第三十六訓 どうでもいいことばかり覚えているくせに、大切なことは覚えられない
ブロロロ
「あーまたジャンプ買っちゃったよー。この前もう止めにしようって決めたのになー」
「銀時の止めようって意志が弱いからそうなるんだよ...」
夕飯の買い出しに銀時と一緒に原付に乗って向かった帰り道...
もう買わないとか言ってたのに銀時がいつの間にかジャンプを買っていた。
そのジャンプが、風にぺらぺらと揺られながら銀時の懐から覗いている。
小生はそんな銀時の腰にしがみついて、後ろに乗っている。
「いや、俺は一日一日止めよう止めよう思ってるんだぜ?でもな、なんかやめられねーんだよ。続き気になっちまうんだよ」
「はぁ...やれやれ...」
そして赤信号から青信号になったのでまた走り出したその時、何故か横の車線から、小生達に向かって車が迫ってきた。
「え...?」
「!朔夜っ!!」
ガバッ ドォン!
瞬間、振り返って腕を引っ張ってきた銀時に身体を抱きこまれ、凄い音と衝撃と共に小生達は路上に投げ出され、そこで意識が途絶えたのだった。
***
「...ぅ...ん...?」
「気がついたかい?吉田さん」
「...せんせ、い...?」
うっすらと目を開けば真っ白な天井と大江戸病院であったことのある医者の顔が見え、顔を動かせば、隣のベッドに銀時が寝ているのが見えた。
「うん、こっちは大丈夫のようだね...」
「大丈夫、って...!っそうだ!銀時...!!」
はねられた時に庇われたことを思い出し、ガバッと体を起して、ベッドから降りようとすれば押し戻された。
「彼も大丈夫だよ。だから落ち着きなさい」
「!そう、ですか...良かった...」
安堵したその時
「ぅ...」
「!...銀時!」
銀時がうっすらと目を開けたのを見て、ベッドから降りて、駆け寄り片手を握る。
そして銀時が身体を起こし、いつもの死んだ魚のような眼ではなく、光の入った赤い眼でゆっくりとこっちを見た。
何も言わずにシリアスの時にしか表われないその目の輝きにいつもの安心感ではなく、不安や違和感を覚える。
「...」
「...ぎ、銀時...?」
「...貴女は...誰だい?」
「...え?」
一瞬何を言われたのか分からなくて、動けなくなる。
「坂田さん?分からないんですか?」
「えぇ...あのここは...それに僕は坂田と言うんですか?それにこの僕の手を握ってる女性は...見覚えがないんですが」
「!...っ小生を...覚えて、ないのかい...?」
「え、あ、はい...知り合いなんですか?でも小生って変わった一人称ですね」
「っそう、かな...」
本当に小生を覚えていないらしい銀時の一つ一つの言葉に心がえぐられていく。
「...どうやら記憶喪失のようだね」
「!っそんな...!(小生なんかを庇うから...!)」
「とりあえずお待ちの方々も交えて詳しい話をしましょう」
そして先生と前に皆をぼこった看護婦さんが待っていた新八君、神楽ちゃん、お登勢さん、キャサリンが中に入れた。
「!朔夜さん!大丈夫ですか!?」
「巻き込まれて大丈夫だったアルか!?」
「新八君、神楽ちゃん...それにお登勢さんとキャサリンも...うん、小生は大丈夫だよ」
「そうですか。ならよかった...」
「無事でよかったアルヨ!」
「うん、ありがとう...」
浮上しない気分をおし隠し笑えば、4人は銀時に話しかけだした。
「しかしなんだィ、こっちも全然元気そうじゃないかィ」
「心配かけて!もうジャンプなんて買わせないからね!」
「心配しましたよ銀さん...えらい目に逢いましたね」
「...誰?」
「(本当に、全部忘れたんだ...)」
「え?一体誰だい君達は?僕の知り合いなのかい?」
その言葉に4人が雷が落ちたような顔をし、小生が、記憶喪失になったみたい、と呟けば、叫んだ。
「い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛!!記憶喪失!?」
「うん...」
「ケガはどーってことないんだがね。頭を強く打ったらしくて、その拍子に記憶もポローンって落としてきちゃったみたいだねェ」
「落としたって...そんな自転車のカギみたいな言い方やめてください」
そして先生がさらに説明をしていくと、やっぱり今の銀時は今までの自分の存在のことも忘れているらしい。
でも人間の記憶は木の枝の用に複雑に絡み合っていて、一本でもざわめかせられれば徐々に他の記憶もよみがえっていくと言われた。
その言葉に4人がこちらを見てきた。
「あの...?」
「一番銀さんにとって太い枝は朔夜さんですから...」
「朔夜、お願いヨ!」
「...ダメもとだからね」
そして再び銀時に話しかける。
「銀時、本当に小生のこと思い出せない?吉田朔夜っていうんだけど...」
「?...さぁ?貴女と僕はどんな関係なんですか?」
「っ...幼馴染だよ...」
「幼馴染?そんなのいたんですか僕に...?しかも貴女みたいな綺麗な人となんて...ドッキリですか?」
「!...どっきり、だって...?」
「?朔・・・」
「...っざけんじゃないよ...」
こっちが、どれだけ長い付き合いしてきたと思ってんだい...
