第六十二訓 コロッケパンより焼きそばパン
――ふと、教科書から少しだけ目を上げると満開の美しい桜が
花の香りを連れた春風に揺られ花弁を散らしていくのが、開いた障子の向こうに見える。
「(きれい...)」
広がる美しい景色に、思わず目を奪われて桜を見ていると、頭に大きくて温かい手がゆっくりと置かれた。
「!あ...!」
「――桜が、綺麗ですね」
上の空だったのがバレて、同じ教室の皆がくすくすと笑うのでばつが悪くなり教科書で顔を隠して、そろっと上を見れば、
いつもと同じ温かい微笑みを浮かべ、柔らかく低い、大好きな声でそう言い、頭をなでてくれた。
「ご、ごめんなさい...」
「怒っていませんよ。でも、桜を見るのは授業の後の楽しみにしておきましょうね...朔夜」
この世の何よりもきっと綺麗な、自分の名を呼んでくれる優しい声と微笑みに、心臓がとくとくと鳴り、
頬が熱くなるのを感じながら、小さくコクリと頷いた。
それを見て、その世界で一番大好きなその人はまたひとつ微笑んで、片方の手の教科書をめくりながら離れ、話を始めた。
「――皆さん。これから先...あなた達は様々な事を学んでいくでしょう。
当然、歩みを続けていけば...様々な困難や壁にもぶつかる事があるでしょう。
その時どうするかは...全て、あなた達次第です。
常に皆さんの側にいられるかはわかりません。ですが、まず最初に皆さんにこの言葉を贈ります...――――」
――パチッ...
目をあけたら、目の前にはいつも見慣れた家の天井が見えた。
ぼーっとしたまま起き上がれば、目の端から自然に流れていたらしい涙を拭った
「久しぶりに見た...」
あの人を夢に見るなんて...何か大きなことが起こる予兆なのかな...?
「何も、起きないよね...?(ねェ、そうだよね...お義父さん...)」
胸騒ぎを感じつつも、考えても仕方ないと思考を切り上げ、今日の仕事先である真選組へと向かった。
***
「よいしょっ、と...(夢の事は忘れよう...ただの夢に決まってる...)」
そんなことより仕事仕事...
そう言い聞かせ、屯所の廊下を洗濯物籠を抱えて歩いていた。
すると一室から――
「何!?高杉が!?」
「!(晋助についての情報...?)」
聞こえてきた近藤の旦那の声に思わず部屋の前で足を止め、思わず障子に気配を殺して近づき、洗濯物籠を置いて聞き耳を立てる。
「あァ、間違いない。監察が入手した確かな情報だ」
「あの高杉がまた江戸に...」
「!(晋助がまた来てる...!?京都に戻ったと噂じゃ聞いていたけど...)」
今日の夢は、晋助がなにかやらかすかもしれないってこと...?
再びざわつく胸を、落ち着かせるようにきゅっと掴んでさらに話を聞く。
「...高杉かァ。確か前回は、見事にやられやしたっけ」
「お前がなっがい便所に行ってたせいでな!!」
「あれ、おっかしいな。その論法でいくと、真面目に働いてたどこぞのマヨラーは、俺以上に無能って言う事になりやしませんかィ?」
「んだとゴルァ!!」
刀が抜かれた音と、バズーカを構えた音が聞こえ、近藤の旦那がたしなめる声が聞こえ、少しして武器をおさめた音が聞こえた。
そしてトシの静かな声が聞こえてくる。
「...攘夷浪士の中で最も過激で危険な男――高杉晋助...噂じゃ奴ァ
『人斬り似蔵』の異名を取る、岡田似蔵。『紅い弾丸』と恐れられる拳銃使いの、来島また子。
変人謀略家として暗躍する、武市変平太。そして正体は謎に包まれた剣豪、河上万斉...奴らを中心に、あの『鬼兵隊』を復活させたらしい」
「!!(『鬼兵隊』だって!?それに、岡田似蔵ってこの前の...!)」
聞こえてきた思わぬ名前と事態に息を飲む。
「『鬼兵隊』!?攘夷戦争の時に高杉が率いていた義勇軍のことか」
「あァ...文字通り、鬼のように強かったって話だがな...」
「だが今更そんなもんを作って一体何をするつもりだ」
「おそらく、強力な武装集団を作りクーデターを起こすのが奴の狙い...近藤さん、アイツは危険だ」
「――わかった。トシ、奴らの情報を集めるのに全力を尽くしてくれ」
「了解だ」
「(――晋助は江戸をぶっ壊すって言ってたから...トシの推察の通りだろう......ほっとく訳にはいかない...!)」
晋助と会って、声が届く内に話さなきゃ!!
