兵隊でこんなことになっているだけだけども。
というかここから逃げて、晋助にみつからない神楽と小太郎を捜さなきゃ
...小生はここで、囚われたままになっているわけにはいかない。
そう思っていると、また子ちゃんのジトリとした視線が向いているのがわかった。
「...どうかしたかい?」
「アンタに晋助様は渡さないッスからね!」
「...え?」
「愛されてるからって調子乗るんじゃないッスよ!!」
「い、いや...?(よくわからないけど...面白い子だなぁ)」
晋助が大好きなんだということだけはわかったけども...この子もキャラの濃い女の子だな。
「ハッキリしない返事をするんじゃないッス!」
「え、ご、ごめんね?(怒られるようなことしたかな〜?)」
「とりあえずまた子さん、あまりここでこの方と話していると、高杉殿に私達が殺されてしまいますからいきますよ」
「!...わかったッスよ先輩...アンタとはまた今度話すッス!」
「そう...またね」
「!っ別に慣れ合う気はないんスから!!」
「うん、わかってるよ」
「〜〜っふん!」
こんな面白い二人が晋助の側に...
そして出ていこうとする二人の背に、声をかけた。
「あ、お二人さん...」
「なんでしょう?」「なんスか?」
「...晋助についていってくれて、ありがとう」
「「!」」
その進む道に小生は絶対に賛同はできない...でも、晋助についていってくれる人がいて、よかった。
「(おかしな方ですね...)」
「(私達にんなこというなんて変な女ッスね...)」
「ふふ」
困惑したような顔をしつつ出ていった二人の背を見送ってから、小生は向けていた笑顔をしまった。
「(このままいけば、いずれ敵対するのだろうけど...それでも、よかった...小生は晋助の近くに、今はいるわけにはいかないから...)」
そして入口に背を向けて、手錠をなんとか外そうとがちゃがちゃと手首を動かした
「...無駄に頑丈にしてくれてあるね...(なんとか鍵穴をこじ開けられるものを見つけないと...)」
***
少しの間試行錯誤をくりかえし、外そうといじり続けた。
「...(お、もう少し)」
「――オイ、朔夜...何やってんだ」
「!っ」
背後からした声に慌てて振り返れば、そこには扉を開けて明らかに怒って、こちらを睨む晋助がいた。
「し、しんす...」
「逃げるなって言ったのになァ...てめーは留守番もロクにできねーのか...」
ゆっくりと此方に近づいてくる晋助を見て、思わず後ずさるが、後ろはすぐに壁で、簡単に肩を掴まれ、壁に押さえ付けられた。
「晋助、離して...」
「朔夜...今の俺の何が気にくわねェ?俺はお前に対する気持ちはなんにも変わっちゃいねぇよ。
おめーが欲しいものは、なんでもくれてやらァ...それなのに、どうして逃げる」
「晋助の気持ちは痛いくらいわかる...でも、しようとしている事を、赦すことはできないから...それに小生は、自由を奪う籠は欲しくない」
こんな風に世界の全てを奪って閉じ込めるなら、小生は愛することなどできないよ。
晋助の淀んでしまった緑色の目を真っ直ぐ見つめて、そう言えば酷く驚いたような、傷ついたような目をした。
その目に更に悲しさが募る。
「晋助...お願いだよ。もう、こんなことやめて...」
「ふざけんな...お前は俺のだ...俺が、お前を求めた日から...お前は俺のもんなんだ!」
がばりと上から覆いかぶさるようにして、求めて強請るように荒っぽく唇を押しつけられる。
「んぅ...!」
「(コイツは俺の女で、所有物だ...!!どこにも行かせやしねェ!!朔夜は俺だけを愛して、俺といりゃいい!!それが一番、いいんだ...!)」
何度も深く口づけをされ、息が乱れぐったりとしてきた時、ようやく唇は離され、抱きすくめられた。
「はぁ...は...晋、助...」
「朔夜...俺は、今様子を見に帰って来ただけでなァ...また出なきゃならねェ」
「ふ、っ...はぁ...?」
ガチャンと南京錠が外され、柱に巻きついていた鎖を晋助は自分の手に数度巻いて、握った。
「だがな、お前も連れていく...お前が逃げようとする限り、もう一時もこの手から放さねェ」
「!」
「クク...お前がこの手から飛ぼうとする限り...俺だけをまた愛そうとする時まで...そうするしかあるめーよ」
そして晋助は、先程の哀しげな雰囲気を完全に消し去り、狂ったような笑みを浮かべ、小生の身体を横抱きに抱き上げ、連れ出した。
***
「!(ここ、昨日の...!)」
小生は、晋助に抱えられたまま、昨日見た刀の入ったカラクリに埋め尽くされた部屋へと連れて来られた。
「クク...壮観だろ?これでも『紅桜』って刀なんだぜ?まぁ、威力は戦艦用の兵器だけどな...」
「刀!?(これが!?というか戦艦用の兵器って...!)」
これだけの量があれば、幕府や江戸なんてあっという間に...!まさか晋助はそれを?!