ずっと兄妹みたいに育ったでしょ
ずっと一緒だったのに...
その小生を、忘れるなんて
「っ...」
悲しさと悔しさにこみ上げる涙に唇を噛んで耐え、銀時を睨んで胸ぐらをつかみ片手を振り上げた。
「ちょっ!?朔...」
「この、薄情者ッ...!!!」
パチィン!!
「ぃつっ...」
「...ぇ...」
軽い音と共に、銀時の頬を張り飛ばすが、こっちの手の方が痛くて、涙を流したまま思わずその場にうずくまる。
すると小生に殴られた銀時が困惑した表情で此方を見て声をかけてきた。
「あ、あの…大丈夫ですか?」
「っ…う、うるさいバカ!銀時なんか知らない!!」
ダッ
「!あっ朔夜さん!」
呼びとめる声を無視して、恥と悲しみにさいなまれつつ涙を零しながら、小生はその場から走り去った。
***
「ふざけないでよ...っ!」
ドスドス
小生は、無意識に真選組屯所にやって来た。
そして居間の折り畳んだ座布団に、こみ上げる怒りや悲しみを叩きつけるように何度も拳を振りおろしていた。
障子の向こうから隊士たちの視線を感じるが、今はそれを気にしてるどころじゃない。
「銀、時の...ばかっ!!」
一度離れた時、2度と顔を合わせることはできないと思った。
でも、こうしてもう一度笑い合う機会ができたのに。
貴女、誰って...それが...それが...
「支え合ってきた人間に言う台詞かあの白髪バカァァァ!!!」
ブンッ ビタァン!!
零れる涙をこらえようと歯を食いしばり、座布団の端を持って、怒りにまかせて壁に叩きつけた。
「っはぁ...はぁ...」
***
そしてそれを見守る隊士達
「お、おい...朔夜さんどうしたんだアレ...?」
「あんな怒って荒れ狂ってる朔夜さん初めて見たぞ?なんか泣いちゃってるし...」
「まさか...失恋とか...?」
「んなわけ...朔夜さんフる男なんかいないだろ。俺なら即オーケーだ」
「まずお前に告らねーよ」
「んだと!夢見たっていーじゃねーか!」
「妄想も良いところだろ!つーか妄想で朔夜さんを汚すなんて俺にはできねぇ!」
「お前の方が俺より恥ずかしいわ!」
そんな風にぎゃーぎゃーやっている隊士達に近づく影が一つ。
「おい、何騒いでやがんだお前ら?」
「!!」
「ふ、副長!」
そう、そこに現れたのは真選組鬼の副長の土方であった。
「?...って朔夜じゃねーか...座布団で何やってんだ?」
「じ、実は、さっきからずっとあんな調子でして...」
「はぁ...?」
そして障子の向こうの朔夜の後ろ姿を見た土方は、朔夜の細い肩が小さく震えてるのが見えた。
「(...また泣いてんのかアレ...)...おい、お前ら散れ」
「え、副ちょ...」
「早く行けって言ってんだろ。聞こえねぇのか」
「!すっすいません!!」
そして雲の子を散らすように隊士たちが消えていった姿を確認してから、土方は障子を開けて中に入った。
***
トシが入ってきたのには気付いた。
でもまた泣いてるのに気付かれたんだろうなと思い、振りむけなかった。
「...おい朔夜、何暴れてんだ。らしくもねぇ」
「ごめん...ちょっと、耐えがたい事があって...」
「!...お前にも耐えられねぇことって、あるんだな」
「うん、そりゃ...小生は、女神や菩薩じゃない、ただの人間だからね...」
盆が受け止めきれず、溢れてしまうときもあるよ...でも小生はそんなこと、あっちゃいけないのに...だから見なかったことにして。
そう笑みを形作り、涙をぬぐい振り返ってトシに笑う。
「...そんな風に、無理に笑うんじゃねーよ」
「え...?」
「お前がそんなにいつもいつも我慢する必要なんかねーだろ」
「!っ...あるよ...小生は、強くないといけないから...そう自分で決めたんだ」
泣くのは一人の時だけと、誰にもすがりつかないと、ずっと昔に...