止められるかわからないけど...やってみなきゃ分からないよね...
そう思い、籠を持って歩き出そうとすれば、再びトシの声が聞こえた。
「――あとな、近藤さん...朔夜が奴に狙われてる」
「!(トシ...)」
「朔夜さんが高杉に!?なんでまた・・・」
「祭りの時に会って...どうも、気に入られちまったらしい」
「(ちゃんと覚えてたんだ...)」
「またあの人も厄介な事に巻き込まれますねィ」
「本当にな...まぁ、それでだ。高杉の事が落ち着くまでしばらく朔夜を俺が警護しても構わねーか?」
「!(トシ...何言ってるの...?!)」
トシらしからぬ台詞に再び耳を傾ける。
「お前が?珍しいな」
「朔夜の身に何かあったらまずいだろ...それに高杉相手じゃ、その辺の平隊士に任せても絶対に太刀打ちできねーしな...
仕事には影響ださねーから...いいか?近藤さん」
「まぁ、俺は構わないが」
「じゃぁ、俺から後で朔夜には言っておく」
「あぁ、分かった」
「(...本当にありがとう、トシ...でも、ごめんね...小生は、行かなきゃ)」
そして小生は、後ろ髪引かれながらも籠を抱えたままその場を静かに後にした。
***
「――っと、準備よし...」
小生は誰にも見つかることなく屯所を出ると、家へと戻り、
着物の裾を開けてスリット状にして足を出し、動きやすくし、
万が一のため、手当たりしだいの薬品や毒、メス、注射器などを小さいポーチや衣服の裏に隠し、
肩に一機の烏型カラクリをとまらせ、いつものように煙管を片手に握り、足に采配を忍ばせた。
「こんなにしっかり武装するのも、久しぶりだな...」
久々に使うのもあるし、できれば使わないで済めばいい...
この前の晋助の、言葉や行動を考えたら甘い考えかもしれないけど、そう思う...
やっぱり小生は、誰が何と言おうと、昔の晋助でいてほしいから
「...さて、行くか(銀時には言った方が良いかな...でも、これは小生の勝手な行動だし...自分だけでさがそう...!)」
そう結論付けて、家を静かに出た。
――その頃、小太郎が行方不明になっていたり、銀時達の元にエリザベスが行っていたりと
事態が静かに広がりだしていることを、小生は知らなかった。
***
「...そう、ありがと。急に悪かったね」
ピッ
家を出た小生は、烏型偵察カラクリ『カーラス』達を情報収集のために空に放し、路地裏を転々としながら
情報屋達に何か変わった事はないかと電話を片っ端から掛けまくっていた。
「(...全員から出てくる最近噂の辻斬りの話...関係ありそうだな。それに、生き物のような刀を持った男、か...)」
鬼兵隊の中の誰かだろうか...なら、晋助を捜すより、そちらを捜した方が早いか...