愉しそうな歪んだ笑みを浮かべた晋助に、そんな嫌な考えがよぎった時、その後方から男が一人近づいてくるのが見えた。
笠をとったその男を、小生はよく見知っていた。
「!て、鉄矢...!?(なんで刀鍛冶屋の鉄矢が!?)」
「!?朔夜先生ではないですか...!!」
「なんだ知り合いか...」
思わぬ人物に、目を見開いていると、鉄矢が先に言葉を発した。
「高杉殿!どうして朔夜先生がここに!」
「あァ、コイツは俺の女だ...気にすんじゃねェ」
「!ちがっ...」
「なるほど、そうであったか!!」
「(今ぐらい話聞いて!!)」
すると晋助が、その『紅桜』に向き直った。
「クク、しかし酔狂な話じゃねーか。大砲ブッぱなしてドンパチやる時代に、こんな刀つくるたァ」
「そいつで幕府を転覆するなどと大法螺吹く貴殿も十分酔狂と思うがな!!」
「!(やはり狙いは幕府...!)」
「法螺を実現して見せる法螺吹きが英傑と呼ばれるのさ。俺はできねー法螺はふかねェ。
侍も剣も、まだまだ滅んじゃいねーってことを見せてやろーじゃねーか...幕府にも...朔夜、平和ボケしたお前にもな」
「っ...(晋助...)」
歪んだ笑みに、何も言えなくなる。
「貴殿らが何を企み何を成そうとしているかなど興味はない!刀匠は、ただ斬れる刀をつくるのみ!!私に言える事はただ一つ、この剣に斬れぬものはない!!」
「っ鉄矢!自分が何をしてるかわかってんのかい!?大体この事を鉄子ちゃんは知って...」
「朔夜先生!私は刀のために全てを捨ててきました...これは刀匠としての私の人生最大の大仕事なのです!!」
「っ鉄矢...(自分の大事なもん全て捨てて打った空っぽの刀なんざ、簡単に折れちまうよ...)」
鉄矢の刀匠としての間違っているような信念を貫く姿に、音にしようとした言葉は、卿中に消えた。
けれどなんとかうまく言おうと考えていると、晋助が出口の方へ歩き出した。
「!晋助っ...!」
「もういいだろ。部屋に戻るぞ朔夜」
「やだっ...離して!!」
しかし、晋助は小生の反抗も拒絶も一切受け取らず、小生を抱えたままその場を去った。
***
「(晋助の馬鹿...中二...)」
「そう拗ねずに少しは食えよ。もたねェぞ?」
「...食べたくない」
「...食え」
ぐちゅっ...
