第二十一訓 秘密の一つや二つくらいある。だって人間だもの。
「戸籍も、住所も、それに江戸に来るまでの過去も不詳なんだよな...」
俺は煙草を片手に、引っ張り出した朔夜の履歴書を見ていた。
久しぶりに見返してみても、不審な点ばかりの履歴書だ。
アイツが特例である真選組の唯一の女中になってかなり経つ。
初めてとっつぁんが連れてきたときは、どこの回しもんだと疑ったが、それはもう昔の話だ。
アイツは真面目によく働くし、一時期、山崎に張らせてた時も不審な動きをしたことはなかったしな。
だから、俺は朔夜を疑うのをやめ、信用し信頼することにした。
だがこの前の祭りの日、アイツは...過激派攘夷浪士の高杉晋助と、男女の仲を匂わせることをしていた。
見た瞬間、らしくもなくその場から足に根でも生えたように動けなくなった。
そして高杉が去ってからハッとし、俺に背を向けて立っていた朔夜にどういうことだと声をかけた。
だが返事もしないので、無理やり振り返らせれば、アイツは音もなく涙だけを流して泣いていた。
その泣き顔は、この前初めて見た泣き顔よりもさらに辛そうに見え、俺は言葉を失った。
"「みな、いでって・・・!!」"
アイツは、そんな俺を突き飛ばして走って逃げた。
――本当なら追いかけてでも問いただすべきだったんだが
見たこともない苦しそうな泣き顔が思い出されて、俺はどうにも追いかける気になれなかった。
「...」
だが、このまま捨て置くこともできねぇ。
朔夜と高杉の関係が...俺の危惧する関係なのかどうか確かめなくちゃならないからな...
「......今日、シフト入ってたな...」
アイツに小手先の手法は効かねェ...やっぱ直接、聞くしかねェか...
***
「...(まだ真選組内に、この前の晋助とのこと伝わってないのかな...?)」
絶対解雇通告、もしくは取り調べがくると思ったのに...
空覇に女中仕事の休憩の間に、勉強やら雑学を教えながらそんな事を考えていると
顔を上げた空覇が此方を見てきた。
「朔夜さん、何か心配ごと?」
「!...いや、何でもないよ。ちょっとしたことだから...それより書き取りはできたかい?」
「あ、うん!これでいい?」
子供らしい純粋な笑顔で紙を見せてくる空覇に自然に笑みをこぼしつつも、その紙に目を通す。
「...うん、完璧。どんどん字も綺麗になっていってるし...空覇は覚えが早くて良い子だね」
なでなで
「へへっ!朔夜さんに褒められると嬉しい」
「ふふっ...まぁ、じゃぁ今日はこの辺にしてそろそろお茶に...」
ガラッ
「!」
「朔夜」
「――...トシ...」
開けられた襖の向こうにいたのはトシだった。
...やっぱり来たね...
「...今、時間良いか?」
「...あぁ、構わないよ。ごめんね空覇。トシと大事な話をしなきゃならないから、総悟君のところに行っておいで」
「あ、うん。分かったよ朔夜さん。またあとでね!」
そして空覇が部屋を出て行き、小生とトシの間に重い空気が流れる。
小生はそれを払拭するように、笑顔を浮かべた。
「...さて、トシ。入って座りなよ。聞きたいこと、あるんでしょう?」
「(やっぱり分かってたか...)」
トシは黙って襖を閉めると、小生の前に来て、机を挟んで目の前に座った。
トシの苦い煙草の煙が、自分の甘い煙管の煙と混じりあう。
「...分かってるのに回りくどいのは嫌いだから、お互い単刀直入に行こうか」
「...そうだな。じゃぁ聞かせてもらうが...お前と高杉の関係は何だ?」
「関係か...ただのテロリストと一般市民、ってだけだよ」
にこりといつもの笑みを浮かべたまま、嘘の言葉を流暢に連ねる。
だが、やはりそんな簡単な言葉でトシが終わるはずがなくて、眉をひそめられる。
「...本気でそれで通ると思ってんのか?」
「...思ってないよ。でも、男女の仲とか、恋仲とか、そういう深い関係ではないよ」
嘘と真実を織り交ぜて、どちらが真実か分からなくさせる。
この時の自分の姿が一番嫌いだ。
だが真実だけを言えば、己の首を絞めるだけ。誰も得などしない。
特にトシは、幕府の人間。しかも対テロリスト用の警察。絶対に真実なんか言えない。
「...じゃぁ、この前のあれは何だってんだ?」
「アレは、無理矢理だよ...なんか、落とした物を探してたら会って、目をつけられてね...気に入ったとか何とかで」
大体間違ってはいない。実際無理矢理だし。
「...それは、嘘じゃねーな?」
「――嘘じゃないよ。本当。高杉晋助とは、絶対に卿が思っているような関係じゃない」