そんな誰かの胸で泣きじゃくるような資格はないから。
「...なんで、お前はそんな頑なに見せようとしねェんだ...」
その言葉にゆっくりとトシから視線をそらし、大切な思い出を思い返すように遠くを見つめる。
「そう、選択したから」
唯一尊敬した人のようにることを
その人との約束を、何を捨てても果たすことを
「だから全てを小生は、受け入れなくちゃ」
自分を優しくくるむ真綿も
自分を傷つける裁きの刃も
「全部受け入れて、抱きしめれるような人間でいなくちゃいけない」
だから誰かにすがりついて、泣きわめくなんてできないし、しない。
「それは、己を裏切る弱さだから...」
「もう黙れ」
低い声と共に包まれる身体。
「...と、し...!」
「...黙れよ」
後ろからかぶさるように抱きしめられ、大きな片手の掌で両目を覆われた。
苦い苦い煙草の香りが匂い立つ。
「...なんで、こんなことするのさ...?」
「...お前が、人前で泣きたくないっていうからだ...これなら俺も、誰も泣いてるなんて見えねェだろ...」
「っだいじょうぶ、だよ...小生は...泣いたり、なんか...」
「お前は、俺が見てきた女の中で一番良い魂もってるぜ...それにな...」
泣きたい時に泣けるのも、お前の持つ強さだろ――
そう言われた瞬間、心に思いが溢れ、ぽろぽろと涙がこぼれた。
「っ...と、しの...ばか...っそんな、こと・・・いわれ、たら...たえられな...」
「耐えるな。吐き出していい...」
「でも、こんな...よわい、げんめつ...する...っ!」
小生の身体を拘束している太く堅い片腕を掴んで、そう漏らせば、トシは笑ったのか僅かに空気が揺れた。
「...幻滅なんざするかよ。むしろお前が普通の女だって分かって安心したぜ...」
「っ...」
「お前...普段全然怒りもしねーし、文句も言わねェだろ?飄々とかわして、いつも笑ってばっかだったからな...
こういう一面が見れた方が...人間なんだと、安心できらァ」
「!っ、ぅ...う...」
トシの言葉が心に沈みこんでいく。
この弱いと思っていた自分を、強いと言ってくれた優しさに、さらに涙があふれていく。
なんでだろう...こんな風に小生を泣かせたのは...あの人以来だ。
優しさに胸が熱くなって、言葉にできない思いが零れ落ちていく。
小生は声を殺し、涙が止まるまで泣き続けた。
***
「――で、結局なにがあったんだ?」
それからしばらくして涙も止まり、小生はトシと縁側に出て庭を見ながら話していた。
「ん?あぁ...ただの八つ当たり、かな...」
「八つ当たり?」
「...うん...」
気が動転してたからあんなことしちゃったけど...よく考えたら、銀時は小生を庇ってあんななったのに...
それに別に好きで記憶喪失になったわけじゃないのに...
「今、思い返したら...酷いことしただけだよ...」
膝を抱えて、顔を埋め、自分の短慮な行動に対し、後悔してため息を吐く。
「...何があったかしらねーけどな。後悔して、後ろ向きなのはお前らしくねェ」
「...そうだね。うん、確かにね...こんな風に落ち込んでても、何も変わらない。だからやり直すために動いて、諦めずに取り返すのが小生だよね」
「...あぁ」
「...うん、ありがとう。なんか、トシと話したら元気出たよ」
柔らかく微笑みを向ければ、ふいとそらされる瞳。
「!...俺と話してんなこというなんて、やっぱ変な奴だな」
「はは...じゃ、小生はそろそろ行こうかな」
そして小生はいつものように落ち着いてきた自分の心を感じると、煙管に火をつけて煙を吸い、腰を上げた。
「!...もういいのか?」
「――うん、端から事を諦めるのは小生らしくないって思いだせたからね...取り戻してくるよ」
このまま後ろばかり振り返って、動かずにいるなんて
それは誰にだってできること。
だから小生は、足を止めずに前を見て走りつづける。
「(がむしゃらに走ってきて、うまくいってたんだから今度も大丈夫)」
もう一回ぶん殴ってでも、『銀時』の記憶と人格を取りかえさせてやる。
きっとそれが今、小生にできる最善のことだから
それから小生は、トシにお礼としばらくの暇の許可を貰い、屯所を後にした。
「...もう、折れないよ...」
痛みと悲しみの雨に打たれても、へし折られそうな強風に吹かれても
友の寄り木となり、導ける...けして折れない、そんな標になるから...
それは誰のためでもなく、自分が勝手に約束した誓いだけど...
「(...とりあえず...銀時を引きずり戻すことが第一歩、かな?)」
ふぅ...
万事屋に向かいながら、淀みの消えた澄んだ気持ちで江戸の夕空を仰ぎ煙を吐けば、煙管の花菖蒲の濃い香が、鼻をくすぐった。
「...思い出しなよ、バカ野郎」
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