「ん、ぐっ...」
部屋へ戻された小生は、晋助の膝の上に横抱きで座らされた。
開けられら胸元から晋助の、昔は大好きだった低い体温が伝い、それが今は酷く居心地悪く感じられて身じろぎしていると
甘いもんが好きだっただろうとだされた、一口大のあんこ餅を一つつまみ、小生の口の前に持ってきた。
普段なら喜んで食べるそれも、今は食べる気になれず口を閉ざしていると、
指を口の中に入れられてこじ開けられ、餅を口内に押しこまれた。
吐き出そうかと思ったが、餅に罪はないので、無理矢理飲み込んで胃の中に押し込んだ。
それを確認してから、指を小生の口から抜き、その指をぺろりと舐めた。
「甘ェな...美味かったか?」
「美味しいよ...でも、もう離して」
ぐっと胸板を押し、小生の身体を支えて掴む腕から逃げようとするも、
背中にまわしていた腕で、上体を起こされて顔を近づけられた。
「...何が不満だ?どうして喜ばねェ...」
「...こんなことされて、喜べるわけないじゃないか」
目を伏せて言えば、顎を掴まれ、至近距離で視線をあわされた。
深みを増した黒い炎の燃える暗い緑の目に、息が詰まる。
「なァ、朔夜...お前はこれ以上俺に何を望んでやがんだァ?
俺だけはお前を壊そうとする世界から護ってやれる、俺だけがお前を何より愛でてやれる...
お前が欲しがるものは、全て与えてやらァ...お前は俺を愛して、ここにいるだけで構わねェ
なのによォ、どうして逃げる...これ以上何が欲しい?」
心を見透かそうとしてくる目と、渇望の滲む言葉に首を振る。
「...小生が、卿に望むのは一つだけ...昔みたく、優しかった晋助に戻ってくれる事だけだよ...」
「俺は何も変わっちゃいねェ...俺は今でもお前に甘いだろう?」
「でも、こんなことしたり...あんな風に歪んだ笑い方しなかった...」
そう言ってうつむけば、少しだけ間を置いてクッと喉を鳴らして笑う声。
「...お前が知らなかっただけだ...俺はずっとこうして俺に縛り付けて、俺だけしか見えねーようにしたかったぜ...?
お前が他の野郎に甘く微笑むたびに、何度腸が煮えくりかえったかしれねェよ...」
そう言いながら、撫でるように小生の頬、首筋と手の平を滑らせていき、着流しの袷に手を入れてきた。
その手を慌てて制すが、晋助は厭らしく笑って進めていく。
「ちょっと!」
「もういいだろ...久々なんだ。抱きたくてたまらねェ」
畳におろして、起き上がる暇もくれず、その上に覆いかぶさってきた。
「っやめて晋助...!いやだよっ!」
「やめるわけあるめーよ。俺はお前が欲しい...たとえそれが、お前が望まねェ形でも...俺は...」
「っいや...!!」
そして袷を片手で開き晋助が口づけをしようとしてきた時――
急に船が爆音とともに激しく揺れた。
「!なん...」
「っ!」
ゴッ
一瞬気をそらした晋助の鳩尾に、全身全霊の膝蹴りをいれた。
「!?ぐっ...!」
「っ...(さよなら、晋助...!)」
やはり、痛がらせるほどの力は小生にはなかったがひるんだので
その瞬間、晋助の下からはい出て、掴まれないように投げ出されていた鎖を握って、乱された服をただし、部屋から走って逃げ出した。
早く神楽と小太郎を見つけて、今は船を降りよう...!
***
そして残された部屋の中では――
「朔夜の奴...ナメた真似してくれんじゃねーか...」
俺から逃げられるとでも、本気で思ってんのか?
朔夜...おめーは何も分かっちゃいねえ...俺は決めたんだよ。もうなァ、何をしてでも、絶対にお前のことを離さねぇと。
そろそろ後を追うかと刀を腰に差して立ち上がった時、開けっぱなしの部屋の前に、男が一人慌てたようにやって来た。
「なんだァ?」
「高杉様!敵襲です!!桂の仲間らしき者達が我らに攻撃をしかけてきています!」
「そうかァ...とりあえずてめーらに任せると、そう全員に伝えとけ」
「はっ!わかりました!!」
そして男は去って行った。
「ふん...(どうせ似蔵が勝手にやったことのツケだろう...それよりも朔夜だな)」
そして俺は、部屋を出た。
***
またその頃――
紅桜に一度やられた銀時が動きだし、船までたどり着いた新八が船に乗り込んだなど、知るものがいない中、事態は急速に展開していっていたのだった。
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