だから、攘夷派の間諜のために松平の旦那や、真選組にとり入ったわけじゃないよ。
そう、一番の懸念であるだろう場所をつけば、トシはばつの悪そうな顔をした。
その顔に罪悪感を少し感じたが、仕方ないことだと打ち消した。
こうでも言わなければ、きっとトシはまた初めのころのように小生を疑い出すだろうから。
謂れのない罪状で、築いてきた信頼が崩れるのはつらいし、嫌だもの。
***
「今日からこちら真選組で女中として働かせていただきます、吉田朔夜です。お好きにお呼びください」
「じゃ、そう言う訳だから朔夜ちゃんのことよろしく頼むぜお前ら」
「「そう言う訳ってどういう訳ェェェ!!!??」」
「...(まぁ、当然の反応だね。小生もさっき聞いて驚いたし)」
コレが、真選組の近藤の旦那とトシとの最初の出会いだった。
全ては警察庁長官の松平の旦那にキャバクラで気に入られ、よく指名してもらえるようになったことから始まった。
ある時、いつものように指名をもらい、話をしている時に
小生が酒のせいで、つい、自分の将来の夢の話と「他のバイトがみつからなくて...」と口走ったことで
松平の旦那が、「じゃぁ良いバイトがあるぜ」と紹介してくれることになったのだ。
そしていざ内容を聞いて見れば、真選組の女中のバイトであった。
幕府と密接な場所に身を置くのは、少し抵抗があったが
女人禁制であるはずなのにと言えば、松平の旦那が特別に口聞きをしてくれるということだったし
提示された給金もよかったので、覚悟を決めてここに来たのだ。
「どういう訳って、そのままだよ。朔夜ちゃんを週に何回か女中として真選組で働かせろって言ってんだよ」
「なんで!?いきなりすぎるし、ここ女人禁制だからね!?分かってるのとっつぁん!!」
「分かってらァ...だがお前ら男所帯でムサイし手が回らねぇ場所だってあるだろ。
それに可愛い娘みたいな朔夜ちゃんが、バイト先なくて困ってんだよ」
「後半が本音だろオッサン!大体そんな理由で、何一つ身元が不詳な女おけるわけねーだろーが!」
「...(...やっぱり身元って大事だね...)」
何処に行っても中々職につけないのはそれが理由の一つだ。
人柄とかでなく、また同じ理由で断られるのか、と心が冷えて行くのを感じ目を伏せる。
すると松平の旦那が再び口を開いた。
「身元が不詳でもいいじゃねーか。朔夜ちゃんは美人だし、気ィ利くし、気立ても良いし、基本何でもできるいい女だしよ...
何より、人様を裏切るような真似はしねー女だ。それは俺が保証する」
「「!」」
「!(松平の旦那...)」
そこまで、しがないただのキャバ嬢の小生をそこまで認めてくれて...
そう思ったら胸が熱くなっていく。
「だから働かせてやってくれ。朔夜ちゃんがもし何かしたら、責任は俺がとる」
「松平の旦那...(なんかすごく見なおしたよ旦那...)」
「...分かった。そこまでとっつぁんが言うなら、雇うよ。よろしくたのむよ朔夜さん」
「...だが攘夷派と関係があれば、女といえど即刻処断させて貰うぜ」
「...だそうだが、構わないか朔夜ちゃん?」
「...構いませんよ。むしろ望むところです」
仕事で信用を勝ち取って見せる。
ニッと笑ってそう言い、その日から小生は真選組唯一の女中となった。
***
「――...まぁ、違うならそれでいいんだ」
「そう...疑いが晴れてよかったよ。(晋助のしたことの誤解で、小生が今生きている世界を壊したくない)」
信用と信頼を得て、トシに命じられた退の監視の目がなくなるまで、かなりかかったのだ。
あんな疑いの目は、もうできれば見たくはない。
「...だが、高杉の野郎に狙われてんなら危険だな...一人で生活してても大丈夫か?」
「あぁ、大丈夫だよ。何も問題ないしね。近所の人も気にかけてくれてるし...家までは知らないだろうし」
心配いらないよ。
「そうか...だが、無理すんなよ?何か些細なことでもあったら言え。守ってやるから」
「!...うん、ありがとう...」
職務の一環でも、守ると言ってくれるのが嬉しい。
トシの優しさに心が温かくなるのと同時に、嘘をついて色々隠している罪悪感が積っていく。
その罪悪感で真っ直ぐに目を見れなくて、目を伏せる。
「?どうかしたか?」
「!いや...なんでもないよトシ。何かあった時は言うからさ、お言葉に甘えて頼むよ」
「あぁ、勿論だ。仕事だしな」
「うん...」
こうして、祭りでの一件での小生の嫌疑はなんとか晴れたのであった。
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