路地裏の壁に凭れかかり、必死で頭をフル回転させて考えていると、携帯が鳴った。
表示された名前は、トシだった。
「!...(トシか...)」
ピッ
「――もしもし、トシ?」
『朔夜、お前今どこいんだ。まだ勤務中のはずだろ...大江戸ストアに買い出しか?』
「...ううん、違うよ」
トシの気持ちのいい低い声に、焦っていた心が落ち着いていき、優しさに笑みが溢れる。
『じゃぁどこに行ってんだ?とりあえず場所言え。俺がしばらく警護することになったから、今迎えに...』
「大丈夫だよ...心配しないで」
『何が大丈夫だ!今の江戸の治安の悪さくらいお前だって知ってんだろ』
「...大丈夫。辻斬りなら、浪人しか斬らないって話だしさ」
『それだけじゃねェ...今、江戸に高杉が来てんだ。なのにお前一人で行動させるなんざでき...』
「――トシは優しいね。でも...小生は、大丈夫だよ。トシは仕事忙しいんだから、小生より、そっちに集中して」
小生は、大丈夫だから――
そう言えば、トシは電話口の向こうで押し黙ったようだった。
『...朔夜お前、なんか変だぞ?なんかあったのか?』
「!――何もないよ。あはは、やだなぁ。ちょっと用事ができてしまっただけだから...忙しくなっちゃって、数日くらいそっちに顔出せないかもしれないけど、大丈夫だから」
『...嘘じゃねーな?』
「うん、嘘じゃないよ...それじゃ、ちょっと忙しいから、そろそろ切るね」
『お、おう...って、あ、ちょっと待て朔夜!』
「!な、なんだい?」
『...ちゃんと帰ってこいよ?待ってっからな』
「!......あたり前じゃないかい。死地に赴くわけでもあるまいし」
『...そうだよな。悪ィ...おかしなこと言った。忘れてくれ』
「ふふ...でも、ありがとうトシ。小生をそんなに心配してくれて...嬉しいよ」
『べ、別に当たり前だろ!お前を警護すんだから』
「そうだね...ありがと...」
トシみたく、帰ってこい、って言ってくれる人がいてくれる限り、小生はちゃんと帰ってくるよ――
この言葉を胸にしまいこみ、小生はそっと見えない電話越しのトシに向けて笑った。
「それじゃぁね」
『...あぁ』
ピッとボタンを押して電話を切る。
「ごめんね。でも、ちゃんと帰るからさ...」
待っててね。
そう気持ちを込めて一度携帯を握ってからしまい込み、辻斬り探しへと走り出した。
***
「はぁ...はぁ...(暗くなってきた...)」
日がとっぷりと暮れて、辺りを夜の帳がつつみ、綺麗な満月が空を支配した頃、小生は辺りの警戒を怠らないまま、
一人路地にしゃがみ込んで疲れがたまりだした体を休めていた。
「(一体辻斬りの奴はどこに...)」
そう思いながら路地から少し顔を出せば、二つの影が見えた。
一気に緊張して目を凝らしてその影を見つめる。
「!(あれは...神楽に定春!?なんでこんな時間まで...)」
見慣れた人物達の姿に驚き、抛っとくわけにもいかないのでその姿を後ろから追う。
「(何か探してるのか...?万事屋の仕事...?でも、こんな遅くまで...)神楽!」
「!マミー!」
心配なので、追いついて声をかければ、いつものように腰辺りに抱きついてきた。
「こんな時間まで何をしてるんだい?危ないだろう?」
「ごめんマミー。でも、ヅラを捜してたアルヨ。ヅラを見てないアルか?」
「小太郎を...?そういえば最近見かけてないけど...まさか、小太郎に何かあったのかい?!」
思わぬ神楽のセリフに、心臓がドクリと波打つ。
「まだ分からないアルが、エリーが今日万事屋に来て、ヅラがここ数日行方不明だって言って、血まみれのヅラの持ち物持ってきたネ」
「!そんなことが...」
もしかしたら、小太郎は辻斬りに?...でもそしたら『小太郎を斬れ』と、晋助がそう指示を?!
いや、でもまだ晋助と辻斬りの男の関係が明確な訳じゃない!違うに決まってる...それに小太郎がただの辻斬りにやられるわけない...
神楽からの思わぬ情報を得てできた不安を、頭の中で払拭する。
「それで、今新八と手分けしてヅラを早急に探してる所アル」
「そう、なんだ...(小太郎...なんであっても無事でいて...)」
ドクドクと、嫌な予感と緊張で激しく波打つ心臓を納めるように、胸元の布を握る。
「...大丈夫アルカ?マミー」
「!...大丈夫だよ。それより小生も手伝うね...神楽と定春もだけど、小太郎の安否も心配だ...(辻斬り探しはその後だ)」
「...分かったアル。でも無理しちゃ駄目アルヨ!」
「うん、ありがとう神楽」
そして神楽、定春と歩き出し、海の方へと向かった。
――どこか、自分の世界が崩れていっているような、そんな焦りや恐ろしさを心で感じながら...
〜Next〜
prev next